
Interview
ジャンルや流行りに
とらわれない
素材ありきの本質スタイル
宮崎に移り住むきっかけは?
「大阪で店やってたんで、お金的にもしんどいなあってなってきて、店と住居を一緒にしようってなったんですよ。
そしたら子ども帰ってきても、あずけんでいいじゃないですか。
昔は店と家一緒のオンオフないのもしんどいかなって思ってたけど、そんなん一緒でええかなと思って。」
先にこっちに移住された先輩の方がいらっしゃったとか。
「そうなんです。その人にこの辺の家いくらくらいすんのって聞いたんですよね。大阪やとありえへん値段で。
そっからですね。」
311の震災以降、宮崎に移住された方が多いとお聞きしましたが。
「僕ら震災前ですね。震災の1年半くらい前から準備して。」
↑S&Y WORK SHOPのエントランス。
S&Y WORK SHOP自体はいつ頃から始められたんですか?
「94年に大阪で。ホンマに洋服屋っていうんですかね。
最初は言うたら個人のメーカーさんみたいなところに量産するやないですか。なんか違うなあと思って。
それで小売屋やなあと思ったんですよ。で、やりだして。最初、友達の古着屋ついてアメリカに買い付け行って。
フリーマーケットで売ったりしたんですけど、なんせなかなか流行りもん売ってないんで、これは自分の店やないと、伝わらんなと思って。
それでたまたま友達がロンドンにおったんで、遊びに行った時に、むちゃな勢いある服売ってたから、面白いなと思ってやりだしたんが最初ですね。」
サーフィンもその頃から始められたんですか?
「サーフィンはそれ以前、16からしとったんですけど。
ただ時代的にサーフィンのシーンがあんまりカッコよく見えなかったんですよ。」
90年代ですか?
「そうです。サーフィンのきっかけは70年代のお兄さん見てたんで。
波乗りとしてサーファーとしての人間も渋かったし。」
その頃のレジェンドはどなただったんですか?
「いや、もう周りのお兄さんですよね。サーファー、髪の毛長うて、サーフ屋もないから古着着て、海外の匂いするし。音楽もカッコええの知ってるし、綺麗なお姉ちゃん連れてるし(笑)。」
サーフブランドなんかなくても自然と雰囲気を醸し出してる?
「ヘインズのTシャツ着て普通にスタンスミス履いてて。めっちゃかっこええみたいな。
で80年、90年になったらあれ?ってなって。
その時は一応はサーフィンたまにしとったけど。
クラブでそっちの文化が盛り上がってて。それが今から25年くらい前かな。」
ロンドンのアングラな古着カルチャーとサーフィンカルチャーって、両極というか相容れないような感じもするんですが?
「ロンドンに買い付けに行ってた頃は、時代的にいわゆるパンクブームが終わってロンドン下火やったんですよ、
でも逆に何も考えんと、これええでしょ?って着る機会なさそうな服がんがん作ってるんですよ。
その姿勢がね、かっこええなと思って。
さっき言ったみたいに、サーファーのお兄ちゃんが何もないところで、新しいものにすごい敏感みたいに。」
カウンターカルチャー的なノリですかね?
「そうです。それがかっこええから。」
ブームなる前の先駆けの部分が面白いっていうか?
「そうですね。みんなビジネスじゃなくて勢いあるのがかっこええなと思って。
で、ロンドンまた流行ってきたんですよ。
ロンドンのメーカーが知恵付きだしてどんどんこなれてきたんですよ。
ビジネスの話ばっかりになって、それでまたアメリカに古着買いに戻ったんですよね。
西海岸行ったら相変わらずロカビリー好きはロカビリーの店やってるし、ヒッピー好きはヒッピーな店やっとるし、流行りはあんねんけど、この店まだずっと変わらずやってんなっていっぱいあったから。
このブレへんのめっちゃかっこええなと思って。」
ファッションの世界でインパクトを受けた方はいらっしゃいますか?
「やっぱり街の人ですね。僕は。
あの店の兄ちゃんがかっこええなっていうのが一番多いですね。」
サーフィンと一緒ですね。
「80年代、90年代、サーフィンのシーンが全然かっこよくなかったんで、ぼんやりしてたんですけど。
今みたいなほんまに自分のスタイルで、ほんまにストレスなくやってるっていうのはやっぱり2000年くらいからですね。
いわゆるジョエル・チューダー・サーフボードっていう、短いシングルフィンのボード出てきて。」
ジョエル・チューダーのボードってどういうタイプのものなんでしょうか?
「ジョエルは言うたらロングボードが世間でおじさんしかしてへんかった時に10代からロングボードのスタイルがカッコええってなって。
いわゆる神童っていうんすか、むちゃ上手かったし。
ロングボードしてる人でジョエル知らない人はいないと思うぐらい。
その彼がロングボードから70年代の短い板のシングルってのをリバイバルさせて完成させた。まだ完成し切れてなかった性能を今の技術でハイブリッドにしたと言うか。
僕が探してたシングルフィンの短い板を出してきて。
それが僕めっちゃ探してたスタイルなんですよ。
それまでサーフィン業界にも全くなかった。一番先駆けっすよ。
速攻飛びついた感じで、そっからまたサーフィンにどっぷりはまった感じです。」
そしたら、うちがたまたま取扱いもやるようなことになって。」
それが2000年?
「2000年ぐらいですね。言うたらお店がこの形になった頃って感じですね。
よくお客さんからここ何屋さんですか?サーフショップですか?服屋さんですか?って感じやったんですけど、僕からしたら何でもいいし、サーフショップとして使ってもらってもいいし、服屋として使ってもらってもいいしって感じで。別に何でもいいんです。」
お店拝見させていただいて、サーフアイテムもお洋服や雑貨と一緒に並べられてるんですね?
「そうですね。うちは単に物販店なんで。
言うたら飲食じゃなかったら何でもできる。
最初はボードを扱うのは、サーフィン業界ちょっと知ってるんでめんどくさいなってビデオとかウェアだけやってたんですけど。
でも、そのジョエル・チューダーやってるメーカーもなかなか変わりモン多くて。
DJとかしとって、いっつも会話がミュージシャンや音楽の話で。なんか面白いなと思って。」
S&Yの服はサーフスタイルに合わせる服ってわけではないんですよね?
「そうです。サーフィンしてるからサーファーブランドっていうのは全くないし、サーフィンはサーフィンやし、服は服やし。」
服のコンセプト的なことはS&Y WORK SHOPのサイトにあえて載せてないじゃないですか。
お話をお伺いしていると、より飾らないというか、よりシンプルなスタイルを追求されていらっしゃるんですかね?
「そうですね、売るためのデザインを全く入れないですね。」
素材ありき?
「そうですね。最初から、そうだったわけじゃないですけど、全部やってきてね、何がかっこええかって括りでやってるわけなんすよ。
言うたらオーガニックもそうやし、サーフィンもそうやし。
やっぱり今のご時世かな。
何を扱ってるのがほんまのカッコええんかってなった時に、ディティール、デザイン云々より、もののちゃんとした部分をしっかり分かってて作ってる人がかっこええかなって思ってるかな僕は。
ちゃんと分かってて、一番正しいものをやってるっていうのがカッコええかなみたいなのがありますね。
オーガニックコットンだったり、ヘンプ素材であったりとか。
染めにしても天然染めであったりとか。
見たくれだけの高い服着てるより、質のええもん着てるほうが人としてやっぱりレベル高いやろ。
そこかなあ、僕は。」
ブランドのコンセプトは宮崎に来てから変わりましたか?
「僕は変わってないですね、基本的には。
ただ、オーガニックコットンやったりヘンプやったりの中で、こっちの方が何かしら染め物とかやってる人が多かったんで。商品的には大阪の時よりもかなりぐわんとフォーカスされましたね。
大阪の時は仕入れ、買うってことが多かったんですけども、こっち来てものをつくるってことが大分増えましたね。
結局、より質をこだわる環境になったんで、生地やったり色やったりとか。
僕は食べるものと着るものに関しての感覚は近いものがあって。
うちの服なんかも言うたら豆腐の料理みたいなもんで、いい豆腐やったらあんまり料理せんほうがいいじゃないですか。調味料つけてとか。
食べ物に関しても素材良かったらできるだけ素のほうがおいしいし。
そう言うところで、いらんデコレーションすることも減ってきて、考え方もミニマルな感じに近いかもしれないですね。
ミニマリストではないですけど。
足すよりも引くって考え方のほうが綺麗やなあっていう。」
ちなみに衣料の原料の産地はどこなんですか?
「原料のオーガニックコットンはアフリカ産とかあるんですけど。
貧困の国に対して大っきいメーカーさんはかなりギャラが安いですけど、そこはちゃんとフェアトレードの生地使ったりとか。バックボーンもちゃんと見てますね。」
そういった取り組みをされてることはあまり謳わないんですか?
「あんまり謳うとおもろなくなるんでね。
それをやりやすなった環境っていうのは宮崎に来たらありましたね。宮崎の染織家の方に藍染で染めてもらった服作って。着たら気持ちええなあって思ったんですよ。
染めた服を店に並べて、そこに自分は身を置くわけじゃないですか。仕事をしてて。
なんかこうめっちゃ気持ちええなって思ったんですよ。
それまでやってた黄色とか赤とかのTシャツを並べたら、めっちゃきついんですよ、色が。
次のシーズンからそういうやつを全部やめて、生成りと草木染めとオーガニックの藍染だけに切り替えましたね。」
↑シンプルに着心地の良さを追求した素材にこだわった衣類。
他のセレクトしてる商品ってどういうものがあるんですか?
「あとは古着やったり。あとはリメイクとかですね。
ネルシャツの大きいやつ改造して日本人サイズにしてやったりとか。」
さきほど拝見した金具のハンガーも素敵ですね。
「あれは、佐土原町にダコタって店があるんですよ。そこの店長が作れるんで。」
古民家を改修して作られた素敵なご飯屋さんですよね?
「旦那がね、鉄もんを結構作るんですよ。
ハンガーを買いに行った時に普通の量産のは、なんかこれだらしないなと思って。
もうちょっと雰囲気あるやつっていうか、もうちょっと情あるやつ使いたいなと思って作ってもらいましたね。
ホーメセンターに行きゃ100円位で売ってますけどね。」
毎日生活の中のちょっとしたこだわりを大切にされてるんですね。
「風景になっちゃうじゃないですか。
こだわり過ぎなのも嫌だけど。
食べ物に関しても、僕はビーガンとかべジタリアンとじゃないですけど。
何を選ぶかっていう事かな。
だからもうちょっと選びたいですね。」
例えば、こっちに来てからのほうがオシャレする時はするみたいなこともありますか?
「そうですよね。シャツ着て海行きたいなってめっちゃあったんすよ。
大阪の時は、海遠いんでシャツ着てたら窮屈やしみたいな。
こっちは海がすぐそこやから、それが雰囲気ええなと思って。
ほんまにこういうシャツ着て海は行きますけどね、普通に。」
「Tシャツばっか着てたらこういう環境なんでゆるゆるなるんで、この距離感って。
店に入る時もメリハリ持たすためにシャツ着てとか。
そんなんも面白いというか、そういう景色もいいかな。
海外サーフィンしに行ったら、海あるとこって田舎多いですけど、こないだもオーストラリアのバイロンベイ行って、白いワンピース着てお母さんと子どもがビーチで遊んだりなんかしてて、あんなん(日本じゃ)ありえへんな思って。
でも普通にやってはんねんな思って。」
都会でない場所からこそ、そういうのが逆にかっこいい?
「TAGIRI周辺でも、カンマ君の奥さんとかそういう洋服着よるから、ああいう風景にやっぱいいですよ。見てて。」
そう言う気持ちになれるような場所であれば地方の見え方も変わってきますよね。
「ねえ。なんかこう、もうちょっとそう言うの楽しみたいと思って。
なんか僕らみたいなサーファーのスタイルってスポーツじゃないし、どっちか言うたらサーフィンしてて、絵(そのシーン)を切り抜いた時に、風景の一部になってるかどうかっていうくらいの感覚でしたいと思うんですよ。
撮った時に鳥が写り込んでええ風に写んなあ。とか。それぐらいのものの見え方にしたいなあと思うんですよ。
だから田舎おって逆に(洗練された)服着ておったりしたほうが風景としてキレイちゃうかなと思いますね。そう言う意味では芸術的にサーフィンしてるスタイルも考えたいなと思いますね。絵的にね。」
サーフィンからインスパイア受けるものって多いですか?
「ありますよね。リンクしているかな全部。
僕がサーフィンやった理由、サーファーかっこええな、そういう人間になりたいなっていう。
それがジェリー・ロペスだったり。彼もヨガやったり、お坊さんみたいなって。
そうなると、お坊さんみたいな生き方もかっこええなって。
要はどんな人間がかっこいいかでしょうね。
サーフィンもスポーツ的にするよりも、ほんの風景の一部になって滑るような。
その時に何のマークも入ってなくてシンプルな黒のウエットスーツ着てるほうがかっこええし。
言うたら、かっこええっていうのが本質的な部分に近づくんかなと。」
TAGIRI HOTELに関わることになったきっかけは?
「TAGIRIに関わるというより、カンマ君に関わるようになったのは、出会った時に
“SURFING IS THE ONE LIKE THE MEDITATION(サーフィンは瞑想みたいなもんだ).”っていうオリジナルのステッカー貼ってたことに関してすげえ共感して。これいいですよねってなって。」
その出会いは海で?
「いえ、ジール(宮崎市加江田にあるオーガニックレストラン『天空カフェ ジール』。
“有機農業の町”と知られる綾町で採れる無農薬野菜や自家栽培の食材、天然醸造された調味料が使用されて、栄養バランスの優れた美味しいマクロビオティック料理がいただける場所)のイベントです。
僕が出店してたら出会って、ほんでこの店にも遊びに来てくれて。
もともとカンマ君はサーフィン業界おって、僕も若い時にサーフショップでバイトしてサーフィン覚えて、そう言う業界とかグループとかも見てきたんで。
ああいう業界でお互いこういう人間がおるとはなかなか初めて巡り合ったなって感じでおもろかったんですね。
カンマ君は怪我してプロサーファー寸前でコンペティターを退き、一時日本からバイロンベイに行くって時に、スポンサーだった社長さんから、それじゃこれ乗ってやってこいやってシングルの板をもらったんですって。
それが(ジョエル・チューダーの)グッドカルマで。僕もそのグッドカルマに出会ってサーフィンがまた楽しくできるようになったのがあって。
あそこに横たわってるグリーンのやつなんですけど。」
↑店内に飾られているジョエル・チューダーのサーフボード(庄司さんの後ろ棚上)。
名前からしてすごいですよね!正に良運を引きつけるというか。
「グッドカルマっていうんですよ。
これでカンマ君は新しい価値観のサーフィンまたやり直して、僕ももう一回サーフィンがまた面白くなって。
そんなことですごい話したり。
あんなスキルあるサーファーで同じような価値観でこういう(TAGIRI HOTELのような)ことやってるってあんまないなと思って。
僕はカンマ君のプロジェクトに携わってたけど、なんせ気持ちよくなれるからかもしれないですね。彼の考え方キレイやから。
だから結構上手いこと付き合えてるんじゃないですかね。」
庄司さんが考えるこれからの豊かな暮らしとは?
「豊かさ。何やろうな。
今更やけど、お金じゃないですよね。
自分の感覚でモノ選びしていくことがそれに繋がるのかなと。」
自分の感覚を研ぎ澄ますのは人それぞれだと思うんですけど、庄司さんの場合はどういう風に鍛えてますか?
「メディアの情報やなくて、気になる店の情報とかそこのコミュニケーションとか。
そっからとかかなあと思いますね。
自分から情報に行く、入ってくる情報じゃなくて。
もうちょっと臭い話、人に対して愛持って接して行ったら良い選び方するんちゃうかなと思うんですけど。
損得やなくてね。
情報が邪魔しますよね。
情報そこそこというか、漠然と入れるんじゃなくて、そこも選ぶというか。
今、情報はめっちゃあるから、全部ただ単に入れてたら麻痺して見えんくなるから。
自分でもっと整理して、ちゃんと片付けていったら豊かってところに近づくんじゃないかなって気がするんですけど。」
↑青島亜熱帯植物園で月一で開催される、青島サンデーマーケットに出店されている時の様子。
情報を遮断するってことでは都心よりも地方のほうがいいですよね。
「そうですよね。都心の方がモノは多いんで。
今、モノ選んでいってるっていうのは、ゲームみたいなもんで。
大阪おった時なんかモノ溢れてるから、黙って勝手に買うてもおてるでってなってまうから。
安い良いぞみたいなのあるけど、いやそれは違うぞと。」
収入も都会にいるほうが上かもしれないけど、凄い無駄使いしているかもしれない?
「めっちゃ無駄使いしてますね。で金ないってなるし。
だから色々選んで。
自分にとってちゃんとしたモンを手に入れる。
例えば100パーセントオーガニックとかは難しいと思うけど、ちゃんと自分で考えてこれやったらええわってモンをつかんでいくっていうちょっとした暮らしのゲームっていうか。
みんな仕事忙しいから漠然とさっさと買っちゃったり。
買うことをいちいち楽しんでみたらもうちょっとええなる選択肢はあるんちゃうかなと思うんですけど。
僕は言うたら選んでることが仕事になってるんで。
それをお客さんに提案してますね。
豊かさねぇ~。
物質的じゃないほうが豊かなんですよね。
お金があってモノがあって車も家もあるっていうのが豊かっていう風に思われてるんだと思うんだけど、多分物質じゃないんでしょうね。
絶対に。だからモノ的よりコト的に動くほうが断然平和ですよね。」
ひとつわかりやすい例で、カンマさんがやってるTAGIRI HOTELみたいに、大資本をかけてやるんじゃなくて、クラウドファウンディングだったり共感する仲間に支えられて、営利主義でないのに形にすることが出来る、ちゃんとビジネスとして成り立つ形にできるっていうのが今の時代なのかなと。
「あそこに関しても僕も協賛というか、支援とかじゃなくて、どっちかというと、参加する感じで。
あそこで関わりあって行って、それで自分の感覚もまた変わる。
自分の暮らしの中でTAGIRIに参加したってことが気持ち的に豊かになるんちゃうかなと思って。
それで遊びに行ったらより親近感もあるし。
今までのホテルとか、旅館じゃない形やと思うし、ある意味新しい。
サービスは当然するけど、それはマニュアルとかじゃなくて相手のことをすごい考えた上での愛を持った接客。
来た人がまた誰かに紹介してとか結果的にみんな機嫌ようなってもらえてストレス少ないほうが、世間平和なほうがいいじゃないですか。
それやったらね、TAGIRIとかこの辺みたいに結構ニコニコしてるやつと会うほうが気持ちええし。
自分のためでもありますかね。
でも僕もこっち来て今調子よく暮らしてますけど、こっちだけやと最高だとは言いきらないですよ。
大阪の友達の店が下町なんですよ。街なんですけどそこの暮らしっぷりもええなあって。たまには何か面白いなと思って。そう言う意味で言うと両方があって成立してるんで、だからこっちで色んな人に知り合って色んな要素もらって物作りして、それを街の人らに提案とか供給して、向こうも機嫌ようやってもらえたらええなあと思ってやってますね。
世の中ええほうがええし。あと子供もね。平和なとこでね。
そんな感じなんすかね。僕は。」
CANVAS編集長、宮原友紀さんにはじまり、TAGIRI HOTEL菅間貴也さん、Southern Factoryの小園秀穂さん・寿美さんご夫妻、そして今回のS&Y WORK SHOP安田庄司さんと宮崎の地で豊かでスタイリッシュな暮らしの最先端をいく方々に立て続けにお会いし、すっかり宮崎の奥の魅力に感化されました!(インタビューさせていただいた方の他にもたくさんの方にお会いしてお話を伺うことができました。ありがとうございました!)
ある宮崎のフリーペーパーで目にしたのですが、宮崎の平均通勤時間は15、6分。片や東京は50分強。これを定年の60歳まで続けると、東京は宮崎より約1年分多く通勤時間に費やすことになるそうです。
安田さんの宮崎を拠点とした暮らしの豊かさは、わかりやすい一つの例としてこんな数字にも現れているようです。
豊かな暮らし…、
モノや情報に溢れる都会ではついつい考えすぎちゃって見失いがちですが、意外とシンプルなことなのかもしれないですね。
端的に言うとミニマリズムってことなのかと思いつつ・・・?
なんかそんな言葉ではとても表現しきれない、もっとアナログで温かくて、一筋縄ではいかないけど、実は一番楽で心地よいものである気がします。
モノだけでなく、考え方、生き方もシンプルに自分を研ぎ澄ますとたどり着ける境地?それが豊かさへの近道だったり…、そんなことを感じさせてくれた宮崎取材ステイだったのでした。
S&Y WORK SHOPのオーナー
安田庄司さん
S&Y WORK SHOPのオーナー
安田庄司さん
1967年、大坂生まれ。
1994年にS&Y WORKSHOPを設立。
2010年大阪から宮崎へ移住。
宮崎県内だけでなく、県外からも多くのファンが訪れるこだわりのあるショップとして人気に。
2015年から2017年まで宮崎県串間市市木にあるTAGIRI HOTEL内のセレクトショップTAGIRI HOTEL homeのディレクションも務める。
BOOK
『ドラムマジック』
ミッキー・ハート
ほとんどドラムの話なんですが、印象に残っている話が、ミッキーの父親がグレートフルデットのマネージャーで金を全部持ち逃げしたんですよ。メンバーからしたらえらいことじゃないですか。
でもデッドのメンバーは気持ちもわかるし辞めんでええんちゃう?って彼の責任にせんと、追い詰めんと。お金だけが全てみたいなのはちゃう。デットはそういうスタイルっていうか、組織っていうか、柔軟っていうか。
ビジネスはするんですよ、ちゃんと。
すごい与えてる感がいっぱいじゃないですか。
自分らが取るんやなくて与えてる、その感じが影響受けてるかな。