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Interview

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明るい未来の兆しは、東京の西の最果て奥多摩からやってくる!?

株式会社東京・森と市庭
菅原和利さん

東京都の約36%は森で占められているってご存知でしょうか?実に23区の面積を超える広さです。
しかし、その多くは、山村地域の少子高齢化、林業の衰退などによって有効活用されていない状況にあります。
そんな状況を打開すべく、東京の森の多くを有する奥多摩地域で、新しいスタイルの林業に取り組んでいるのが株式会社『東京・森と市庭』
木々を商品として扱うだけでなく、森自体の価値を資源と捉え、都会と森をつなぐ様々な事業を展開しています。
今回、インタビューさせていただいたのは『東京・森と市庭』で奥多摩の顔として活躍する菅原和利さん。
元々、神奈川県小田原育ちの彼が、なぜ森深い山間地域、奥多摩を住まい働く場所として選んだのか?
『東京・森と市庭』の仕事についてのお話を伺いながら、奥多摩の暮らしの魅力についてお聞きしました。

東京の森をもっと身近に!
これからの林業を担う
『東京・森と市庭』の取り組み

『東京・森と市庭』の取り組みについて教えてください。

「一番大きいのは、林業が成り立たなくなっている現状を解決する取り組みです。

奥多摩の森林の施業管理、森林資産の生産、採れた木材の加工、販売まで携わっています。

これまで樹齢何年というスペックである程度決まっていた市場価格が成り立たなくなってきていて、だったら市場に乗せずに、最終製品をお客様に届けるまでを一貫して行おうと。

通常木を切る人、製材する人、加工する人、それを売る人って、それぞれが分かれてるんですけど、それを全てまとめて行うことで、コストを抑えることと同時に、一貫したストーリーで商品を販売する事ができます。

そのために、山主さんには山林を現物出資でご提供いただきました。」

↑『東京・森と市庭』が販売する『モリユカ・09』という多摩産間伐ヒノキ材を使用した床材。断熱性に優れ、人肌に心地良い温もりある空間を作り出します。6,000 円/㎡(税別)

↑オフィスや商業施設向けの『モリユカ・レンタルというレンタルサービスもあり。

「通常の木を売るメーカーの場合は、木は木そのものの価値しかないと思うんですけど、私たちの場合は木というよりも、林業全体、森全体の最適化を考えた上で、どういった商品を作っていったらいいかを考えています。

商品を作っていくにあたって、都心の方に東京の森、奥多摩の現状を知っていただきたいと思っていますし、同時に都心での日々の暮らしの中、働く環境の中で、木々を少しでも身近に感じてもらいたいという思いから、豊かな自然が残るこの奥多摩地域を拠点に、ここでなければ体感できない体験プログラム、ワークショップなども展開しています。」

自身の体験から
“森”に関心を持つことに

菅原さん、もともと林業に関わるお仕事をされていたのですか?

「いや、私は林業に関わり始めたのはつい最近、この会社に入ってからです。

私は林業よりも、この奥多摩に深い関わりがあって。

大学時代に遡るんですが。環境問題について学びたくて法政大学人間環境学部に入学したのですが、
ただ学問するだけじゃなくて、実際にフィールドに出て現場で実践してみたいと思っていて。

そもそも環境に関心を持ったのも、小学生の頃の実体験からなんです。

当時横浜に住んでいて、低学年の頃、急に喘息になってしまって。

10回ぐらい入退院を繰り返し、「そんなに長く生きられないかも」と、医者に言われた時期があったんですよ。

酷い症状が続く日があり、でもなぜか森の中にいくと身体が楽になった記憶が子どもながらにあって。

実際、都心と比べ野原や木々が残る小田原に引っ越してからは喘息がピタッと止まったんですね。

幼い頃に環境の変化が人に与える影響を身をもって体験して。また自然の中にいることの楽しさ、快適さもその時に実感しました。

社会人への入り口となる大学で何を学ぼうかと考えた時に、身体が弱かった時期に助けてもらったというか、お世話になった、森や環境について学びたいなと考えました。」

↑『東京・森と市庭』と事業連携している山主さんの森。向かって右が整備されている森。左が整備されていない森。整備されている森は日差しが根元にまで差し込んでいる。

環境系ということは理系の学部だったんですか?

「理系ではなく、文系で。人と環境との関わりを考える経営とか、法律とか、社会の政策とか様々なアプローチで環境問題を解決する学部でした。

机の前でじっと座ってるタイプではないので、理論を実践する現場が欲しいなと探していたら、環境系のサークルがあって。

説明会が開催されるとのことで行ってみたらいくつかの団体が活動紹介をしていたのですが、唯一、心に響いたところが、奥多摩を拠点に環境問題を考える『水と緑フォーラム・HOSEI』というサークルで。

説明をしていた先輩方がとても素敵な方々で、活動内容もしっかりしていて、「この人達と一緒に活動したいな」と思って、説明会が終わった後その場で入部しました。

“奥多摩”という場所は、その時初めて知り、地域との関わりはそこからスタートしました。

主なサークルの活動として地元の方にお会いしてヒアリングをするフィールドワークを行っていました。」

okutama sa-kuru


ある日、先輩達は就活で、他のメンバーも授業で、たまたま参加できるのが私一人だけだったときがあり、単身で奥多摩の人達に話を聞くことになりました。

地元の70代のおじいさん達と昔の山の暮らしについて聞いていって。

年配の方に囲まれて地域の話を聞くなんて経験はそれまでなかったので、新鮮ですごく面白くて、楽しいお酒の席だったのですが、突然一人のご老人が酔っ払ったのか、“この町は死んでるよ!”って叫びだして。

そうしたら、その方が私に向かって、“君はこの町を変えられるのか!?”って言うんですよ。

いや、変えるも何も、奥多摩を知ったのも最近だし、皆さんとお会いして話すのも初めてなんですけど…って(笑)。

その場は、事も無く収まったんですが、その時から何か、ずっと引っかかっていたんですよね。

高校生まで与えられた勉強や部活動や言われたことをやって。試験でいい成績取ったり、大会でいい記録を出して。決められた中で成果を残すって事をやってきて。

一方で、初めて社会に出て、奥多摩での体験が自分の初社会人体験だと思ってるんですが、奥多摩というフィールドに出てみたら、いきなり課題があるっていう。

“町が死んでる”って状況に対して、解決策を求められて。

地元の人は未来に対してネガティブだし、状況のわかってない学生につっかかってくるのもお門違いだし、自分もノウハウがあるわけでもないし、むちゃくちゃだよと思いながら。

変な性分かもしれないですけど、そう言われたからには、やってやろうかって思ってしまって。

そこから、先輩が同行するとか、同級生の仲間が一緒に来るとか関係なく、地元の人から連絡が来たら必ず行くみたいなことをずっと4年間繰り返してました。

実家が神奈川の小田原で、奥多摩までは電車で3時間半かかりましたが、月に多い時で5、6回ぐらいは通って。

そのおかげで、奥多摩地域のキーマンの方々とつながりができました。

利害のない学生だからか、いろいろと教えてくれて。

山の暮らしと、環境問題と、まちづくりについて学ばせてもらいました。

きっかけは、“君はこの町を変えられるのか!?”って言葉に対して、一矢報いたいという反骨心みたいなものだったのですが、なんとかしたいなと思って。」

 

自分で課題を見つけ、
解決する仕事をしたい!
実践する場は奥多摩しかない!

「それから奥多摩での取り組み以外にも、千代田区の都市政策のゼミに入ったり、ファシリテーションやワークショップの勉強をしたりしましたが、結果的に将来を考えた時に、自分で起業したいなと思うようになったんですよ。

自分で課題を見つけて、解決していくことをやり続けられるのが幸せだなと思って。

与えられたことじゃなくて。

そんなことを考え始めた時に、大学の近くに、『アミタ』株式会社という環境コンサルの企業を知りました。

そこのコンセプトが、企業として持続可能な社会を実現するために、事業を作り続けるとういうもので。正に、自分が学んでいる環境問題の課題解決をそのまま事業化してると感銘を受けて。

たまたま、タイミングが良かったのですが、『アミタ』社の資源を使い、新しい事業を立ち上げていく“未来を創る地域デザインプロジェクト”という取り組みが始まるタイミングで、是非参加したいと頼み込んでインターンをさせてもらうことになりました。

インターンの活動の中で、“リーダーシッププログラム”という、自分らしさを発揮するリーダーシップにはどういうことが大切かを分析するようなワークショップを会社が用意してくださり、それを受けたら、いろんなことが整理されてきて。

結論としては、“今すぐ起業したい”ってことで自分の中では、腑に落ちて納得して。

実は、内定をいただいていた会社があったのですが、辞退しました。」

具体的に何かやりたい事業があったんですか?

「起業の道を選ぶことにしたのですが、実際、何をやろうかと。

自分が提供できる価値って何だろうと、つきつめて考えたところ、いき着いたのが奥多摩の人たちとのつながりでした。

奥多摩の地域の民族学だったり、人とか自然とか、町のこととか、多分誰よりも説明できる。何より町の課題と可能性に気付いていたんです。

だったらまず移住して事業プランを考えていけばいいかなと思って。

卒業を3月に控えつつ、2月に移住して。」

↑インタビューが行われた『東京・森と市庭』が多目的スペースとして運営する『OKUTAMA Field』(旧小河内小学校)。

既に卒業時に奥多摩に移住されていたんですね!?

「もえぎの湯という温泉施設でバイトしながら最低限のお金を稼ぎながら、旧学生寮を地元の人に交渉していただいて月家賃5千円で貸してもらうことができました。

そこに住みながら、バイトをしている時間以外は事業プランをひたすら考えては検証するのを1年ぐらいやり続けて。

奥多摩の地域の資源は大体把握した中で、2つの可能性を見出しました。

一つは空き家。当時250軒ぐらい(現在は374軒)あって。

シェアハウスって言葉が出始めたぐらいのタイミングだったので。シェア別荘をやろうと。

もう一つは、キャンプ場や森の中などの奥多摩の自然を活かしたアウトドアウエディングコーディネート。

“人と地域の一生をデザインする”をコンセプトに、地域の方々の才能を発掘し、事業の中で活かしていただきながら、地域のリピーターをつくっていく地域プロダクション会社を2011年に23歳で起業しました。」

起業、挫折…
そして復帰。
全ては奥多摩へと つながる運命!

起業された年は、東日本大震災が起こった年ですね。

「震災で事業どころじゃないって状況だったんですけど、決めていたことだったのでスタートしました。

遊ぶ場所がなかった福島県伊達市月舘町の子ども達を奥多摩に呼んでキャンプをするイベントを開催したりなんてこともしました。

地道に事業を行っていたんですけど、翌年、2012年に実家に帰ることになって。」

震災の影響で?

「震災とは全く関係なく、家庭の事情でどうしても実家の小田原に戻らなければならなくなってしまいました。

いろんな方を巻き込んで、ようやく立ち上げた会社を、どうにもならない家庭の事情とは言え、休眠させるって言うのは、すごく大変な判断だったのですが。

仲間達はいるし、親交は続いていくんだろうなと思っていたんですけど、出て行ったら最後というか。

もう奥多摩には二度と戻って来れないという覚悟での決断でした。

お世話になって、迷惑をかけて、事業的にはまだまだ成果を残せないままの状況だったので。

実家に戻ってからは不動産の営業に就いて、全く180度違う環境で。

社会の課題解決とか、ソーシャルって言葉なんか一言も出てこない所で、当たり前なんですけど、とにかく売り上げの数字を達成していくことでしか認められない環境に入りました。

最初は慣れなくて、全然数字が上がらなかったんですけど、それは結局自分の気持ちが中途半端だったと言うか。

奥多摩のことも気になって、また戻りたいなと思いながら、中途半端な気持ちで仕事と向き合ってたからだと自覚して。

頭を切り替えて集中してやるようになったら数字が上がっていくようになりました。

小田原での新しい生活にようやく専念し始めた、そんな頃に…。

『東京・森と市庭』で働かないかという話をいただいて。

丁度、『東京・森と市庭』が設立されるタイミングで。

実は、『東京・森と市庭』の設立に参画していた『トビムシ』という会社は、『アミタ』の元子会社で。

『東京・森と市庭』の代表の竹本も『アミタ』に所属していたことがあって。

奥多摩で『東京・森と市庭』という会社を作るから、現地で動けるような人間を知らないかと、いろいろな人に聞いていたみたいで、その時に、友人が僕を紹介してくれたんです。

とてもありがたい話だったのですが、小田原の不動産会社にもすごくお世話になっていたので、とても申し訳なかったんですけど。

実家の件も一段落していたので、本当のところ願っても無いチャンスだったので。

心機一転、また奥多摩に戻ることを決意しました。

2013年の10月1日から、『東京・森と市庭』で働くことになり、晴れてまた奥多摩に戻ることが出来ました。

当日、奥多摩駅に到着するまでは、本当に戻ってこれるか信じられなかったんですよ。」

運命的ですね。いろんな事があったけど、結局、全てが奥多摩で『東京・森と市庭』の仕事をすることにつながってたみたいな!

無駄を省き、
軸が定まれば快適
Simple is bestな奥多摩ライフ

実際の生活についてお聞きしたいのですが。奥多摩の生活は、都心での生活と比べてどうですか?

「家賃も僕の6Kの古民家で3万とか。高くても7万とかで一軒家に暮らすことが出来ます。

都心の暮らしと比較して、かかるのはガソリン代。

移動は車がないと厳しいので。それ以外はそんなにかからないですね。

食材も猟師さんや畑をやってる地元の方と仲良くなるとおすそ分けをいただいたりします。

自分自身で畑をやることも出来ますし。食材のコストは圧倒的に安いです。

あと、これは街並みの話なのかもしれないですけど、マーケティングされた広告がほとんどないっていうのは都心と全く違うところです。

おかげさまで余計な消費が全然ない(笑)。

しかるべきタイミングで必要なものにしかお金を使う理由がないっていうライフスタイルになっていますね。

便利な都会に暮らしを合わせていくのではなく、自ら暮らしを作っていきたい人には奥多摩は最高の地だと思います。

妻も結婚前は、都心で働いていたのですが、今は地域の中で働きながら自分でブログを立ち上げて、そこでも稼いでいます。

自律的に生計を立てる事に関心がある人は楽しめる町だと思います。」

↑2015年6月7日に『OKUTAMA Field』(旧小河内小学校)で行われた菅原さんの結婚式。企画・演出を菅原さん夫婦で考え、運営は友人たちと共に手作りで作り上げたのだとか。手伝ってくれた友人スタッフを含め参加者約200名という大パーティ。

↑夫婦の初めての共同作業は、東京の森の間伐ヒノキ丸太を二人用ノコギリでカットする“ヒノキ カット”を披露。
「私たちにとって一生に一度の“檜舞台”として、東京の森で挙げる結婚式ならではの演出で皆さんに楽しんでいただきたいと考えました。」(菅原さん談)

逆にそういうことにモチベーションというか、楽しみが得られる人は都心よりも楽しい?

「そうですね。結局、奥多摩の豊かな自然や、人とのつながりを生業でどう編集していくのかってことを楽しめる人にはいいと思うんですよ。

何が得意か、どのように生きていきたいかがちゃんと定まってないと、奥多摩では仕事がなかなか形にならなかったり、お金がうまく稼げないと思います。

私自身もまだまだそうで、今も挑戦中なのですが。一つの事業が形になるまでってすごく大変ではあるのですが、軸が定まれば、どんどん余計なことをしなくなると言うか、それ以外にぶれ無くなってきます。

移住して来られる方は、皆さん、立ち上げの時は苦労して大変そうなんですけど、それ以降はそれぞれのライフスタイルを築きつつ、自分のペースで成果を出している方が多いかなという印象です。」

東京の際、
奥多摩から始まる
新しい未来

今後やっていきたいことは?

「これまで奥多摩地域と関わってきて、自分の幼少時の経験とか、そういったこともひっくるめて地域に恩返ししたいなって気持ちがあって。

以前、起業したタイミングでは、何をするかを見い出せないまま走っていた部分があったのですけれど。

今は『東京・森と市場』という会社に入り、奥多摩の94%を占める森の資源がうまく活用されていない現状を変えていって、森の未来を明るく出来たらと思います。

都心に住む人達の日常に、“暮らしの豊かさ”や“森を感じる体験”をもっと増やしていけたらいいなと思っています。

最近は奥多摩での体験プログラムの案内だけじゃなく、東京の森の木材でできた商品を都心で営業する仕事もやっているので、都心に“森の空間”をもっと増やしたいです。

結果的に、ちゃんと数字を上げていって、ビジネスとしても持続可能なものにし、スタッフも増やして、奥多摩をさらに楽しい場所にしていきたいですね。」

奥多摩に住む人を増やすような?

「そうですね。奥多摩の資源を発掘して、形にしていく仲間を増やしたいです。

もっと色んな人達がこの地域のことを好きになってくれて、関わってもらえたら、暮らしも仕事もさらに楽しくなると思うので。そこを先頭切ってやっていきたいと思ってます。

人口は減ってきていて、僕が初めて奥多摩に来た頃は7千人だったのが、今は約5千4百人になっていて、ちょうど10年間で、1千5百人近く人口が減っていっています。このままいったら町がなくなってしまう。

そういう極限の状態になった時に、新しい価値観とか、新しい時代の基軸が生まれてくると思っています。

私自身、元々自然豊かな場所は大好きなんですけど、六本木ヒルズみたいな超都会的な高層マンションに住みたいって憧れた時期がないわけでもないんですよ(笑)。

でも、奥多摩を訪れたり、市ヶ谷の学校や都心で学生生活を過ごしたり、両方を知った上で、どっちが豊かかなと自問した時に、圧倒的に奥多摩の人達のほうが圧倒的に輝いていたんです。

自分自身ものめり込むように奥多摩の森暮らしにすっかり魅了されていきました。

奥多摩で暮らす価値観のほうが、これからの時代、より本質的じゃないかと直感的に思いました。

奥多摩の暮らし方・働き方を自分自身で体現し、もっと多くの方々が地域に入りやすい仕組みを作ったり、東京の森の木を使ってオフィスを木質化することで、都心の生活をより豊かにしていける提案をしていけたらと思っています。

そんな仕事をやり続けられる環境を与えてくれた『東京・森と市庭』にはすごく感謝していますし、もっと事業を大きくしていきたい。

大きくって上場しようとかじゃなく、持続可能な形で永く深く関わっていきたいと思っています。」

↑菅原さんの取材にご同行いただいた『東京・森と市庭』の仲間のお二人。
菅原さんのような地域や環境のために真摯に取り組んでいる人達の仕事に価値を感じると語る平野晴世さん(左)は「自分が間接的に応援する働き方もある」とIT企業から『東京・森と市庭』に転職。
北海道の大学の農学部で森林科学を学んでいる藤田敦子さん(右)は、「アカデミックなことだけでなく社会に直結したことがやりたい」と林業の現状を学ぶために2015年より休学して『東京・森と市庭』でインターンに。

新宿から約1時間半。東京のオアシス、奥多摩。
こんな森深い場所が都内にあるなんてご存知でしたでしょうか?
過疎化による衰退は否めないものの、菅原さんをはじめ『東京・森と市庭』のみなさんの取り組みによって、少しづつ街の空気が変ってきているようです。
いつの時代も新しい変化は辺境からやってくる。
あなたもその兆しを感じに奥多摩に足を運んでみてはいかがでしょう?
Profile

株式会社東京・森と市庭

菅原和利さん

株式会社東京・森と市庭

菅原和利さん

1987年生まれ、神奈川県小田原市出身、​東京都​奥多摩町在住。
法政大学人間環境学部在学時から奥多摩町でまちづくりに取リ組み、卒業後は同町へ移住。
空家をシェア別荘化する事業や、地域資源を活かしたアウトドアウェディング事業等を行う地域プロダクション会社を​23歳で​起業。
その後不動産営業を経て、株式会社東京・森と市庭へ合流。同社では東京の森と都市をつなげる営業活動を担う。

KAZUTOSHI SUGAWARA's
FAVORITE TIPS

BOOK

『思考するカンパニー』
熊野英介著

インターンをしていた『アミタ』の社長が書いた本です。自分が考えていた理想以上の事を事業として成立させている方なんですね。勝手に師匠だと思っていて、本当に尊敬しています。大学生の頃から何度も読んで、共感する文が多すぎてほとんどのページに付箋を貼るみたいな(笑)。内容は全部面白いんですけど、特に「新しい時代を創るものは、常にその時代の辺境から現れる」という一文。中心になってる価値からじゃなくて。それって東京で言ったら奥多摩かなと思って。大事にしてる愛読書です。

MUSIC

『終わりなき旅』
Mr.Children

『東京・森と市庭』のスタッフとして再び奥多摩で働くことが決まり、実家から奥多摩に出発しようと車を走らせた瞬間にラジオから流れてきた曲です。奥多摩に戻っていいのかなってずっと不安だったんですけど。歌詞の内容と自分の心情が全く一緒で。今でも行き詰まった時に聞くと、元気と勇気をもらえる曲です。