
Interview
“波乗り起業家”が
ゴールドコーストで実践する
新時代の企業経営学【前編】
オープンしてまだ間もない『"伝" DEN KUSHIKATSU』も大盛況ですね。
昼間お伺いした『IZABU Japanese Food』のランチが終わるギリギリまで長蛇の列でしたし…。どうしてこんなに地元で人気なんですか?
石川さん(以下、「」内コメント)「最初からうまくいってたわけではないんですよ。
4年前、2013年に1店舗目をオープンしたんですが、その時はちょっとカッコつけたくてジェラートとタコスを売ったんです。
でも当時、冬だったんすよ。見事に誰も来なくて(笑)。
1日お客さん3人とか。売り上げが50ドルとか。
それこそ今も働いてくれてるガチの創業メンバーの子と2人でずーっと哲学書読んでました。
やばいですよ、店で営業中に。
お客さん来なくてもとにかく学ぶ姿勢だけは持とうと(笑)。」
最初の店舗はジェラートとタコス屋さんだったんですね?場所はどこなんですか?
「ポッツビルという場所です。
面白かったです。
会社のお金が100ドル切っちゃったんですよ。ずーっとお客さんが来なくてもう急降下。
今でこそ他の店舗も増えてきましたが、もともと、辺りは店を出しても人は来ないよって言われていた場所で。
その時に読んでいた哲学書が生きてくるというか(笑)。
ネガティブ入るのか、上向きに考えるのかっていうところで、もう上を向こうと。
僕らが笑顔じゃなかったら誰も来てくれないよって。
とにかく現状を変えようって。
今のこのやり方がダメなら変化させようって。それでお寿司を売ることになって。
お客さんに言われてたんですよ、日本人の僕らを見て寿司を売ってくれ売ってくれって。それで、ちょっと寿司をやってみようと。
もう100ドルを切りそうな日に寿司を巻いて出したんです。
その日は売れなかったんです。たった4本くらいとか。
でも、翌日、行列が出来たんですよ。
当時、車で移動する30分圏内に寿司屋がなかったんですよ。
おそらく初日に買ったお客さんから、自分の町で寿司が食えるぞってのが伝わって。
閉店ギリギリのところから、ばーっと行列が出来て。それから変わりました。」
↑タコス&ジェラート屋から寿司屋へと方向転換し、お店の人気はうなぎのぼりに。
寿司パワーやばいですね(笑)。
「やばい。本当にやばい。
それからレシピを日々改善して。今でもそうなんですよ。
僕ら毎日、出来る限り改善していこうって言ってて。どんどんレベルアップしていって。」
もともとオーストラリアに来るきっかけは?
「最初プロサーファーになるためにオーストラリアにワーホリで来てるんですよ。
サーフィンを始めたのが遅いんですよ。19歳なんで。
そこから2年でプロになりました。」
2年でプロサーファーにですか?
「そうですね。僕は物事を直ぐ逆算するんですよ。最低でも20歳前半でプロにならないと注目されない。ということは日本の環境でやってたら時間がかかるから海外へ行こうと。で、ハワイに行ったんですよ。でも僕はハワイは合わなかったんですよ。
都会すぎるしビザの問題もあるし。学生じゃないと1年いられないじゃないですか。で、学生だと働けないじゃないですか。
そこでオーストラリアにワーホリがあるのを知って。
働きながらサーフィンをして帰ってプロになって活動して。それから毎年、3ヶ月間は大会やトレーニングでオーストラリアに来るようになったんですよ。」
↑プロサーファーを専業としていた頃の石川さん。
飲食業はなんで始めようと?
「家族ができて、オーストラリア滞在時に美味しい物が食べられる場所がない。
そんな美味しくないのに高いお店ばかりで。
そうなると住んでる人の生活クオリティが上がらないじゃないですか?
そこを変えるにはどうすればいいだろうと思うようになったのきっかけです。」
観光客が集まる栄えてる場所じゃなくて、ローカルなポッツビルにしようと思ったきっかけは?
「車で走ってる時に、すごい夕日が綺麗でメロウだったんです。その瞬間に、あ、家族でここ住みたいな。ここなら幸せに本来の自分で居られるなって感じて。
東京とか都会にいると見栄とか張り始めるじゃないですか。どうしても。張りたくないと思ってても1ヶ月、2ヶ月いると、どんどん見栄が必要になってくるじゃないですか。
そういう風になりたくないなって、ここだったら見栄を張らずに素直でいられる。
ここに住みたいなって思って。ここで一生懸命やりたいなと思って。
もう街、場所ありきです、全ては。」
自分にしっくりくる場所が重要なんですか?
「そうですね。僕が絶対に守ってる会社のコンセプトの1つが、自分たちが住みたいと思ってる場所、自分たちが毎日通いたいと思ってる場所にしか店は出さない。自分たちが毎日行けないのに、スタッフに行かせるなんてそれはおかしい。
だから例えばショッピングセンターからすごく出店の声がかかるんですけど、絶対に出さない。毎日行きたくないから。
行きたくないところに行かせるってことは、働いてる人たちを幸せの方向に導けていないことだから。」
だからこのロケーションなんですね。
「それは、こだわってます。
サーフィン好きだったら最高じゃないですか。
スタッフのみんなが仕事が始まる30分前までサーフィンして来るんですよ。
そいう価値観を大事にしています。
街のメインってあっちなんですよ。こっからずーっと数百メートル何もないんすよ。
でも僕からしたらあえてですよ。
だってこんな離れた所に毎日、満員の店があったら気にならずにいられないじゃないですか、逆に。それも狙いです。」
あと厨房のスタッフの皆さんが、飲食業に携わるのが初めての方ばかりとお聞きしました。そんななかで、どうして飲食をやろうと思ったんですか?
「やれるって事を知ってるからです。人間ってすごいって事を知ってるからじゃないですか。
僕、10代まで普通だったんですよ。超普通。勉強は好きじゃないから勉強出来ない。僕、掛け算全部言えないんで。英語もしゃべれないですよ。体育はABCでいつもB。運動神経良くない。かと言って芸術性に優れてるかっていうと図工とか全くセンスなくて。学校の成績は全部悪くて。でも、その時って、何をやりたいかわからなかったんですよ。毎日学校行ってるだけで。
中学に入って、サッカーに出会って。
サッカーがすっごい楽しくて。
サッカーに関してはすごく良く出来たんですよ。
でもプロサッカー選手なりたいと思ったけど、なれなかったんですよ。
サッカーが自分の中で偉大すぎちゃって。
人生で初めて好きになったっていうか、やりたい事が出来たんだけどあきらめちゃって。
モヤモヤしてる時に19歳でサーフィンと出会って。
サーフィンを始めた時に次はサッカーと同じようになりたくないって思ったんですよ。
サッカーあきらめた時に思いっきりグレちゃったんですよ。」
やんちゃな時があったんですね?
「スーパーやんちゃになっちゃって(笑)。
1回そうなっちゃって、これじゃダメだなと思った時にサーフィンと出会って。
Jリーガーにはなれなかったけど、これだけは形にしようと思って。
本気でやったらそれが叶ったんですよね。
いわゆる社会で言えば何も出来無いはみ出しものですよ、完全なる。
でも、好きなものだけは本気でやればものになるんだって事を知ったんですよ。
それから才能がないと思ってても好きなものであれば誰だって成就出来るって事を確信しました。それが多分、人間ってものだと思いますね。」
店を出す時も好きな事をやれば客が入るだろうと?
「そうですね。日本だと仕事をお客さんベースで考えるじゃないですか。僕ら自分ベースなんすよ。
昔、僕ら仕事中に踊ってました。お客さんがいない時に踊ってたんですよ。そしたらお客が通って、お前ら超楽しそうだな!何売ってんの?ってなって。
フレンドリーで超ハッピーな奴らの店だから絶対行ったほうがいいよって口コミサイトとかに書き込んでくれて。」
そんなの日本でやったら怒られますよね。
「やらないだけです日本では。そういうのが嫌いな人がバッシングする。でもそんなのは無視。だって例えばコンビニの店員が踊ってたら絶対話題になりますよ。」
↑笑顔が絶えない、活気と楽しさに満ち溢れた『"伝" DEN KUSHIKATSU』のスタッフのみなさん。
↑厳しい時期を共に乗り越えてきた創業メンバーの濱上彩さんと。彩さんは『IZABU Japanese Food』の店長、濱上勇太さんとご結婚されました。
ハッピーなとこでハッピーな人を呼び寄せる。
キャラの濃い素晴らしい仲間が集まるのもそれですかね?
「そういうことです。
うちには、ロングボードで世界5位の女の子もいます、社長賞取るくらい優秀な大手銀行の元セールスマンもいます。みんなキャラがバラバラで。
人を集めるって磁石なんですよ。だから自分が面白くないと面白い人は来ないし、自分が熱くなければ熱い人間は来ないし。
自分の目の前に映る事は全て自分の心の写し鏡だから。自分が自分に嘘をつけば自分の周りには嘘つきが集まるし。
でも自分が心を開けば心を開く人間が集まってくる。
ここが僕の心の世界だと思います。
ここに嘘偽りがないから集まってくるんだと思います。」
『IZABU Japanese Food』の店長の濱上勇太さんは海でサーフィンしてる時に向こうから声かけてきたんですもんね?
「海で会った瞬間にこの人いい匂いするなと思ったらしいです(笑)。
同じように僕もスタッフのみんなに対してワクワクするな。楽しい人生送れそうだな。一緒にいたいなって思ったんです。」
そんな信頼関係からか、お店の運営に関してもスタッフの人にあえて委ねるようにされているんですね?
「お店もみんなで手作りしてるんですけど。
コンセプトだけ伝えて。僕がやってもいいんだけど。僕、好きなんすよ大工仕事。おじいちゃん大工なんでその血が流れてる。どうしてもワクワクしちゃうんですよね。すごくやりたいけど、自分がやって自分が忙しくなることで自分以外の人たちに余裕が出来るなんて永遠にない。自分が暇になれば、みんなが時間を作るチャンスが生まれる。だから僕はあえて何もしない。これが僕の愛情。それプラス自分たちで店を作るって事がどんだけ大変かを感じてもらいたくて。
ほとんどの人が生み出されたものに乗っかって仕事するじゃないですか。
でも立ち上げるって事がどんだけ難しいか。
大変だって事を知るのは一生の宝。
だから創業者や社長が熱意持って従業員にうるさく言うのは、この創り出すって経験をしてるからなんだよっていう。でも多くの人は出来上がった状態から入ってくるからわからないけど。」
↑スタッフみんなで取り組んだ『"伝" DEN KUSHIKATSU』の店作りの様子。
スタッフみんなに起業っていうか、新しいことを創り出す経験をさせるのも事業の一つ?
「そうです。遊び。経験の学びの場を与えるっていうか。
僕は場を作ってるだけなんで。」
◇石川さんのインタビューは【後編】へと続きます。
ELCA HOUSE PTY LTD CEO/エグゼクティブ・プロデューサー
石川英治さん
ELCA HOUSE PTY LTD CEO/エグゼクティブ・プロデューサー
石川英治さん
1980年生まれ。
2004年から2011年までムラサキスポーツ本社契約選手としてプロロングボーダーとして活躍。 その活動は選手だけに留まらずに雑誌の企画などにも参画し。無人島トリップや大型キャンピングカーでのカリフォルニア横断などの今までにないヒット企画を打ち出し数々の雑誌の紙面を賑わせる。
映像プロデューサーとしても伝説のロングボードムービー『十虎』シリーズを制作。TSUTAYAと契約するほどの大ヒット作品となる。
2012年に家族と共にオーストラリアに移住。現地でフードカンパニーELCA HOUSE(エルカハウス)を立ち上げ、3年で3店舗の大繁盛店を育て上げる。
モットーは 、『そこにあるなら、それを壊そう』『そこにないなら、それを創ろう』。