
Interview
世界一周の旅で見つけた大切なもの -これからの豊かな暮らし-
取材当日は、太士さんも関わっている、村おこしNPO法人ECOFFが主催する沖縄北部での学生ボランティアツアーの最終日でした。
学生さんたちの歓送会が行われるとのことで同行させていただきました。
柔らかい物腰で分け隔てなく笑顔で接し、学生たちの労をねぎらう太士さん。良き兄貴分として信頼され慕われています。
学生向けだけではなく、沖縄県北部のやんばると呼ばれる地域や名護市東海岸の民泊(一般家庭に泊まる宿泊形式)の魅力をPRする一般人向けのモニターツアーの取り組みなどにも携わっている太士さん。
地元の人とは異なる視点で地域の魅力を引き出し、活かそうとする彼のような存在は、観光事業の活性化や移住を促進する上で一役買っているようです。
万事順調に沖縄移住を実現したかのような太士さんですが、ここに至るまでは、過酷なサラリーマン時代を経て、長く世界を放浪するという時期がありました。
では、なぜ世界一周の旅に出ようと思ったのでしょうか?
「そもそも中学の頃に読んだ妹尾 河童の『河童が覗いたインド 』という本から受けた衝撃が旅や海外に興味を持ち始めるきっかけでした。
大学でキャンプサークルに入り、焚き火を前に旅の話をする先輩たちに影響を受け、インドに2度、それからネパール、タイ、カンボジアといった東南アジアにバックパックの旅をして、日本の生活で培った既成概念というのをまるごとひっくり返されたような経験があって。
社会人になってからも、漠然と長期の旅行に行きたいとずっと思っていたんです。
でも、残業が月200時間とかあるような忙しいところで、とても長期で休みが取れる状況じゃなかったですね。
キャンプ仲間や旅仲間が主催する野外パーティなどでみんなの旅話を聞いてお茶をにごしていました。
周りの同期たちも同じような状況で働いていて、仲も良かったので“何事も社会勉強!”という感じで、仕事もプライベートも充実していたんですが、3年くらい仕事に邁進して一山越えた時に、ふと我に返って。
このまま一生、今の会社にいる自分が想像できなかった。
自分は何がしたくて、どんなライフスタイルを望んでいるのか?改めて考えてみたんです。
そうだ、憧れていた“世界中を旅して、自然とつながりのある暮らし”をしよう!と。
もうこれしかないって思いましたね。」
それはいつ頃ですか?
「2008年に会社を辞め、すぐに旅立つつもりだったんですが、妻とつき合うことになった日に、世界一周のことを恐る恐る話してみたら、二つ返事で一緒に行きたいと言ってくれて。
翌年、奄美大島に行って皆既日食の日に入籍しまして。
野外音楽パーティがあって、キャンプや旅の仲間が大勢一緒だったのですが、友達の一人が“今日この二人が入籍しました!”って大声で言い出して。
見ず知らずの人たちも集まってきて、胴上げされたり、酒を飲まされたり、ハグされたり、恥ずかしかったんですけど、めちゃくちゃ嬉しくて。
よくわからない感情が湧き上がって、人生で一番の大号泣でした。
自分の男泣きに、周りの人ももらい泣きしてて。
“ああ、やっぱりお祭りっていいな~”と思ったのを覚えています。
ちなみに、人生2番目の大泣きは自分の結婚式でした(笑)。
それからは、ただの涙腺がゆるい人になっちゃいましたけど。
そんなこんなで、みんなに結婚やら旅行のお祝いをしてもらい旅に出ました。
大体一年ちょっとで、“東南アジアから西回りで行こうかな?”ってくらいで期限もルートも決めず、旅先で良い場所を聞いたらその都度、行き先を決めて。
東南アジアから、インド、ギリシャだけなんですけどヨーロッパへ。
それから中東、エジプトからアフリカを南下して、南アフリカから南米に飛んで。
南米を一周して、中米、カリブ海、アメリカ、最後にアラスカ、ハワイとすさまじい気温差を味わって日本に戻ってきました。」
何か旅のテーマは決めていたんですか?
「妻は、世界の料理を食べ歩きながら、飛び込みで料理を教えてもらったりしていたのですが、自分は、世界の祭りを追いかけたいと思って。
祭りの高揚感が好きなんです。根がパーティピープルなのかもしれませんが、フェスや日本のお祭りもそうですが人から出るエネルギーに引かれるものがあって。
イースター島のお祭りは、昔の伝統や言い伝えなどを取り入れていて、マッチョな男たちと南国美女たちが伝統的な衣装とボディーペイントで町を練り歩く姿は圧巻でした。
ギリシャでは何百メートルも飛ぶロケット花火を水平にとばして敵チームの教会の鐘に当てるという、とても危険なお祭りに参加しました。
死人も出ますし火事にもなる。でも止めない。
インドのクンブメーラは世界最大の祭りと言われていて。
4年に1度、3ヶ月間続けられる宗教行事で。
サドゥーと呼ばれる修行僧や信者8千万人ぐらいが聖地に集まって沐浴に来るんですけど。
裸のサドゥーたちが、狂気というか神がかっていて、身震いするくらい、ハンパじゃない熱量を感じました。
「そういう人々の熱気に当てられると、純粋に心を揺さぶられる。
自分も“うおぉぉ~っ”ってなる。
その一員でいたいというか、自分も熱くなるじゃないですか。人種も何もかも関係なく。」
価値観が広がりそうですね?
「日本では、ある程度共通した価値観があって一般的な常識ってあまり変わらないと思うんですけど、海外に行くと、必ずしもそれが世界のスタンダードではないっていうのがわかりました。
様々な環境によって色んな考えがあって。
何に幸福を感じるかの価値観も全然違っていて。
日本にいると、みんなが共有する一般常識的なものが漠然とあって、そこからずれるのは良くないとされる風潮が少なからずありますよね。
本当は人それぞれの価値観や生き方があると思うのですが。
旅に出て、世界中の色んな環境や宗教的信念をもって生きる人たち、それぞれの幸福の価値観を目の当たりにして、自分らしく生きることがシンプルで幸せなことなんだって、自分の生き方に自信がわきましたね。
特に大学1年の冬休みに1人旅した初のインドは大きなカルチャーショックを受けました。
インドの日常は、自分には非日常で。日本の常識が全く通じない所で。
日本って“人に迷惑をかけるな”って育てられるけど、インドの場合は“あなたも人に迷惑をかけるから、あなたも人のことを許しなさい”ってスタイル。
インド人はよく、しつこいとか、騙すとかいうけど、そうじゃなくて、そういう文化なんだって思うと、そのやりとりが楽しくなって。
1週間ぐらいだと嫌な面ばかりが目についてしまうんですけど、1ヶ月越えたあたりから面白くなってきましたね(笑)。」
世界を巡って特に良かった場所は?
「一番予想を裏切られたのはアメリカ。
当初、通過地点ぐらいに考えていたのですが、レンタカーで国立公園などを周ってみたら、世界の絶景みたいな場所がぎゅっと詰まっていて。
ロスからフロリダそしてアラスカへ。
「テントを買って2ヶ月半ぐらいテントで暮らしだったのですが。
キャンプ場にはwifiもあるし、シャワー室もある。下手したらプールなんかもある。
グレードが高いというか成熟したアウトドア文化が根付いていますね。」
暮らしの豊かさを感じた国は?
最近、アメリカと国交を回復するまで反社会的なイメージが強かったと思うのですが、実際はアメリカからの密入国が絶えないらしく。
キューバがすごかったのは、国交を断絶し資源が入って来ない中、まず国民が食えなきゃいけないって話になって、都市を畑に変えたんですよね。
今は、流行りと言うか、最先端な有機農法がかなり昔から始まっていて。
仕方なくてやり始めたことなのに、巡り巡って今、見習うべきスタイルとして海外から視察が来るようになったり。
それから社会主義だから貧富の差が少ない。幸せを人と比べることがない国なのかなと。
音楽と、お酒と、葉巻と。みんな集まって会話して楽しいよねって場所で。
あいつは持ってるのに自分は持ってないとなってしまうと、不幸せになってしまうのかなと。」
また行きたい運命的な場所は?
「運命的な出会いがあったのはイースター島。
イースター島には、世界一周したときに2度も行ったぐらい縁を感じた場所で。
地元のファミリーと親しくなって。
旦那とちょうど年齢が一緒で。本当に馬が合って。とてもよくしてくれて。
2週間くらい泊まっていた宿の前に住んでいた地元のファミリーと親しくなって、モアイ像そっちのけで、毎日のように遊びに行っていました。
生粋の島人の旦那さんは同じ年齢で、美人の奥さんと二人のかわいい娘がいたんですが、奥さんが3人目を妊娠中で、もうすぐ出産ってタイミングで、エアの期限がきて。
もっと一緒にいたいと思ってフライトを延長しようとしたんですけど、結局無理で旅立つことになって。
出発直前に空港でもう1回調べて、数ヶ月後に戻れる便を見つけて、すぐ予約してしまって。
それだけ一緒にいたいと思えるほど親しくなったんですよね。
戻ってきた時にはお子さんが生まれていて、パドリーノになって欲しいとと言われて。」
パドリーノとは何ですか?
「名づけ親ですね。
気安く引き受けちゃったんですが、後からイースター島では、名づけ親は本当の親が亡くなったら責任持ってその面倒を見るぐらいの重要な役割があると知って。」
どんなお名前にしたんですか?
「愛子って名前を授けました。
生まれてくる可能性が低かった子らしく。
愛し愛されるような子どもに育って欲しいという願いを込めているのと、日本のプリンセスの名前も愛子なんだよって、彼らに説明して。
その時に、うちも将来子どもを授かったら、ラパヌイ語、イースター島の言葉で名前が欲しいって頼んで。
長女の愛(まな)莉の名前をもらったんですよ。
マナは、イースター島に伝わる精霊スピリット…、言うなれば守護霊じゃないですけど、いろんな人を守ってくれる精霊の名前なんです。
マナが僕たちの子どもを守ってくれるようにってつけてくれて。
漢字でマナは“愛”と書くので、彼らに、“君たちの子どもと同じ名前を使ってるよ”って。」
結局、世界を巡る旅はいつまで続けたんですか?
「2012年に帰国して、また少しお金を貯めてからヨーロッパやオーストラリアを回ろうと、2人で伊豆の旅館に住み込みで働いて。
未経験の仕事でしたが、料理が好きだったので板場で働きました。
そうしてるうちに子どもを授かり、旅に出るのは今はいいのではということになって。
子どもが生まれる直前までそこで仕事をして、それからしばらく無職でしたね。
おかげで子育てに専念できました。」
無職でお子さんが生まれて、不安にはならなかったんですか?
「旅で得た経験の影響のおかげかもしれませんね。
伊豆の住み込みの仕事も、給料も良かったし、いざとなれば金なんて稼げる。
半年働いて、半年旅する人なんて結構いますし。
日本は安全だし、仕事すれば、しただけお金がもらえる国。
何でもできるし、何とかなる。
さすがに子どもが生まれて、ある程度安定した収入を得れる仕事に就こうとは思ったのですが。
色んなお誘いもあったのですが、東京でスーツを着る仕事は完全に排除しました。
旅した後に、色んな価値観を知って、自分は“これが幸せだ”と思う生き方が、なんとなく分かったので。
どんな環境が自分に合うかもわかったし。寒い場所はないよねとか(笑)。」
「自分は島の雰囲気が好きで。島に住みたいなと。」
なぜ島が好きなんですか?
「コミュニティの強さというか、結束力もそうだし、親戚同士の仲の良さとか。
もしかしたらそれが鬱陶しいって思う人もいるかも。
都会から来た人がすぐ帰っちゃうのは、そのコミュニティの強さになじめなかったりする。
自分もサラリーマンを辞めてすぐこっちに来ていたら失敗していたかもしれない。
自分の価値観が正しいとか思ってしまって。
でも外から来て、住まわせてもらっているという感覚でいれば、ありがたいと思うことのほうが断然多い。
関われば関わるほど信頼してもらえるし、自分の夢も聞いてもらえるというか。
宗教も様々、価値観も様々、日本のようにわかりやすいスタンダードがないような海外での生活を経験して、ありのままを受け入れられる気持ちさえあれば多分どこでもやっていけるのかなって思うようになりました。
ローカルのコミュニティが強い地域に生活する上で、旅での経験が役に立っているのかなと思います。」
将来、やってみたいと思っていることはありますか?
「旅してる人は誰しもが思うことかもしれませんが、旅ではその国の人々に優しくされて、温かい気持ちを貰うことが多かった。
わかりやすく言えば、ご飯をいただいたり、親切にされたり。
それを今度は自分がこれから出会う人たちに返していきたいという思いがあって。
今まで親切にしてくれた人に、一人ずつ直接お礼をするのは難しいけど、自分が誰かのために気持ちのいいことをして、その誰かがまた違う人に同じようなことをしてっていうポジティブな連鎖が出来たら最高だなって。
その1つとして、人が集い交流できる場を作りたいと思っています。
宿を作るのがいいのか、イベントのようにその都度ごと場を設けるのか、どういうスタイルかまだわからないけれど、集まった人同士が楽しく盛り上がれるような場を作りたいです。」
旅人を受け入れる側をやりたいということですか?
「そう、今度は自分が受け入れる立場になりたいなと思って。
旅人気質の人は一ヶ所に根を張りたがらないものですが、長く旅して、今は根を生やし、そこに人を呼び込むことがしたいなと。
いろんな世界の人が来てくれれば世界中の価値観をそこで吸収できるし。
自分も成長できるし、人を成長させることもできる。」
そういういう意味で、この沖縄の名護って場所は最適なのかもしれませんね。
「様々な人が来るので、色んな可能性がありますよね。
今はまだ構想段階ですけれど、同じような思いを共有している人もいるし。
できたらいいなと。
特に沖縄の北部は、観光地としてでき上がっている那覇とかと比べて、手つかずというか豊かな自然に恵まれた場所なので。」
沖縄に住んでみて、自然と共に暮らすことって大事だと感じますか?
「とても大切なことだと感じています。
家の目の前はマングローブが群生する河口ですが、毎日、毎時間、潮の満ち干きを見て感じられる。
海のない所にいたら月の満ち欠けや、干潮、満潮とかって全然意識しないし、関係ないじゃないですか。
沖縄では今も伝統行事は旧暦に合わせて行われることが多いんです。
月の暦って自然のリズムなので、何の日には、どういう現象が起きるかがだいたい当たっているんですよ。
この日は風が吹くとか、魚が寄ってくるとか。
だから海を見て、今日はすごく引いてるな、大潮だなとか、星空を見て満月だとか、新月だとか。それでどんな日か判断する。
沖縄の人は、今も昔も月の暦、自然のリズムに沿った暮らしをしてるんですよね。
だから人が自然の一部だってことを感じさせてくれる場所なのかもしれない。
近いですよね、自然と人間の距離が。
以前は大きな会社で働いていて、扱ってる金額だけは大きい仕事をしていたけど、自分の存在意義を感じづらいというか、自分の仕事が世の中でどんな役にたっているのかわかりづらくて。
もうちょっと血の通ったというか、人と触れ合う仕事がしたいと思っていたし、自然に根ざした生活がしたかった。
ようやく、やりたいことに向かって一歩進むことができたのかなと思います。」
最後に太士さんが思う、これからの豊かな暮らしとは?
「1つ重要なのは、誰かと比較しないことじゃないですかね。
有名な歌ではないですけど、ナンバーワンって誰しもがなれるわけじゃないじゃないですか。
でも生まれた時点でオンリーワンで。
暮らし方、仕事の仕方もそうだけど、自分らしさを自分で認める、自分のことを好きになる、自分のスタイルを好きになるっていうのが幸せに生きる価値観なのかなと思います。
色んな挑戦もしなければいけないし、やるべきこともあるだろうけど、無理してストレスを抱えて、果たしてそんな自分をちゃんと好きでいられるの?って。
自分も猛烈サラリーマンをやった経験があってこその今があると思ってるので、その時々に与えられた試練みたいなものも必要だとは思っています。
でも、最終的に自分がこうありたいと思う方向に、自分の心もちゃんと寄り添っていけることが重要だと思います。」
名護市企画部企画調整課 エコツーリズムコーディネーター
松尾太士さん
名護市企画部企画調整課 エコツーリズムコーディネーター
松尾太士さん
千葉県出身。2008年に勤めていた会社を辞め、2009年より、奥様の祥子さんと共に世界一周の旅へ出発。帰国後、旅行中に撮影した絶景写真が書籍『撮り・旅! 地球を撮り歩く旅人たち』に掲載される。2014年より沖縄県名護市役所に勤務、地域おこしのサポート担当役として活躍中。2016年5月に第2子を授かる。
BOOK
『アルケミスト』
パウロ コエーリョ 著
毎回読むたびに刺さるポイントが違うというか。
旅に出たらわかるかもしれない。
夢を持ちつつ、どん底に落ちたからこそ、次に得るものがあるということを教えてくれる。未来に対する恐れがなくなると言うか。
この本のおかげで、旅中も、自分たちが変な目に遭うことはないって変な万能感はありましたね。最悪、命さえ取られなければいい、次があるみたいな。