Quest for quality life through traveling around the world.

Interview

14

移住女子のカリスマが語る これからの時代を豊かに生きる近道!

地域プロデューサー
栗原里奈さん

最近、よく耳にするようになった都市から地方への“移住女子”。そんな移住女子の憧れ的存在である栗原さん。縁もゆかりも無い土地、新潟県川口市に運命のように導かれ、旦那さんと出会い、お子さんを授かり、新潟の大きなイベントのプロジェクトをプロデュースし…と、公私共に充実した移住ライフを過ごされていらっしゃるようです。
どうしてキャリアOLから一転して、移住女子の道を選んだのか?
これからの豊かな暮らし方のヒント、お伺いしてきました。

都会のキャリア志向から
移住女子へ180度転換!

かつては大手IT企業のOLさんだったんですよね?新潟への移住のきっかけはなんだったんですか?

「もともとは千葉の松戸出身で、東京にすごく憧れていて。

学校を卒業後、大手企業勤務、結婚しても働く…みたいな、いわゆるTHE王道のバリキャリとまではいかなくても普通に働きながら、いつかは子どもを産んで東京に住みたいというのが夢というか。それが成功者というか。

そう思っていて、短大を卒業して、大手のIT企業に就職し学生時代では考えられないような収入を得られるようになって。いわゆるキャリア志向OLでしたが、旅行やショッピングも楽しんで。恋愛もして。その時は、自分が思い描いていた道を着実に歩んでいると思っていて、かなり充実していました。

服装も全然こんな感じじゃなかった(笑)。当時の服はほとんど売りましたね(笑)

東京はイベントも、美味しいものもたくさんあるし、お金さえあればすごく楽しめる所。思い返せばそういう風に思っていたんだろうなと思います。

そんな中、2011年の東日本大震災が起こって。

お米がなくて急いで買いに行ったら、買い占めがあって。お米だけじゃなく水やトイレットペーパーやいろんなものがなくなっていて。

仕事休みの平日に近所のスーパーに朝早くから並んだんですが、既に長蛇の列で、ちょうど目の前でお米がなくなってしまって。

あ、お金を持っていてもお米が買えない、ご飯が食べれられないことってあるんだって。お金は絶対的ではないんだってすごく感じて。

その体験が衝撃過ぎて自分の今までの価値観が180度覆って。

お金がなくても食べ物を作れるスキルとか経験とかを持ちたい、生きる力を持ちたいとすごく思うようになって。

それから福島の原発のことがあって。

当時、実家に近い、柏市がホットスポットですごく話題になったんですね。

弟に小さい子どもがいて、水も買占めで買えなくてミルクが作れないという状況を目の当たりにして、もうこのまま首都圏で子どもを育てることは難しいかもしれないってビビッと感じて、すぐにでも地方に行かなきゃ!っていう気持ちになってしまって。」

「自分で生きる力を養いたいということと、結婚もしてなかったのですが子どもを養える環境に身を置きたいという2点から、地方に移住をしたいと強く思うようになりまして。

今まで大好きだった東京から離れたくて離れたくて。

移住の手がかりになるものがないかネットで調べたり、震災関係のイベントに参加したり、移住イベントに顔を出したりとかして。

そんな時に元同僚が私よりも先に仕事を辞めて新しい会社を立ち上げていて、うちで働かないかと言ってくれて。

その会社の事業内容は、様々な地域に東京から人を連れてくるツアーのプロデュースやコーディネートで。

そのひとつとして、この荒谷集落に関わることになって。

荒谷集落は、長岡市旧川口町北部の中山間地域で、昔ながらの生活の知恵や技術が脈々と今に受け継がれている場所で。

2004年に起きた新潟県中越地震の震源地だった地域なのですが。道が分断され自衛隊の支援が入ってこれない最悪な状況下に陥りながら、冬の豪雪をしのいできた知識と経験で地域の人たちが寄り添い助け合い、その苦境を乗り越えることができたそうなんですね。

ちゃんと保存食の蓄えもあったし、お米もあったし、畑に行けば野菜も少し残ってたし。

甚大な被害を被りながら前を向いて力強くたくましく生きる姿を目の当たりにして、心を打たれて。荒谷地域の人達の生き方こそ、正に私が求めていたものだと。

私もこうなりたい、ここに住みたいと思って。

荒谷集落のサポートとして裏方スタッフをしていた主人とも運命的に、ここで出会うことができて。

その後、荒谷集落と関わりを持ちながら、その会社には3か月勤め、その後、六本木農園にスタッフとして参加することに。」

“食”に関心を
持つ きっかけとなった
六本木農園での経験

「六本木農園はumariという会社の一事業部門で、この夏に閉園してしまったのですが。

つながりを持った全国各地の農家さんから直接届く新鮮な食材を使った料理を出すレストランだったんですね。

単に飲食サービスだけでなく生産者と消費者をつなぐ取り組みもしていて。

東日本大震災の直後に、東日本地域の生産者さんをゲストとして呼んで、農業の現状や東京に住む者として地方の生産者さんのために何が出来るかを討論するイベントが開かれたんですね。私は普通の一参加者として参加して。

これは、ただのレストランじゃないぞと、もっと六本木農園について知りたいと思いまして。

そこで、イベントを主催された当時の六本木農園の園長、堀田幸作さんと知り合いになって、facebookのタイムライムを遡っていたらスタッフ募集の記事を発見して!

すぐさま応募して。

実は募集は既に締め切られていたんですけど、私の履歴書を読み、面白そうな子だと思ったらしく、会ってくれて。即、採用されて。」
「イベントを任されるようになり、主に『農家ライブ』というイベントを担当することになって。

店内のステージに、生産者さんがプレゼンターとして登壇して、お食事に来たお客さんに農産物や農業への熱い思いを語るトークライブで。

いろんな方々をアテンドさせていただいて。様々な地域の生産者さんにお会いして、それぞれの思いや苦労、色々な価値観や食の見方を学ぶことができました。

地域と都市を結ぶ役割を担うことも面白かったし。

イベントを仕切りながらレストランでのサービス業にも従事してましたし。

自分としては修行のつもりで、いろんな経験をさせていただき。

六本木農園でお世話になった6ヶ月間は、まるで2,3年ぐらいたったかのような濃密な期間で、食に関心を持つ大きなキッカケになりました。

地域の魅力の一つの要素として“食”っていうのは大きいなと。

誰もが共有でき、共感できるテーマを扱うのは、自分の性にもすごく合っていたし。

とにかく六本木農園が私に与えてくれた影響はとても大きかったですね。」

食を通じて
新潟の 歴史や風土を感じる
『潟るカフェ』を プロデュース

新潟に移住後、どのようなお仕事に従事されたのですか?

「その後、結婚を期に退職したのですが、新潟のプロジェクトがあるとのことで、今までのイベント担当を引き継ぐ形で、個人事業主として外部契約という形で、umariのスタッフとして働かせていただくことになりまして。

新潟の生産者さんを新規開拓する営業の仕事だったり、取材をしたり。

日本トラベルレストランという新潟市の観光コンベンション協会さんと一緒に、新潟市と佐渡市、村上市の観光圏を活用したツアーを考えたり。

子どもができて、一時期、仕事をセーブしていたのですが、新潟市で2015年の7月18日から10月12日まで開催された『水と土の芸術祭』というイベントの『食・おもてなし事業』のプロジェクト『潟(かた)るカフェ』に、プロデューサーとして関わらせて頂きました。

新潟市には、“潟” と呼ばれる大小様々な沼沢が、大河が運ぶ水と土が流れ込む低地と海と風が作り上げた砂丘地という特徴的な地形によって生まれ、独自の自然環境、暮らしや文化を育んできました。新潟の地名は“潟”に由来するとも言われています。

『潟るカフェ』は新潟のアイデンティティである“潟”をキッチンカーで巡り、カフェを設営し“食の交流会”を開催してきました。旅人が地元の人と出会い、郷土の料理を通じて地元の歴史や風土などの背景も感じる。そんなストーリーを描いて、組立てていきました。

“潟”ごとにカフェの設えを変えていくというスペシャルな試みも行いながら、新潟の食材を使い郷土料理を現代的にアレンジした食事をふるまいました。

豊かな食にも恵まれ、素晴らしい食文化が出来上がり、それが継承されて…ということまで感じてもらう場を作り上げてみたいと。

新潟って素晴らしいんだと。

私自身、“潟”を実際に巡ってきて、本当に実感しました。」

↑福島潟での『潟るカフェ』ディナーイベント。水と土の芸術祭2015 アーティスト金野千恵さんが撮影されたお写真より。

↑鳥屋野潟で行われた『潟るカフェ』の様子。お食事は煮菜や糸ウリ、藤五郎梅など昔ながら大切に使われてきた保存食を中心に少しアレンジを加えて、お弁当スタイルで提供されました。料理家、鈴木将さんが撮影されたお写真より。

「それから、『潟るカフェ』を成し遂げることができたのは、多くの方々のご協力のおかげでして。

『水と土の芸術祭 』食・おもてなしディレクターとして、『潟るカフェ』をPRしてくださったフリーアナウンサーの伊勢みずほさん

潟ごとに設えを変え、私たちの考えに寄りそって設計して下さった建築設計事務所teco金野千恵さん

地域の人と信頼を構築し、素晴らしい料理のレシピを考案し調理してくださったSho Suzuki Inc.オーナーシェフの料理家、鈴木 将さん

ボランティアの方々や、お越しいただいたお客さんや、この企画を温かく受け入れて下さった地域のみなさん。

本当に様々な方々にお世話になりました。

『潟るカフェ』の経験を元に、風土、人などの要素まで取り入れた食に関する取り組みを今後も別のプロジェクトでつないでいこうと思っています。」

地元の食の伝統を守るために
狩猟免許を取得!

最近、狩猟免許をお取りになったとお聞きしたのですが…!?

「この川口地域は代々、狩猟の伝統がありまして。

その昔、動物の肉は大変貴重で、積雪2~3m超えは当たり前の豪雪地にとって冬のタンパク源は山にいる兎や猪だったんですね。

兎肉の混ぜご飯“兎まんま”が、今も郷土料理として残っています。

川口の猟師さんの狩猟技術のレベルの高さはハンパじゃないんですね。

狩猟の伝統を守る目的で開催された食のイベントがあって、地元の猟師さん達が獲った猪、兎、鹿の肉を一流シェフが調理するという内容だったのですが、料理を担当してくださったジビエ料理の第一人者、ラ・ブーシェリー・デュ・ブッパの神谷英生シェフから『こんなに本来の肉質も良く、撃ち所もいいジビエは日本で他にない!』というお褒めの言葉をいただくほどなんですね。

頭を撃つか、胴を撃つか、足を撃つかで肉の味が変わってしまいます。

兎なんてとても小さいのに必ず打ち所の頭を確実に仕留める。それを的確にできる腕を川口の猟師さんは持っている。

そんな中で、宮日出男さんという方は、この地域の生活を支えてきた狩猟の伝統を今に受け継いできた第一人者でした。

荒谷集落の地域活性化団体『はぁ~とふる荒谷塾』の塾長を務められ、とても求心力があって、エネルギッシュな方で、個人的には主人との出会いのきっかけを作ってくださったり、今住んでいる家を見つけてくださったり、私が心底尊敬している方なんです。

その方が足の不調から40年以上続けていたハンターを辞めてしまわれて・・。それをお聞きした帰りの車で、泣いてしまったくらい本当に衝撃的でした。

この地区に代々受け継がれてきた、狩猟の伝統、食の伝統が途絶えてしまう危機を痛感してしまって。」

↑宮日出男さん(左)夫妻と撮影した一枚。栗原さんの旦那様と娘さんも一緒に、とても素敵なショット。

↑栗原さん取得した第一種猟銃資料免状。

「地域を支えてきた猟師さんの技術が廃れること、郷土料理の伝統が失われること、それは本当にもったいないと思って。

家族のようなお付き合いをさせていただいてる日出男さんは私にとっておじいちゃんのような存在。

日出男さんが祖父の後を継いで猟師になったように、私も日出男さんの後を継ぐつもりで狩猟免許を取りました。

今の猟師さん達の技術に追いつける自信はとてもないんですけど、少しでも地域の伝統の架け橋となれたらと思って。こうやって伝統は脈々と後世へ続いていくんだと思います。

最近、深刻な問題になっている獣害を防ぐ意味でも狩猟は重要だと思います。

一般の方にも『はぁ~とふる荒谷塾』が主催して、狩猟見学ツアーが開催されています。

参加者に猟師さんが狩猟する様子を見学してもらうもので。山でご飯を食べて、狩猟される瞬間を目の前で見ることをやってます。

日常生活から狩猟という生業が遠ざかってしまった現代、『生き物の命を絶つ』という行為は一見、残酷と思われるかもしれません。

でも、私たちは日々、命をいただいて生かされています。

スーパーで並んでいるお肉も、元は生きていた鳥、豚、牛ですよね。

私は、命の尊さ、命をいただく感謝の気持ちをきちんと感じ、それと同時に子どもにしっかり伝えたいと思っています。

危ないし、怖いし、子供もいるし…。本当はやりたくないんですけどね。

でも自分で仕留めていただくからこそ、心の底から『いただきます』が言えるような気がするんですよ。」

自分軸で考える
これからの豊かさ

栗原さんが思う、これらからの豊かな暮らしとは?

「私が東京にいた時に感じていたような、“東京がかっこいい”、“東京で暮らすことが成功”っていうのは、これからの時代、必ずしも正しいとは思わなくて。

東京も周辺の関東近郊もどんどん高齢化していくと思うので。

果たして今の輝きがずっとあるとは思えないんですね。

自分がどんな状態で、どんな仕事に就けたら、どんな家庭を持てたら幸せか。偏った価値観にとらわれずに、どんな自分の人生の軸を持つかを考えることが大切かと思います。

東京が合う人は東京でいいと思うんですよ。

東京を全く否定しているわけではなくて、東京の消費があるからこそ地方が潤うこともあるし、東京に情報が集まるからこそ、そこで経験したものが地方に還元されたりってこともあるだろうし。

地方で幸せに生きる道もあるし、豊かに生きる道もあるし、自分は果たして何が大切なのかを考えられたらいいなと思いますね。

私の場合は“子供”、“家族”っていうのが軸になって、ご縁があって結果的に新潟に住むことになったわけですけど。

子供の行く末とか、未来を考えて、私は地方の方がいいなと判断して引っ越して。

収入の面からいえば移住してくる前のOL時代の方が確実に稼いでいましたけど、一番大切なのは家庭だったから。

昔の私だったら何の違和感もなく東京に住んでたんでしょうけどね。

子ども達の未来を考えると、地方に人が行かないとと思いますよね。

東京の一極集中の時代は早く終わらせて、若い人たちの目を地方に向けて、日本を活性化させないとと思いますね。

だから、これからの生き方にはいろんな視点があるってことを発信できたらいいですよね。

他の移住者の皆さんと一緒に。東京から移住してきた人達ってそういうことに気づき始めてて、講演などでも共感されますし。

地方にこそ未来があるような気がします。

私は日出男さんのような方に出会って、こっちでのコミュニティ作りには恵まれていましたが。

移住したいと考えた場合、そういう情報をどのように見つけていくかが課題ですね。

間に入って地元コミュニティとつなげてくれる団体も今すごく増えてきているので。

そういうところにお世話になりながら、自分が合う地域を見つけていって、どんどん根を張れたらいいんじゃないかなと思いますね。

移住女子って特別なことをやってるわけじゃなくて、みんなそれぞれの価値観の中でただ移住を決めてるだけなんですよね。みんな普通の女子なんですよ。私も一女子で。

ただ情報発信をしてるだけなんですよね。

だから特別なことはやってないし、特別な体験をしてたわけじゃないし。

本当に誰でも出来るよって感じですよね。」

↑美しい新潟県長岡市川口の里山を背景に撮影。

とても理知的な方なのに、大きな決断の際には直感的に大胆に動き、結果、ハッピーな選択をされているように見受けられる栗原さん。
彼女のように、いろんな価値感に振り回されず確固とした自分軸を貫くことが幸せへの近道なのかもしれません。
それが出来たら苦労はないのですが…。
もしかしたら男性より女性の方が、本能的に素直に自分の軸を確立することが上手なのかも。
移住女子が増えているのは、しっかりした自分軸を持つ方が増えてきているのかもしれませんね。
Profile

地域プロデューサー

栗原里奈さん

地域プロデューサー

栗原里奈さん

千葉県出身。短大ではメディアデザインを専攻。卒業後、IT企業にてカスタマーエンジニアを経て、六本木農園へ。レストランのホール業務と並行し、生産者と消費者をつなぐ役割「農家仲人」として農家ライブを担当。その後、結婚を機に新潟県に移住。
株式会社umariスタッフとして、消費者が生産地を巡り、料理人がその場で生産物を調理するツアープロジェクト『にっぽんトラベルレストラン』と、新潟の未来の価値を引き出すメディア『新潟まいふうどチャンネル』に携わる。
2015年11月より、株式会社FARM8に移り、新潟密着でプロデュースを手掛け始め、新潟県の魅力発信に取り組んでいる。
東京の視点を持ちながら、地域に眠る、暮らしの文化価値の発信に努めている。