
Interview
会社員からJICA隊員へ
国際ボランティアという
オルタナティブライフの選択
なぜJICA青年海外協力隊に応募されたんですか?
「ボランティア活動には、小学生ぐらいの時から興味はずっとありました。
小学二年生くらいの時に、学研の本を定期購読してて、その中にユニセフのことが載ってたんですよ。それが、もう私の中ではもう衝撃で。
“世界にはこんな子どもたちがいるんだ!”って小学生ながらに感じるものがあったのを今でも覚えています。
当時はテレホンカードを集めてユニセフに送ると毛布や経口補水液などの生活必需品に変えられて助けになるというのがあって、学校でテレカを集めたりとかちょこちょこやっていました。。そういったことや寄付をしたりとかはあっても、それくらいで、ずっと興味はありつつ、具体的に何もできていなかったんです。
大学生になってようやくやってみようって思って、大学在学中4年間、『風の会』という学生NGOに所属し、実際にカンボジアに2週間滞在して現地での活動に参加したこともありました。」
どんな活動内容なんですか?
「メインに支援している孤児院があって英語教育の支援をするのが一つと、その資金を得るためのチャリティコンサートや物品販売イベントを開催する、あと日本国内の中高生に知ってもらうために出張授業をするのと、学校の建設を企業と組んで行う、という4つのプロジェクトに取り組む団体でした。」
その時の経験から、また何かしようと?
「いや、その時に、もうやだなって思ってしまったんですよ(笑)。
ボランティアはもうやらないって思ったんです。
出来ることが限られるなって感じたのもあるし、自分がやってきたことが、果たして彼らのためになったのか、わからなかったんです。学生だったからということもあるのかもしれないですが、その割にはすごく規制とか多くて。
お金にもならないし、自分の生活を削ってまでやり続けるだけのモチベーションが維持できるかなと思ったんですね。なんか大変だったな、別にこの世界に身を置かなくてもいいかなって思ってしまったんですね。」
それがまた、なんで今になってJICAに?
「ずっとそう思ってたんですけど、自分が関わっていたNGOの情報とか、今でもちょくちょく入ってきて、最近、その時英語を教えていた子どもが、孤児院を卒業して英語の先生になって、また孤児院に教えに戻ってきたっていう話を聞いたんです。
在籍していた4年間では何も変わらなかったかもしれないけど、その会自体はずっとあって支援は続けられていて、地道なことだけど長い目で見たら良い流れが作れるのかなって今更ながら思ったんですね。
同時に、社会人になって同じ会社で4、5年働いて。
ITの会社で医療系のシステムを保守する部署にいたのですが、その会社は異動とかないんですよ。だからやること変わらないんですね。
このまま後40年同じ仕事をし続ける事に疑問を持ってしまって、転職しようかなって考えている時期でもありました。
そんなタイミングで、たまたま電車の中でJICAの募集の広告を見たっていうのが重なって…。
そういうのが一個に結びついて、もう一回やってみてもいいかなって思ったんです。」
応募されたのはいつ頃?
「2015年の春、ゴールデンウィーク明けの募集に応募しました。」
行きたい場所や職種は希望できたりするんですか?
「最初、選択の仕方としては自分のやりたい職種を一つ選ぶんです。
コミュニティ開発という結構幅広く何でもやる部門もあれば、看護士や助産師など資格が必要とされるものや、農林水産系の実務経験が必要だったりする職種もあります。
資格がなくてもできるのは、PCインストラクター、コミュニティ開発、青少年活動、環境教育の4部門です。
私は、これまでの仕事の経験を活かしたいという思いもあり、PCインストラクターの職種を選びました。」
アフリカに行くことに抵抗はなかったんですか?
「職種が決まったら赴任先の国の希望を出すのですが、
PCインストラクターだったら、どこの国のどういう学校でこんな要請がありますというリストになってるので、その中から第三希望まで選んで出せるんです。
アジア等では普及しきっちゃってるんだと思うんですけど、私が応募した時にはPCインストラクターで要請があったのはアフリカしかなかったので、その時点で行く覚悟をしました。」
場所はどこでもよかった?
「どこでもよかったですね。アフリカじゃなくても良かったし、ザンビアじゃなくても良かった。」
応募してから派遣が決まるまでの流れはどんな感じなんですか?
「書類選考と面接があって、8月に合格発表がありました。
でも、そこからすぐに派遣ではなくて。
年に4回派遣されるんですが、どの時期になるかは人によって違うんです。
同じ時期に受かったとしても、すぐに派遣される人もいれば、1年くらい先になる人もいます。」
派遣前に何かやることはあるんですか?
「基本的に全員70日間の研修を受けるんですよ。
福島県の二本松と長野県の駒ヶ根に訓練所がありまして、そこで150人ぐらいずつ年4回行います。」
↑研修時のメンバー。
真理奈さんはどちらで研修を受けたんですか?
「私は二本松です。アフリカと東南アジアが二本松が多く、アフリカの中でもフランス語圏は駒ヶ根。後は中南米と大洋州(オセアニア)が駒ヶ根ですね
言語は英語か赴任先の言葉。
例えばベトナムだったらベトナム語、タイだったらタイ語とか。
赴任先の第一言語となる言葉を勉強します。」
じゃあ、語学が堪能な人じゃないと結構厳しいんですか?
「そんなことなくて、TOEIC330点が最低ラインです。
もしくは英検3級。
しかも特に期限がなくて、私は大学2年生の時に受けたTOEICの結果を出して受かりました。
実際、JICAの派遣が初海外という方もいらっしゃいます。
でも授業は全部英語か現地語ですね。」
研修の内容は?
「外部の方にわかりやすく研修って言ってるんですけれど、実際は、“訓練”って言われてるんですよ、JICAの中では(笑)。
朝6時半からラジオ体操とランニングと朝の点呼があって、7時から朝食。」
↑早朝の体操の様子。
↑食事のメニュー表。
「8時45分から12時まで語学を学び。昼食後13時から15時まで語学。15時から17時まで健康管理や安全危機管理などの講座を学びます。元白バイ隊員の人が来て教えてくれたりとか。結構、面白い内容です。
夕飯後は自由なんですけど、英語の宿題とかがいっぱいあって勉強しないと追いつけないので基本勉強してました。でもバレーボールやフットサルなど自主的に企画してスポーツしたり。」
「職種に関連した講座を開くこともできます。私もPCインストラクター仲間でPCの使い方に関する講座を開きました。」
PCインストラクターの教え方の授業とかはあるんですか?
「英語の授業の中で、英語での模擬授業を行います。
週一であるのでパワポで授業用のプレゼン資料を作ったり、模造紙で何か作ったりしなければいけなかったりするんですよね。
そんなのが土曜も休みなく祝日も関係なく週六日です。日曜だけ休みでした。」
↑英語の授業でのプレゼンの様子。
会社員の頃と比べてハードじゃなかったですか?
「規則などは厳しいですが、楽な面もありますよ。
だって時間割通り決められたことだけやってればいいんですもん。
自分のための勉強だから。社会人は自分で考えないといけないじゃないですか。そういうのに比べれば、学校みたいで楽といえば楽でしたね。」
辛いと思ったりはしなかったですか?
「なかったですね。一応一人部屋だったし。それが一人部屋じゃなかったら辛かったかもしれないけど。」
他にすることは?
「研修期間中に予防接種も受けます。
アフリカの場合は黄熱病とA型肝炎、B型肝炎、狂犬病、腸チフス、髄膜炎、破傷風、ポリオを受けます。
やらないのは日本脳炎くらいですね。アジア圏では、黄熱病がなくて、日本脳炎が入ります。」
↑隊員に授与される公用旅券(左)とザンビアの就業ビザ。
日本での訓練の後は?
「それから赴任先の現地で1カ月の研修があります。
私はザンビアの首都のルサカで受けました。
ルサカでの研修では、現地の安全対策や文化のほか現地語を5日間くらい学ぶ機会があります。
ザンビアの言語は70以上あると言われていて、そのうちメインで話されているのが5つほどあり、自分の任地によって何語を学ぶかが決まります。
私は南部州のトンガ語を習いました。北部はベンバ語、ルサカや東部はニャンジャ語、西部はロジ語などです。
現地での研修は銀行口座を開設したり手続きなどのやりとりが多いです。」
同期の人は何人ぐらいいらっしゃるんですか?
「私の隊次は3人しかいないのですが、今ザンビアにいる隊員は全員で80人くらいです。
派遣される時期で人数はバラバラで、今度、期間を終えて帰る人たちは19人いたり。
国によっても違います。私たちの代で一番多かったのはガーナで24人いたりとか。
1人の国もありますし。」
↑ザンビアに赴任した同期の仲間達と一緒に。
↑ザンビア赴任のJICA隊員の先輩たちと一緒に。(編集ひとりも一緒にお邪魔させていただきました。)
↑オフィスに貼られた藪さん赴任を伝える掲示物。
真理奈さんの派遣は2016年の秋?
「はい。私は9月でした。ザンビアはだいたい9月、12月、3月、6月の4ヶ月に1度、新規隊員が派遣されます。訓練後に派遣になるので、国によって少しずつずれたり、年3回しか受け入れない国もあります。」
実際アフリカに赴任してきて、想像と違ったこととかあります?
「都会でびっくりしました。
ルサカは、モールもあるし、聞いてはいたんですけど、やっぱり都会だなってびっくりしましたね。」
↑現地赴任時のセレモニー。
赴任先の街、チョマはどうですか?
「チョマって南部州の州都なんですよ。スーパーもあるし、思ってたより全然生活できるなって感じです。」
不便と感じることは?
「停電ですかね。今はまだ赴任先のロッジに滞在しているので停電の時は発電機を回してもらって、ある程度は大丈夫なんですけど、これから自分の家に引っ越したら停電の時は真っ暗になってしまうので不便だろうなって思います。」
↑チテンゲ(伝統的な布)で作ったドレスを着て、自宅が手配されるまで滞在するロッジの前で。
家はどういうところに住まわれるんですか?自分で探すんですか?
「いや、赴任先の学校やJICAが賃貸の家を用意してくれます。
光熱費は自分で払います。
平屋で、部屋が3個くらいあってキッチンとリビングがあるっていうのが多いようです。
結構こっち大家族なので、1Kの家なんて無く、一人で住むのに3LDKとかになっちゃって。
こっちは一人暮らしがそもそもないんですよね。
だから、一人でいるっていうとすごい驚かれます。
“え?家族は?”って言われます(笑)。」
給与はどんな感じなのでしょうか?
「基本、給料って名目ではもらっていなくて、生活費という形でもらいます。国によって違うんですけど、ザンビアは月450ドルくらいです。」
毎月の支出はどのくらいですか?
「生活レベルにもよりますけれど。
今、ザンビアはだいぶ物価が上昇していて、食料品も結構値上がりしてるんですよね。食費と交通費ととかで考えると平均したらいただく生活費とトントンくらいになるんじゃないですかね。
自分の家になれば光熱費も支払わなければいけないし。」
結構、外食されますか?
「今はロッジで料理が出来ないので、昼は外で食べていますね。
外で食べるかサンドイッチとか作るとかになるんですが、シマ(トウモロコシの粉で作った蒸しパンのような食事。ザンビアの主食)は安いんですよ。15から20クワチャ(約150円~200円) とかで食べることができるので。お昼の平均は20クワチャ(約200円)ぐらいですかね。」
↑ザンビアの主食シマ(手前)。
まだ赴任して間もないですが、アフリカの魅力は?
「日本よりゆったりしてますね。
ザンビアの人たちのなんかゆったりさ加減。そんなあくせくしてない。
日本はやっぱり結構忙しいじゃないですか。
あと街を歩いてて感じたと思うんですけど、挨拶してくるじゃないですか、知らなくても。
東京ではそういうのはないから、新鮮だなって思います。
田舎のお節介のおばあちゃんが住民みたいな。
今後暮らしていく中で、それが良いと感じるか、面倒くさいと感じるかはわからないですけど。」
今はどんな仕事をされているんですか?
「まだ(インタビューの時期は冬休みの時期)授業が始まってないので、今は生徒のテストの結果を入力したりしています。
あとは学校のホームページ作りを手伝ったりとか。
今、私と同僚の二人が担当することになっていて、どういう風に今後進めていこうかって打ち合わせをしている段階です。
現状、どういう授業が行われているか、まだ知らないので、それを見せてもらって検討しようと思っています。
結局、教室は一つしかないから二人で授業をすることになるのか、交互に担当クラスみたいにするのかまだどうしようかなって考えてますけど。
1月から3月が授業で4月は1ヶ月間お休みみたいに、3ヶ月ごとに1ヶ月間の休みがあって、学期の終わりはテスト期間で授業がないので、実質、毎学期授業できるのは2ヶ月ぐらい。結構、授業日数は短いですね。」
↑藪さんの配属先のPCルームがある施設の入り口。
↑藪さんのデスク。
↑同僚のトゥンガさんと教室で。
↑施設内にあるトゥンガさんのご自宅でご家族と一緒に。
JICAに応募して感じたことはありますか?
「青年海外協力隊に志願する人たちは基本自分と同年代が多く、訓練所でも28,9歳が平均でした。」
だから下の世代もいっぱいいて、私が25歳の頃だったら、多分やってみようって勇気は出なかっただろうなって思います。
若い世代が意識的に活動してることにとても刺激を受けますね。」
藪さんがJICA応募のきっかけでも話されていたように、短期間ではなかなか成果を感じることが難しいけれど、地道な持続的な活動がその地域に益をもたらす。それが海外ボランティアの魅力であり、やり甲斐なのかもしれません。
実際、MeLike旅の途中、内戦後のJICAの復興支援活動に大変感謝していると語るバングラディシュ人の青年にも会いました。
研修も含めかなり興味深い活動をされているJICA隊員なのですが、キャリアとして日本企業からはあまり高く評価されないようです。
こういった海外でのボランティア活動が日本でももっとキャリアとして評価されるようになると良いと思うのですが…。
藪さんのJICA活動の様子は、彼女のブログ『Muli buti?ザンビアでの暮らし』で見ることができます。
JICAの活動に興味がわいたアナタ、このインタビュー記事とあわせ是非チェックしてみてください。
JICA青年海外協力隊員
藪 真理奈さん
JICA青年海外協力隊員
藪 真理奈さん
1987年、神奈川県生まれ。
2010年、早稲田大学卒業、テクマトリックス株式会社に入社。
2016年、退職。青年海外協力隊でザンビアに。
2018年9月に帰国予定。