
Interview
バイロンベイの空気が
生み出すフリースタイルな
映像作品
映像制作に取り組み始めたのはいつ頃からなんですか?
「本格的に始めたのは7年くらい前、2010年頃ですかね。
元々、映像の専門学校行ったんですけど1年で辞めちゃって。
それからバイトをしながら音楽活動をしてたんですけど、その時に友達のPVを撮り始めて映像にはまってきて。
その延長ですね。」
バイロンベイに来て映像制作を本格化していった感じなんですか?
「そうですね。最初はライブやアーティストなど音楽を中心に撮ってました。」
『A NEW GENERATION』の制作は、どのようなきっかけで?
「2014年、バイロンベイサーフフェスティバルが開催されることになって、そこでフィルムコンペクションがあるってことで。出展する作品を作ろうというタイミングで、たまたま日本に帰ったんですよ。ちょうど菅間君がTAGIRI HOTELの立ち上げに取り組んでいる時で、何か撮れたらなって宮崎に行って。」
そもそもTAGIRI HOTEL代表の菅間さんとはどういうご縁なんですか?
「10何年前に、僕の地元の友達がシドニーで菅間君と知り合って。
帰国して数年して、彼が菅間君たちがやってる鴨川の自給自足的な生活の場に行ってみようと誘ってくれて、遊びに行ったのがきっかけですね。
それがLove&Riceのプロジェクト(詳しくは菅間さんのMeLikeインタビュー記事をご覧ください。)
そこに行った時はかなり衝撃で。
その頃は、この社会の仕組みとかに疑問を持ってなかったから、とりあえず見た瞬間に衝撃が走りましたね。
使い古されたバスを住居代わりにして、オーガニック料理を食べて、土まみれになったい服を着て畑仕事をして…、すごいなあと思って。
その時は、彼らがやってる本質的なところまではよく理解してなかったんですよ。
ファッション感覚で何かかっこいいなと。
それから2年ほど週末ちょこちょこ通ってました。」
それは、いつ頃ですか?
「2009年かな?それから2011年にバイロンベイに来るまで通ってました。
2011年の地震があって、いろいろ考えさせられて。調べるじゃないですか。
それで、ああ、なるほどね、と。
あの人たちの活動の本質的な事を理解できたというか、食も住も生活インフラも自給自足する暮らしに楽しみながら取り組む…、Love&Riceの意義がようやく分かりましたね。」
↑Love&Riceの取り組みに参加していた頃の敬太さん。管間さんのお顔もちらり。
要するにある意味人知を超えた大量生産大量消費の世の中へのアンチじゃないですけど、これからの時代にあるべき新しい生き方の実践みたいな事ですかね?
「うーんそういうのにつながっていきますよね。
震災以降そういう動きしてる人が増えてきてますよね。
そういう意味では、震災の起きる前から都会から田舎に移って自給自足的な生活に取り組んでいた菅間君たちは本当にすごいなと。」
そこからのTAGIRI HOTELなわけですよね。
「そう。菅間君も震災を経て宮崎へ移住して、今度はTAGIRI HOTELのプロジェクトに乗り出してってタイミングで。その様子をありのまま撮っていったらすごくいいのが撮れて。」
TAGIRI HOTELの前身的なLove&Riceの取り組みも知っている敬太さんだからこその説得力を感じる映像ですね。スタイリッシュでありながら、Love&Riceを経てTAGIRI HOTELに込めた菅間さんの熱い思いがすごく伝わってきます。
「そうですかね。
結果、『A NEW GENERATION』がコンペティションで優勝をいただいて。
それからドキュメンタリーもいいかなって。」
バイロンベイのテイストというかマインドとクロスオーバーする部分も感じられる映像でもありますもんね。
「確かに、そうかもしれないですね。
菅間君のオーストラリア時代にバイロンベイに感化されて、そのスタイルを日本でやりたい、バイロンベイで感じたことを日本でも実現できるという信念を持って始めたみたいですね。」
日本でやっちゃったのがすごいですよね。
「でも実は今、日本の方がポテンシャルがあると思うんです。
正直この辺なんてすごい土地が高くなっちゃって。
それこそ昔は全然安かったんですが、この20年間で地価が20倍になった場所もあるくらい。オーストラリアでも一番高いくらいの場所になって。
オーストラリアでは田舎暮らしが逆に高くなってるんですよ。
田舎暮らしの方が価値が出てきちゃったんですよ。」
バイロンベイの住人のマインドは、そっちになってる?
「そうですね。この辺は特にですね。
一見してこの辺りの田舎の家とか安そうじゃないですか?
実はすごい高いんですよ。この田舎のライフスタイルに価値が出来てきちゃって。」
もともとバイロンベイに来たきっかけは?
「一番、最初に来たのは2001年にワーキングホリデーで2年間いて、それから日本に帰って。
20代はバイト代を貯めては音楽活動や海外へサーフトリップしたりという生活を続けて。」
↑20代、サーフトリップで世界を旅してた頃の敬太さん。
「2011年の1月に、また海外に旅しようと思って、以前来た時のバイロンベイの素晴らしいイメージが頭から離れなくて。一度、バイロンベイに行って、そこからその後の計画を立てようかなと思って来たんですけど。
その2ヶ月後に東日本大震災があって、今はここに止まろうと思いました。そしたら翌日に運良く皿洗いの仕事を見つけて。
なので、結果、今自分がここにいるのは震災がきっかけっていうのはありますね。
今だから言えますけど、その時は観光ビザで本当は仕事しちゃいけなかったんですけど、震災の事もあって働くことを許してもらって。
なんとか食いつないでいるうちに、マランビンビーにオープンした居酒屋遊さんに雇ってもらって。それが2012年ですかね。
そこで働かして頂いて今ビジネスビザを支給してもらってる最中なんですよ。
一緒に働いているスタッフはみんな仲が良くて、家族のように助け合いながら生活しています。」
↑居酒屋 遊で共に働く仲間たちとの1カット。
将来的には永住しようと?
「そうですね。もし永住権が取れたら、日本で半分、こっちで半分でも良いし。いろんな動きができると思うんですよ。
この辺も含めバイロンベイ周辺の地域をバイロンシャイヤって言うんですけど、雰囲気あってすごい自分に合ってるから。
ここを拠点にいろいろ活動していきたいなと思ってます。」
バイロンベイの魅力とは?
「アメリカ、カリフォルニア、ハワイ、メキシコ、バリ、ブラジル、フィジー…、全てサーフトリップですけど、ずっと回ってきた中で、自分のフィーリングと合ったのがバイロンベイとハワイのノースショアなんですね。
特にバイロンベイはマインドが自由ですね。
ここに来る人ってみんな好きな事をしてる人で。
好きな事が本当に出来る所っていうか。
それは多分人それぞれ違うと思うんですけど。
例えば、自分の好きなビジネスで日本で成功する人もいる。でも僕は日本では好きな事が特に思い当たらなくて。
それがバイロンベイにはあった。サーフィンが出来て、アートが出来て。」
ロスやカリフォルニアなどの場所の感じとは違うんですか?
「カリフォルニアとかは既にカルチャーが出来上がっているように思えます。
かっこいいことが色々あって、すごいんだけど、自分はそれを見る側、受け手でしかない。
でも、ここはまだこれからというか、自分たちでカルチャーを作り出す事が出来るような気がします。何かとバイロンベイのカルチャーというかムーブメントに日本人が深く関わっているところがありますね。
バイロンベイってオーストラリアっていうよりも、バイロンベイっていう一つの国っていうか、そういう感覚があるかもしれないですね。
オーストラリア人だけじゃなくて、世界中から色んな面白い人が来てる。
どの学校にも1人か2人いるような変人が世界中から集まった。そんな感じですね。」
特に、このマランビンビーは面白い?
「面白いです。
バイロンベイの中心部はもう、観光地としての開発が進んでしまい残念ながら以前と比べると変ってきてしまっている。言うても良いとこですけどね。
でもまだこの辺ではウールワース(大型スーパー)が入ってくる時も住民の反対運動が起きたり。オーガニックスーパーSantos Organicsを始めオーガニックフーズのお店がいくちも軒を並べ人気だし。」
↑マランビンビーのオーガニックスーパーSantos Organics。バイロンベイが創業の地。
↑ナチュラルな食材、量り売りの店など消費者の立場にたった良心的なお店が軒をそろえるマランビンビー。
「毎週行われてるローカルなファーマーズマーケットも毎回大盛況だし。
富裕層多いんですよ。だけどナチュラル志向っていうか。そういう人たちが集まってます。」
↑マランビンビーのファーマーズマーケットの様子。ライブなども行われ、キッズスペースも充実。
↑海岸沿いで開催されるバイロンベイのフリーマーケット。お店やディスプレイの仕方がおしゃれ。
オーガニック系のお店とか、ベジしかない店とか多いですよね。
「さらに言うと、そういった状況の中で実は日本人が活躍してるんですよ。」
例えば、どんな方がいらっしゃるんですか?
「DOMA CAFEっていうバイロンベイから30分ぐらい離れたフェデラルって場所の山の中にある飲食店。
あえて知る人ぞ知る的な場所にお店をかまえている。
しかも自分たちから情報発信していない。サイトも簡易なfacebookページぐらい。でもDOMA CAFE ファンのお客さんが勝手に情報発信してくれて連日、大盛況なんですよ。」
私も訪れました。DIYで作られたお店の作りも含め質の高い食への思い入れはハンパないですよね。
「僕が働いてる居酒屋 遊もそうですけど、5年間ずっとあんな感じですよ(取材前日、結構早めの時間にお伺いしたのですが満席)。」
↑マランビンビーで大人気の和食や居酒屋 遊。早い時間から席が埋まってしまうほどの大盛況。
「自分も働かせていただいて感じますが、きちんとした腕のある和食のシェフが日本クオリティで店を出せば大きな反応があるというか、ここで頑張る価値は十分あると思います。」
それだけバイロンベイでは良質な日本食の素晴らしさがわかる文化があるんですね。
将来的にどういう活動をしていきたいとお考えですか?
「映像はよりドキュメンタリーチックなもの撮っていきたいですね。
商業的な映像もたまに撮るんですけど、それだけで食べて行こうと思うと、やりたくない事もやらなきゃいけないと思うんですよ。
映像は楽しい範囲でやりたいと思ってるんで。」
自分の好きなものを撮りたい?
「そうですね。
今、撮ってる映像があって、日本人のジュンくんてサーフボードのシェイパーがいるんですけど。
バイロンから車で40分ほど離れたポッツビルって場所で木を削ってボードを作ってるんですよ。
大量生産が好きじゃなくて全部手作りで。一本一本ハンドシェープにこだわって板を作っています。
彼のボードの制作行程を撮ってますね。
今までもそうなんですけど、自分の周りで面白い事をしてる人たちを撮っていきたい。損得抜きで面白い事してる人たち。情熱かけて。
それが自分の中で価値があるんじゃないかと。そのスタイルが今はしっくりきますね。」
そういう方はバイロンベイでは多いんですか?
「多いんですよ。正直みんな面白い事してるから全員撮りたいし、オファーも結構されるんですけど仕事もあるので今は厳選して年に2、3本作れたらなって。
もう無限にいますから。面白い人。みーんな面白いから。
そういう意味でも、ここにいる価値があるかなと思いますね。
記録を残してくというか、本当に価値のあることをしてる人たちを撮っとけば一生残るじゃないですか。バイロンベイの記録係りですね(笑)。」
敬太さんの感じる、“これからの豊かな暮らし”とは?
「自分いとって豊かな生活とは好きな事が出来る事ですかね。
東京にいた時は、代官山で仕事してそれなりの稼ぎがあって自由な生活をしてたんですけど
好きな事が出来てなかったんです。
こっちに来た時は金もなかったし、仕事もなかったけど好きな事が出来て。
気持ちが豊かだった。
だから好きな事ができる環境に自分を持ってくっていうのは重要なのかな。
毎日サーフィンして映像撮って仕事もあって住む場所もあって。東京でくすぶっていた時の夢が叶ってます。」
それはバイロンベイだから出来るってのもありますかね?
「そうですね。やはりここの空気感がそうさせるところはありますね。でもここ数年でバイロンベイの人気、知名度が一気に上がってしまって世界中から人々が押し寄せてきています。土地や物価も急激に上がってしまい正直住みづらくなってはきています。
逆に日本の田舎は素晴らしい場所がたくさんあってまだ手をつけられていないところがたくさんありますよね。土地も物価もびっくりするくらい安いし。
そういう面では日本の地方は可能性は高いのかなって。」
MeLike取材で日本を回って感じました。今求められてますよね新しい地方の暮らし。洗練された田舎スタイルっていうのでしょうか?日本を盛り上げる意味でもとても重要かなって思います。
「そういった流れの中で、やっぱり若者が地方に何かを感じないとダメじゃないですか。
菅間君(のTAGIRI HOTEL)みたいな感じで、オシャレにしてやると“なるほど!”って地方のイメージが変わると思うんですよね。
日本の田舎はこれからどんどんクルと思いますね。
僕も永住権取れたらそっちの方も視野に入れながら活動したいと思っています。」
サーフィンや映像制作といった自分が心底没頭できる好きな事を優先できる場所。
まるでサーフィンしながら音楽で食ってるジャック・ジョンソンみたいとうらやましく思ってしまいますが(笑)、バイロンベイの自由な風に吹かれていると敬太さんの飄々とした生き方が決して憧れや夢でないように感じてくるから不思議です。
洗練された都会ライフの魅力を追いかけ続けてきた人たちがたどり着いた安住の地故に醸し出される独特な自由かつ先進的な空気感。
そこにおいて日本人的繊細なホスピタリティ(おもてなし精神)がサービスとして高い需要があるというのも興味深い話でした。
世界の一歩先を行く“これからの豊かな暮らし”を実践するバイロンベイのスタイルは、日本の地方こそ実現の可能性が高いと語る敬太さん。
オーストラリアの東の果て、かつてのヒッピータウンで興った新しい時代へのマインドイノベーションの波が日本に到来するのは果たしていつなのか??
映像作家
井川敬太さん
映像作家
井川敬太さん
1979年、東京都生まれ。
1999年、東放学園専門学校デジタル映画科中退。
2001年、オーストラリアへ語学習得のために渡豪。
2004年、帰国後、海外へサーフトリップをくり返しながら音楽活動に勤しむ。
2010年、友達のミュージックビデオの撮影をきっかけに本格的に映像制作をスタート。
2011年、オーストラリアのバイロンベイに滞在中に東日本大震災が起き、滞在を続けることを決意。
2014年、Byron Bay Surf Festival Film Competitionにおいて受賞。
現在、マランビンビーの日本食レストラン『居酒屋遊』で働く傍ら映像を制作中。