Quest for quality life through traveling around the world.

Interview

13

新しい事に飛び込めば 始めた時のワクワク感でやれる! 熱海へ移住でさらなる飛躍

消しゴムはんこアーティスト
津久井智子さん

消しゴムはんこと言うと、幼い頃、消しゴムに書いた絵をカッターや彫刻刀で彫ってはんこを作った覚えのある方も多いのでは?
世代的に私はナンシー関さんを思い浮かべてしまうのですが(笑)。
オーダーメイドの手彫り消しゴムはんこ工房『はんこや象夏堂』を営むかたわら、若手消しゴムはんこアーティストの第一人者として様々なメディアに登場(先日も日テレの『嵐にしやがれ』で消しゴムはんこの作り方を出演者に教えたり!)し、消しゴムはんこの楽しみ方や活用法を発信している津久井さん。
アトリエ兼住居を、東京から今まで縁もゆかりもなかった土地、熱海へ引っ越し、暮らしも仕事もますます好調のご様子。
先日も熱海市指定の有形文化財、起雲閣にて『花鳥風月海猫温泉』にて作品展を開催し大盛況だったとか。
脱東京での好循環。その巡りについて、お聞きしました。

地道に続けていたら“好きなこと”が
口コミで広がって仕事に

熱海への移住のお話の前に津久井さんが“消しゴムはんこ”アーティストになる経緯を教えていただけますか?

「そもそもずっと“消しゴムはんこ”で生きていくんだっていう気持ちもあんまりないまま始めてしまったようなところがありまして。

最初の最初は自分で看板を出して、簡単なWebサイトを作り、作品帳も作り代々木公園の『アースデー』とかクラフトマーケットとか地域地域でやってるアートイベントに机1個3千円とか出店料を払って参加しまして。

トランクに荷物詰め込んで行って、レジャーシートを敷いてセッティングして。雨降ったら中止になるとか(笑)。

いろんなお店が並んでる所に軒を並べて、オーダーメイドを受け付けますって書いた紙を貼って。

通りすがりの方が面白がって注文してくれたりして、住所印とか似顔絵とかをその場でデザインして、後日、郵送して…。というのをバイトの合間にやりだしまして。

それが結構楽しくなってきて。メールでも受け付けるようになったら忙しくなってしまってて。バイトが続けられないくらい。

というのが最初の1年ぐらい。そこから1年の間に、“消しゴムはんこ”だけで生活するようになりまして。池袋でカフェやってる友達が、お店のテーブル1個使っていいから、ここではんこ屋やってごらんよって言ってくれて。

カフェのお客さんがお茶してる間に彫って帰るときにわたしてあげるのをやってみたらと。

その時に、たまたま主婦の友社の編集の方がお茶しに来て名刺をくださって。

最初は本の表紙とか挿絵とかの仕事をいただいて。いくつかやらしていただくうちに、“消しゴムはんこ”で一冊本を作りませんかというお話になって。

その当時、そんな本はなかったので、大変驚きまして。イメージもわかなかったし、1冊分も作品が作れる自信もなくて。

でも、ないから作ってみましょうよって言ってくださって。」

巡ってきた本を出版するチャンス!

「自由にアイディアを出させていただいて。思いつくもの全部をその1冊に出して。

その時は、せっかくの機会だし、本になれば、こういうのをやってた時もあったって、いい思い出になるなくらい思ってたんですが。

友達とシェアして最低限の生活を続けてるからいいですけれど。

オーダーメイドだけで10万円ぐらいでやりくりして家賃を払って、ずっとこれを続けてくのは辛いなと思って辞めたくなってたんですよね。」

↑初出版した書籍『消しゴムはんこ。 つくるたのしみ、おすたのしみ』(主婦の友社)

「そうしたら本が売れまして、そのおかげで依頼される仕事の内容が変わって。

その本を見て習いたいっていう人が増えていって。

消しゴムメーカーさんが主催する“消しゴムはんこ”を教えるワークショップでの仕事をいただくようになって。

今度は、“消しゴムはんこ”の先生をやるようになりまして。

段々常連さんが増えて、毎月、安定して人が来てくれるようになって、それがメインの仕事みたいになってきて。

その合間にテレビ出演の依頼があったり、表紙とか挿絵以外にも雑誌で“消しゴムはんこ”の作り方を紹介する記事の取材を受けたり、メディアのお仕事もポンポンって入ってくるようになって。商品の監修もやるようになったり。

最初は口コミではんこ屋ですってやってたのが、その本を境に“消しゴムはんこ”の第一人者ですみたいな見られ方をされるようになって、引くに引けなくなってしまった感じで。

東京にいた時は、どこまで本腰入れてやっていくかをずっと迷いながらやってて、その本で得たお金も使い切ったら東京では、やってけないと思いながら、なるべく使わないように、ちょっとづつ切り崩しながら考えてやりくりして、段々楽しくなくなってきてしまって。

ちょっと鬱まではいかないんですけど。責任みたいのが先立っちゃった時期もあって。

自分で風呂敷広げたからにはみたいな気持ちで、来る仕事、来る仕事、結構嫌々やらなければいけなかった時期もありまして。」

震災が“熱海へ”のきっかけに

「そんな時に震災(東日本大震災)が来たって感じなんですね。

妹と練馬のマンションに住んでいたんですけど、1番不安になったのが人とのつながりで。

マンションの上下左右どんな人が住んでいるか全くわかんなくて。全然助け合えなくて。スーパーに行ったら、みんな買いあさってて。水もなくて。

妹とそれぞれの寝室で寝るのが不安で居間のコタツで寝て。余震があるたびに起きて。妹と一緒で良かったなと思ったんですけど。

1人で住む怖さより、隣近所との交流が全くないって事が、そのマンションはありえないなと思ってしまって。

まだ目黒にいた時の方が、下町の感じでよかった。お祭りの神輿に誘ってもらったり。階下に住んでる人が気にかけてくれたり。

だから場所によるので、東京ってひとくくりにはできないですけど。

こんな所に住んでて災害に遭うのは本当に嫌だなって思ったのは大きいですかね。逃げ場もないしなと思いましたし。

それから、先々の事を考えて、今あるものを使わないようにしているのがバカらしくなったと言うか。

以前のように仕事が入らずマンネリ化していたこともあり、いつも相談している方に、この先どうしようかなって妹と二人で聞きに行ったら、お姉ちゃんは熱海で妹さんは麻布十番に住むといいよって言われまして。

私達は池袋まで25分の埼玉のベッドタウンで生まれ育って、東京が遊び場だったり通学先やバイト先だったので、どっちかと言うと東京近辺が地元で、田舎は憧れって感じだったんですよね。田舎というか、自分の場所を持ちたいというのもありまして。

環境が良い所に住みたいけど、まだお金も経験もないから東京で下地を作るために頑張ってたというか。

友達がいて、何かをやるときに人がたくさん集まることにメリットを感じて仕事をしてた場所というか。

だから東京が一番いいと思って住んでたわけでもないですし。

二人とも練馬には、もういたくなかったから埼玉に帰ろうかという感じになってたんですが。」

↑熱海の自宅兼アトリエからの眺め。

↑愛猫の“うめ”と“ゆず”。

「実家のそばで物件を一緒に探して、そっちに移ろうかとも言ってたんですけど。

絶対埼玉ではなく、熱海がいいですよ、もっと人が流れるから行ってごらんなさいって言われまして(笑)。

なんだか、その時にしっくりきて。イメージが湧いてきて。

山の一軒家で『魔女の宅急便』の絵描きの女の子みたいな絵が浮かんで。

これは悪くないなと思って。猫飼えるしなと思ったりして(笑)。

ただ、熱海って高いんじゃないかと思っていたし、それまで1回も行った事がなくて。

昔の新婚旅行の場所ってイメージしかなかったんですけど(笑)。

でも実際に初めて来て見て、すごく気に入っちゃって。なんで今まで来なかったんだろうって。

初めて訪れた2泊3日でイメージがどんどん膨らんじゃいまして。

新幹線で行ったり来たりすればいいんだとか、バスでこっちとこっちは行けるんだなとか、具体的に。

引越しの下見みたいになってしまって。物件見るのもとても楽しくて。
温泉が湧いてる家とか、別荘とか。みんな震災の後で手放してしまって、3軒に1軒が空き屋って状態だったんですよ。
本当に底値だったと思うし、なんでみんな来ないんだろうって感じだったんですよね。

山の下の方が暖かいし、温泉も湧くし、利便性もいいんですけど、ここにしたのは、やっぱり安さですかね。
ここは130坪も平らな土地があって、家2軒も合わせて、1千万しないって言うのは相当なラッキーなんじゃないかと思って。

それまで賃貸しか住んだことがなかったので、土地は財産で、持てば、家賃みたいに払いっ放しじゃないんだって気づいて。じゃあ持つだけ持ってみようと思い切って。

今、一番住みたい所に、持ってるお金で住んでしまおうと決断しました。」

都会から地方への移住は新陳代謝

「貯金を全部失うのは、すごく怖かったんですけど、持っていても逆に怖くて。

持っている時は、使わない、減らないようにってマインドで仕事してたのに、いざなくなったら稼ぐしかなくて、楽になったところもあって。

もうどんどん仕事くださいみたいな(笑)。

今までは来たものを受けるかどうかだったのが、自分から仕事を作る工夫とか、どうやれば楽しく循環するかとか、自発的になったところもありまして。

新陳代謝みたいなことなんだろうなって。

体質的にも省エネ体質と言うか、汗かかないようにじっとしてるとか、代謝が悪くなりやすいタイプなんですけど。

減らさないようにとか、使わないようにとか、溜め込みやすいし守りに入りやすくて。

でもそうやってると止まっちゃうみたいで。

新しいものが巡ってくると信じて、必要なくなったものをどんどん手放していく大事さを学んだといいますか。」

↑お家の障子にも素敵な消しゴムはんこアートがほどこされています。

↑リノベーションで白く塗られた壁が落ち着くリビングには心地よい風がそよぎます。

「断捨離をしたんだと思います。

服とかもそれまでの3分の1ぐらいにして。

本当に必要な物しか手元に残さなくなって。

でもどうやら持ってる物を捨てるとかお金を使うのと、仕事の循環が良くなるのとが結構比例というか、繋がっているというか。人の巡りとかにも繋がっているような気がして。

多分、自分が気持ち良く暮らしたいって気持ちを最優先したら、いらないものが見えてきたんだと思います。

仕事も今やれる事をやって、先の事を考えないようにし始めたらちょっと流れが変わってきて。

楽しくなってきて。受ける仕事の質も変わってきて。

責任というよりは、自分が楽しめる事を優先して。

あえてやったことがない事、新しい事に自分から飛び込めば、始めた時のワクワク感でやれるんだなと思って。

東京にいた時はどうしたらそういう風に出来るかが全く分からなくなってたんです。」

“熱海ファン”が集う
この土地ならではの温かい人のつながり

お友達がたくさん集まってくれるのも素敵ですけど、ご近所の方との仲もすごくいい感じですね。

「この辺の人はすごい親切で。

ご近所さんが、いろいろ教えてくれます。

蜂がいるよとか。布団出しっ放しだよって電話をくれたり(笑)。

お向かいさんなんか完全に孫のように思ってくれてるようでして。

煮物とかたまに分けてくださったり。

だから不義理が出来ないってこともあるんですけど。

そういう面倒がなくて東京いいなと思ってた時期もあったんですけど。

熱海に来たら熱海が好きで移ってきた人が多いから、そういう人同士で交流が深まって。

ファンクラブみたいな?郷土愛じゃないけど、住んでる所がいいと思って住んでる人が多いから。

お互いの結束が深いというか。」

↑鎌倉のゲストハウスVilla Sacraの壁画制作風景。撮影/大山慶子氏(Aloha Photo Works)

↑仲間が駆けつけて手伝ってくれたリノベーションの様子。

「行きつけのバーでもマスターが私の本を置いてくれてて、興味ありそうなお客さんに紹介してくれて、そこから仕事が生まれたり。

鎌倉のゲストハウスVilla Sacraの一室の壁画のお仕事の依頼もそんな流れから。

そこからの繋がりで、この家を作るのも、いろんな人が関わってくれて。

老朽化してたところからリノベーションしたんですけど。

この日とこの日に、温泉とご飯おごるんでやりたい人はどうぞ集まってくださいみたいにfacebookで呼びかけて。

みんな心意気で、自分が楽しいからって感じで手伝いに来てくれて。

こんなにいろんな人の気持ちが動いて出来た場所だから、愛着もわくし、ずっと大切にしていきたいってのもあって。

湯河原だったり、三島だったら違ったかもしれない。

熱海だったから良かったんでしょうね。」

住むだけじゃない!
熱海仕事も急増中!

「将来的には1人でやっていくのに限界を感じてるので、もう少しチームでやれるようになったらいいかなと思ってるんです。

だから誰か熱海に来てくれないかなと思ってるんですけど。

ここも人が集まる場所にしたいし、BBQもしたいですし。

仕事も1人だと、マネージメントやお金のこととか苦手なことも全部やらなきゃいけないから、結構、制作の時間ってわずかなんですよね。

結局、仲間呼び寄せるのに、地元の人にどう思われるか重要じゃないですか。

ここはどっちかと言うと来てくれる人ウェルカムみたいな雰囲気。

なんか1人で来て頑張ってるね、夜中まで仕事して偉いねって、すごい親切なんですよ。

イメージでは他所から1人で家買って住んでて怪しまれたり、よそ者扱いされてもおかしくないと思ってたんですけど。誰もそんなことはなく。逆に心配してくれて。

積極的に何かに参加したりするわけじゃないですし。

若い人が来るって自体がめでたいことなのかもしれませんね。

こちらも若いから役に立つってことがあればお役に立てればと思いますし。

今のところ助けてもらうことばかりで何もできていないですけど。」

↑2015年8月1日から9月28日まで熱海起雲閣にて開催された『花鳥風月海猫温泉』展。

最近は展覧会なども地元熱海で開催されていましたが。

「自分が熱海に来て貢献するとか、役に立つとかそういう意識はなかったので、熱海の人に受け入れてもらえて、そういう面で歓迎してもらうっていうのは願っても無いというか。

最初はこちらに仕事なんてないと思っていたので。

こっちが拠点になるだけで、仕事は東京で今まで通りやっていくと思ってたので。

でも逆にもうこっちだけで成り立ちそうでびっくりしてると言うか。

東京から人が熱海に来てくれるようになったし、来たいとみんな言ってくれるし。

どんどんいい状況になっているなと思っているんですけど。」
tukuisan last

 

アーティストの直感で熱海を新天地として選び、さらなるご活躍をされている津久井さん。
自然環境、食など、暮らしの豊かさだけでなく、仕事面や人とのつながりという上でも、地方のほうが恵まれているケースもあるということですね。
ちなみに熱海の街自体も、津久井さんのような“熱海ファン”移住者のご活躍からか、観光客も増え、数年前の寂れたイメージは全くなく、活気を取り戻しています。
あなたを元気にしてくれる場所、そして、あなたが元気に出来る場所が、日本中どこかにまだまだあるはずです!
Profile

消しゴムはんこアーティスト

津久井智子さん

消しゴムはんこアーティスト

津久井智子さん

1980年生まれ、埼玉県富士見市出身。
15才の頃、授業中にふと思い立ち、消しゴムとカッターではんこを作りはじめ、特技となる。
2003年より、象夏堂(しょうかどう)の屋号で、イベント等でオーダーメイドの消しゴムはんこ製作・販売を開始。
2005年の書籍出版をきっかけに、メディア出演やワークショップなどを通して、消しゴムはんこの楽しみ方や活用法を提案するようになり、専用インクやキットのプロデュース、イベントでのデモンストレーションなど、消しゴムはんこの可能性を広げる活動を展開。多くのフォロワーを生み、“消しゴムはんこ”ブームを牽引してきた。
2012年からは活動の場をアジアやヨーロッパにも拡げ、日本発のアートとして、作品を世界に向けて発信し始めている。