
Interview
せわしい日常の中で想像力を育む場に。これからのお寺の役割り【前編】
お寺でイベントを開催するようになった経緯は?
「京都の仏教系の大学を卒業後、ゆくゆく実家の寺を継ぐことを意識しながらも、そのまま京都で働いていて。
13年前に、ちょうどこの寺が改修工事中だったので、完成する前には帰ろうと。
2004年に、落慶法要をやって、門徒さんと一緒にみんなで喜んでた矢先、10月に中越大震災が起こって。
しばらくの間、本堂が避難所になって。外にはボランティアのテントがたくさん並んで、寺がテント村みたいになったんです。
その後、2ヶ月ぐらいで仮設住宅ができ、みなさんそちらに避難されて。
今度はボランティアの宿泊所みたいな感じになって、そうしたら、今度は慰問コンサートでここを使わせて欲しいという話がきて。
最初のコンサートの主催は、大阪府池田市にある正福寺の末本さんというご住職で。
実は、私が師匠と呼ばせていただいてる方なんです。大学時代にちょっと習った先生で。
60代半ばなんですけど、すごい面白い方で。変わってる、というか、ギラギラしてる(笑)。
お寺の中にミラーボールがあるんですよ。“極楽浄土は輝いている世界でしょ?”という理由で。いいなと思ったら積極的に取り入れちゃうような方なんです。
その先生が中国から二胡の奏者を連れて来てくださって。ここでコンサートやったんですね。
近くの仮設住宅から、当日、百人を超える方々にお越しいただいて。予想以上に大盛況で。
涙ながらに見ている方もいて。
今までお寺では、そういった取り組みはなかったので、反響の大きさに衝撃を受けて…。
それから色々なイベントを受け入れるようになりまして。沖縄のエイサーをやる方や、落語家とか。
そうしているうちにイベント好きのお坊さんがいるみたいな噂が広まったみたいで。
ある時、まったくお会いしたこともない方がいきなり訪ねてきて「ここに義援金があるから一緒にイベントをやろう」と言ってきてくれたんです。
今まで、受け入れてばっかりだったので、自分でイベントを企画をしてみたいと思って。
それが『極楽パンチ』の始まりなんです。2006年ですね。
ただイベントを開催して人を集めるだけではもったいないのでテーマ性を持たせたいなと思いました。
震災の後、大量の廃棄物が出て、処分しきれずにゴミ焼却場が使えなくなっちゃったんですよ。
それが近くの山本山の広場に全部山積みになってしまって。あまりにもすごい量で。
それまで、ゴミは、ゴミの日に出せば目の前から消えてしまうので、廃棄物の問題って実感としてなかったんですが、処分されない、とてつもない量のゴミを目の当たりして、これは考える必要があると強く感じて。
イベントをやるならエコをテーマにしようと。
手作り品を持ち寄ってフリーマーケットを開催するアースデーのイベントのような形がいいと。
いざふたを開けたら、意外と参加者が集まって。40店舗ぐらいですかね。
2006年から、年に1度、夏至の時期に開催しています。
昼間のフリーマーケット的なエコマーケットと、夜にキャンドルとバルーンの装飾を施された境内を会場として開催されるライブの構成で。」
「当初は、いろんなフリーマーケットのイベントに行っては、面白そうな人に声をかけて。
来ていただけないかとお願いして回るところから始めて。
そんな集客の読めないイベントの参加は難しいと断られたことも。」
イベントを始めてみてどうでしたか?
「ちょうどその頃って、今、この小千谷の辺で活躍してる人達が地元を盛り上げるために何かをやらなきゃって活動を始めた時期と重なってて。」
具体的にどんな方が?
「地元で有名な洋服屋さんだったり、レコード屋さんだったり。
これまでは、この地域ではやってなかったようなイベントが開催され始めて、その流れの中で、いい具合に、その中核的存在に数えてもらえるようになって。
それで人が集まり出したみたいな。
うちのイベントへの参加がきっかけで活動が軌道に乗るようになったという話を耳にするようになって、僕が想像している以上に周りの思い入れが強くなってるのは感じます。」
昨日は、『極楽音楽堂』というイベントを開催されましたが。
「2015年は『極楽パンチ』が延期になってしまい、新しい志向で何かもっと肩の力を抜いたイベントを開催したいと。
今回は、ここ数年キャンドルナイトに参加してくれているタブラ奏者のU-zhaanが、Steve Odaさんというインド古典楽器サロードの奏者の方を呼んでくれて。
『極楽音楽堂』と銘打って、『極楽パンチ』ほど大規模じゃない、様々なジャンルのアーティストが参加する音楽会として、今後も開催していきたいと思っていて。」
取り上げるアーティストさんは麻田さんのこだわりなんですか?
「いえいえ、そんなことないです。U-zhaan任せ。
僕、元々、音楽すごい疎いんです。
U-zhaanが来てくれるようになったのも、大阪の師匠にご紹介いただいたヨシダダイキチさんというシタール奏者の方とのご縁で。
その方が『極楽パンチ』に出演してくださる時に、“インド帰り”のタブラ奏者を一緒に連れ行くとおっしゃったんですね。
それを僕は“インド人”のタブラ奏者って聞き違えちゃって。
ついに、インドからゲストが来るよ!なんてスタッフと盛り上がっていたんですけど。写真を見る限り、どうも日本人っぽいんだけどなって。
でも、U-zhaanって書いてあるし。それも僕はその時、“ウザハーン”とか読んでたんですよ。それくらい疎くて。
検索かけたら、“湯沢”って書いてあって。
湯沢なんだ!って(笑)。結構、ギリなタイミングで日本人って気づくぐらいの(笑)。
それ以来、これまで7回、『極楽パンチ』に来てもらってるんですけど、U-zhaanが来る前は生音でやってたんですよ。予算がないのもあったんですけど。
“こんな感じでまたお願いします”って言ったら。内心“何も知らないんだなこいつは”みたいな感じだったと思うんですけど、“PAないときついですよ。音小っちゃいし”って言われて。
“PAって何ですか?”って聞いたぐらい。音響機材のことって後から知って。
全然詳しくないんです。
ただ何も知らないから、ほとんど委ねることができるというか。
だからU-zhaanも僕に紹介しやすいんじゃないですかね。
こういう人もいるよ、ああいう人もいるよって教えてくれて。
こっちが変に知ってたら多分そこまで言って来ないと思うんですけど。
全然知らないから教えてって感じで。」
寺に戻る前から、こうしようというつもりはあったのですか?
「正直言うとお先真っ暗みたいな。
なんというか、田舎ですんで。古いしきたりも多いし。
戻る時は、それなりに、いろんな思いはあったんですよ。
地域の人口が減ってきてるので法要をやってもあまり人が来なくなり。
そういった中で、おじいちゃん、おばあちゃんだけでなく、若い人にも寺に来て欲しいという思いはあったのですけれど。
どうしたらいいのかは、仏教界の永遠のテーマみたいな。
みんな悩んでいる感じなんですけれど。
具体的に何もない状態で。やっぱり僕も悩んでいて。」
イベントやることによって何か変化はありましたか?
「もう全然変わりましたね。
以前、ある新聞に、お坊さんのイメージについてのアンケート結果が載っていて、“何をしてるかわからない”が第1位だったんですね。
なので、『極楽パンチ』のライブの後に、自分が話す機会を設けてるんですけど。
“なぜこういったイベントを開催するのか”という僕の思いや考え方をきちんと伝えるようにしています。
「イベント以外でも、facebookとかのSNSも使いながらお寺の情報を発信して、いろいろな人に極楽寺のことを知ってもらおうと思っているんですね。
普通お寺って、何をやるにしてもまず門徒さんからって形だったんですけど、僕はそれを撤廃しちゃって、門徒さん以外の人にも知ってもらうことをやりだしたわけで。
そうしたら若い人のお寺のイメージが全然変わってきて。
それまでお寺と全然縁がなかった人も、寺のことや僕のやることとか考え方を知ってもらえるようになりました。
そこからNHKや、メディアの人が取材に来るようになって。それを見た“お寺は法事、葬式以外に行くところじゃない”と思ってた、おじいさんおばあさん達にも伝わって、“あんたこんな事やってたんだね”って言われるようになって。またコミュニケーションが広がっていきました。」
自分がメディアになってるというか?
「そうですね。
今まで受け身だったんで、お寺って基本的に。
誰か亡くなれば、はいやりますっていう。
受け身だし、発信の仕方も一方的って言いますか。
うちの浄土真宗って報恩講って法要があるんですね。
宗祖の親鸞聖人のご命日の法要で、それをずっと、もう7百年やってるんですけども。
そういう行事をやる時も、“何月何日なんとか法要、極楽寺”だけ書いたものをボンっと立てておくだけだったんですね。
発信を、ものすごいシンプルなやり方でしかしていなかったので。
そのやり方でずっときて、人が来なくなって、どうしたらいいのかわからなくなってたんですけど。
発信の仕方を変えるだけで、こんな変わるのはすごいびっくりというか。」
イベントを開催するまでが大変だったんじゃないですか?
「最初は、住職の父も、坊守(坊=寺、お寺を守る人)の母も理解出来ない感じでしたね。
極楽寺主催ではなく有志の主催という形をとるようにと言われて。
未だにそうなんですけど。
でも、ついに昨日の『極楽音楽堂』ライブイベントにはちょっと出資してもらえて。
こういう田舎は、村社会ってそうなのかもしれないですけど、理屈じゃなくて“こういうものだから従え”という感じで。
お寺とお寺を構成してるものって昔からの道理に基づいて出来てるものがすごく多いから、突拍子もないことをやろうとすると、まずそれを作り上げていく基のものがないっていうか。
ゼロベースみたいな感じですかね。
だから必ず困惑されながら始めるというのが常で。
『極楽パンチ』のキャンドルナイトライブみたいに、本堂の内陣といわれる仏様の周辺の場所にキャンドルを入れるとか配置を変えるとか普通はやらないです。
様式があるので。
それから外れると間違いだと思っている人がいっぱいいて。基本NGなんです。
10年前は、僕のやることは、変な奴って見られ方をしていて、機関紙なんかには写真が掲載してもらえなかったんです。
でもここ1、2年で見られ方が全然変わって。今は普通にWebに載るようになりました。
逆に“何でそういうことをしてるの?”と興味を持ってくれる若い人達も増えてきてるし。
ちょっとずつ変わってきたかもしれないですね。
都会と比べて、スピード感が違うのかな。
短期的な結果目指すだけだとダメな気もして。」
結局、お寺だけじゃなくて、地域の盛り上がりにもつながってきているのでは?
「そうですね。」
イベント以外に日々、何か意識して取り組まれていることとかあるんですか?
「お寺は敷居が高いっていうのがあるので上品ぶらないとか。
すごい地味なんですけど、超重要ポイントだと思っていて。
失敗をひけらかすみたいな。すぐ謝っちゃうとか。
頭を下げられる前に下げるとか。
そういう地味なことを積み重ねていくことで、会話がしやすくなるというか。
お寺さんって上座にポーンって祭り上げられちゃうんですね。
それを何とか崩したいから、必要以上に軽く見せるっていうか、威厳を持たないようにしてる感じですかね。
例えば頭をツルツルにして貫禄を出そうと思えば、伝統的な作法とか、話し方とかで、それなりの空気を出すことは出来るんですけど。
ここでやっていく分には邪魔な要素だと思って。」
そういった思いの表れの一つがWebサイトだと思うのですが。めちゃくちゃおしゃれで可愛らしいじゃないですか!
「あれは2年前にクリエイターの久保田涼子さんという方にお願いして作っていただきました。」
「たいていのお寺のサイトというと、由緒正しいというか格式高いイメージが多いので、それは絶対嫌だと考えて。
とにかく、うちのお寺の“動いてる感じ”が伝わるようにしたいというのが僕の願いで。
きちんと意向を汲んでデザインしてもらって、写真も適当に撮るんじゃなくて、プロの方に撮影してもらって。
それも出来上がるまでが大変で。
門徒さんの中に総代さんって、門徒さんを統括する代表役員みたいな方がいらっしゃるんですけど。
皆さん80前後ぐらいの方々なんですけど。その方たちに承認いただかなくては前に進めないんですね。寺のことって。
ところがまずインターネットが分かってないし、ホームページもよく知らないし。
通常、最初に内容を確認して、承諾をいただいてから制作に入るじゃないですか。
全然逆で、箱から作ったんですよ。
出来あがってから、こういう見え方になりますと説明して。
ようやくOKをもらって。」
時代が変わってきてはいるんですけど。
やっぱり、若い世代とは全然考え方が違うんで。
まあ結果、サイトは皆さんにとても好評です。」
一見、飄々とお寺家業を楽しんでいらっしゃる麻田さん。
実は、これからを見据えた確固たる信念をもって様々な取り組みに従事されていらっしゃいます。
【後編】は、消しゴムはんこユニット『諸常無常ズ』のご活動や、これからの時代の豊かな暮らし方に、お寺としてどう関わっていこうと考えてるのかお聞きしました。
浄土真宗本願寺派極楽寺 当院
麻田弘潤さん
浄土真宗本願寺派極楽寺 当院
麻田弘潤さん
1976年7月18日、新潟県生まれ。本願寺派布教使・特別法務員・一般財団法人同和教育振興会一般研究員。
2006年、中越地震で被災したことをきっかけに、エコをテーマとした復興イベント『極楽パンチ』をスタートし、循環型社会への移行に向けたメッセージを発しつづけている。
東日本大震災以降は原発問題に関心を寄せ、2012年4月『東電・柏崎刈羽原発差止め-原告団/市民の会』共同代表に就任。
消しゴムはんこ職人としてイベント等で消しゴムはんこワークショップも開催中。消ゴムはんこの趣味を生かし、消しゴムはんこ作家津久井智子と仏教×消しゴムはんこ法話ユニット『諸行無常ズ』を結成し、消しゴムはんこづくりを楽しんでもらいながら体験的に仏教思想を学ぶことの出来るワークショップを全国各地で開催している。