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Interview

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コムデギャルソン、イオン経由 桐生から世界へ! ファッション業の新しい形【前編】

株式会社フクル、株式会社Huggyhuggy 代表取締役 
木島 広さん

コムデギャルソンJUNYA WATANABEでパリコレを経験、イオンでチーフクリエイティブデザイナーを務め地元桐生へUターンし起業。抱っこ紐Huggyhuggyの事業を育てる。
“地域活性化とかは気恥ずかしいし全然意識してない”と控えめにおっしゃる木島さんですが、自身の取り組みが地元を元気にして、次世代の桐生ブランドの礎になっている。
コムデギャルソン、イオンという真逆の業態の仕事を経験し、グローバルかつドメスティックなスキルと感性を磨いた木島さんの新しいアパレル業、仕事の取り組み方を聞いてきました!

まず起業を志し、
ファッション業界へ

そもそもファッション業界に進むきっかけはなんだったのでしょうか?

「うちの実家は縫製業をやっていまして。

桐生は繊維産地で昔は機屋さんも縫製屋さんも染色屋さんも刺繍屋さんも多かったんですけど。私は、桐生では一般的な工場の息子で。子どもの頃から自分もいつかは社長になりたいと思ってまして。

高校1年生の時に、もっとも初期投資が安い業態って何かなと思った時に、ファッション業界かなって。服を作って売るというサイクルを回して行くだけで、比較的初期投資が安いという事を改めて知り。

じゃあ、ファッションに行こうと。東京の文化服装学院に進んで、そこでマーチャンダイジンっていうどちらかというとビジネス系の教科を専攻して。

社会人1年目は、展示会用とか、量産前のサンプルを作る会社に入り営業を勤めたのですが私が腕利きの営業マンだったらしくて。会社の売り上げが倍に増えてキャパオーバーだからもう営業するなとなりまして。半年で辞めてしまったんですが。

次にコムデギャルソンの短期アルバイトに応募して。起業するにしても色々な会社を経験するひとつとして軽い気持ちで2ヶ月間働かせていただくことに。結果的に2年半くらいアルバイトを経験したあとにパタンナーという形で正規採用されてトータルで9年間経験を積ませていただくことになるのですが。」

コムデギャルソンJYUNYA WATANABE時代のお写真。お仕事中(a.)。パリコレクション参加時。パリシャルルドゴール空港に到着(b.)。ともに木島さんが27~8歳の頃。

ショーの会場設営の様子。

ショーのバックステージの様子。

 

「そうなると目標というか、パリコレ作品に携わりたくなって。コムデギャルソンのJUNYA WATANABEっていうブランドだったんですけど。
それも達成して。起業を理由に辞職を申し出たところ、JUNYA WATANABEのデザイナーであり、コムデギャルソン副社長の渡辺淳弥さんが、うちの会社でマネジメントの経験を積めばと提案してくださり。
JUNYA WATANABEのチーフという形で、主に人に関するマネジメントに携わらせていただきまして。このときの経験が今の自分のすべてをかたち作っていて本当に感謝しています。

その後グローバルなものづくりの経験も必要だと考え小売大手のイオンに転職しまして。そこではチーフクリエイティブデザイナーという形でイオンのプライベートブランドをやらせていただいて。

コムデギャルソンっていうパリコレクションに出るような、世界のトップを走るブランドをやり、今度は真逆のイオンというファストファッションをやらせていただいたんですが。

自分が起業するために何処を狙おうかと思ったときに、どちらでもなかったんですよね。

どちらとも大きな資本が必要ですし、長い期間かけてやるものなので。

今ならわかりますが、ファッションは簡単ではないので。」

震災直前のタイミングで地元へ
そして起業

「インターネットと今までやってきたキャリアやスキルを結びつければ、今後、家族が食べていけるくらいの仕事はすぐにできるんじゃないかなと強く感じ、起業を決意しました。

ちょうど結婚して、子どもが生まれた次の月に退社という形で、辞めさせていただいて。4年前ですね、2011年の1月。」

ちょうど震災の直前ですね!

「そうなんですよ。
都内から2月に、群馬県に引っ越してきて。1ヶ月後に震災なんですよ。

これから世の中がどうなるか分からないという中で、起業したという。

停電の中で仕事をしたり、計画停電があるから朝早く起きて仕事しようかという状況で。

起業って、どれかひとつだけに絞って始めても上手くいくなんて思ってなかったんですよね。でも100発打てば1発くらいは当たるだろうって気持ちで。3つの事業を始めて。

1つはJUNYA WATANABEでジーパンをカスタマイズしたデザインのシリーズがあって、それも売れるかなと思って。

2つ目はパターンのダウンロードサービス。パターン側の専門職をやっていたので、洋服を作る設計図である型紙を無料でダウンロードできる。当時、フリーミアムモデルという、基本は無料のサービスで付加機能などを有償にして収益をあげるビジネスモデルってのが流行っていて。

3つ目は、抱っこ紐。

この3つを始めたんですが、デニムは1年間やって1枚しかオーダーがなかったという。
次にパターンのダウンロードサービスはそもそもフリーミアムでお金をもらわない事業なので、これもお金にはならなかった。

抱っこ紐を11年の8月頃に試作して、インターネットで2週間レンタルで好きなように使ってくださいという形で始めたんですよね。」

抱っこ紐Huggyhuggyのサイト。

「何件か使っていただいて、様々な要望があるなか、それらをふまえた商品として11月から発売させていただきました。

初年度8月に創業して、12月までが個人事業主でいう1期になるんですけど。売り上げが55万円っていうのが1年目です。初期投資をあまり出来る状況でなかったので、作り置きせずお客様に表と裏の生地と頭のフードのところをお選びいただくオーダーメードを始めさせていただいて、2年目で売り上げが550万、3年目で1千2百万になりまして、運良く抱っこ紐だけで売り上げがたつようになって。

新商品を開発したり、群馬大学の研究者の方と共同開発し質を上げていったり。

当時、カラフルな抱っこ紐がなかったんですよね。黒やグレイ、焦げ茶とか地味な抱っこ紐に自分のファッションにあわせるみたいなスタイルだったので、ずっとファッション業界に携わってきた私たち夫婦にとって、派手なアイテムがないというのは非常に寂しくて。それでカラフルな生地で作ったところ、お客様の注文が増えていって。

3つの事業のうちの1つがなんとか軌道に乗って、生計を立てる事が出来たというのがここ3年ぐらいですね。」

抱っこ紐が成功した理由はなんでしょう?

「私どもの抱っこ紐は非常に機能性に優れている。

機能性って言うのは使い勝手が良いこと。あとは大学の研究者と共同研究した科学的根拠を伴った製品だから。ママとお子様の体の負担も科学的に低減されていることが証明されている。

その分作るのはすごく大変で。しかも国産だから。値段は高くなってしまう。諸外国の安い賃金で大量に作っているところと真逆。日本で高品質なものを作って、低い利益で提供している。」

インターネットだからできる
仕事の形

そんなサービスができるのはなんでですか?

「それは、インターネットを使うことで中間搾取、マージンを介在させず直接お客様にお届けする形で成り立っているビジネスモデルなので低い利益で提供できている。

PRに関してもそうです。例えば、様々な雑誌社から広告枠8分の1ページ10万円ですとかメールをいただくんですけど。質の低い業者さんと同じ立ち位置に立ちたくないと思って、Facebookとホームページの掲示板や、ママ友ネットワークを活用して、バイラルマーケティングとか口コミだけで広がるようにしてて、広告を一切してないんですよね。

卸もしてないし、そのやり方だけだと爆発的に売り上げが上がるという事はないのですが。

規模も大きくない、いい形で。」
「規模が大きいとどうしても正規雇用が増えて、社会保障費など人件費が増大して、どうしても経費が大きくなりすぎて商品の原価の低下、ひいてはお客様に対する商品サービスを軽んじることに。

正規雇用にはなれないけど、パートで働きたいっていう手に職のあるママ達に一緒に働いてもらっています。

今、私達家族と何人かのパートさんを養えるぐらいでいいのかなというのが抱っこ紐の事業に関して言える事ですね。

インターネットを使って中間業者の介入を減らして、自分たちがメディアになりながら、商品をストーリーと一緒に本当に良い商品を提供するってことを、インターネットが普及した情報化社会だからできるビジネスなのかなって思いますね。

これから先の規模がどう変わっていくかによりますが、小さいから出来るってこともある。地方だからできるってのもありますし。」

戦略的に地方を選ぶ

地方での起業を選んだ理由はなんですか?

「起業の場所を地方に選んだのは、単純に固定費が安いから。

独身のうちに起業にチャレンジをするのであれば都内でも出来たのかもしれないですけど、結婚と出産を経てリスクを最低限減らすために地方にしたわけです。

例えば家賃や生活費が安い。家賃で言うと、4分の1とか、5分の1とか。

確かに収入は減りました、都内サラリーマンの時は夫婦で1千2百万円ぐらいはあったんじゃないですかね。起業した初年度が55万なので、その落差はすごいですよね。ただランニングコストが安いということは救いでした。

都内だと15万円とか20万円するところ、今住んでる所は子育てができて、自分たちが不自由なく暮らせる部屋で5万円以下なので。70平米とかで。

ランニングコストが安いのは地方の強み。ただこれから会社が大きくなっていったときに人材が問題ですよね。優秀な人材に入っていただけるかという問題はある。でも現状の規模であれば、メリットしかないのかな。

保育園の待機児童問題なんて皆無ですしね。

それに通信販売なので物流さえ整っていれば、全国、北は北海道、南は沖縄まで発送できるので、ビジネス面で、場所によるデメリットはほとんどないと思いますね。

地方にも色んな可能性がある。本当に良いものを作っていれば、場所はどこでもいい。」

地元、桐生で起業するとは思っていなかった?

「ただ、実家が縫製業をやっていたりとか、そのリソースは何らかの形で生かしたいとは思っていたので。もしかしたら潜在的には、どこでもいいとか言ってますけど、このあたりには戻って来る気持ちはあったのかもしれないですね。

こっちで起業して、機屋さんを紹介いただいて、伺ったりしても、なんだ(縫製業やってる)木島さんちの息子かいみたいな感じで。気がつけば自分が生まれ育った場所だから助けられてるみたいなところが非常に大きくて。地元の方々の協力もあって。

投資家の方からも、こんなに多くの協力者がいるんだったら安心みたいなことをおっしゃってくれて。そんな相乗効果から思いがけないところで信頼を頂けている。やっぱり地元なんだなと。

その分てわけではないですが、桐生のオリジナルの生地も作らせてもらってますし。先ほど申し上げた通り数名のママさんのパート社員の方々にも働いていただいてまして。当然雇用を生んでますし。地域にお金が落ちる仕組みにもなってます。」

今の時代、起業ということを考えた時に、インターネットを活用すれば、”地方”という選択はむしろメリットとなることが多いということを木島さんの成功事例からお伺いすることができました。

次回【後編】、木島さんが新たに取り組む新事業についてのインタビューへと続きます。
Profile

株式会社フクル、株式会社Huggyhuggy 代表取締役 

木島 広さん

株式会社フクル、株式会社Huggyhuggy 代表取締役 

木島 広さん

群馬県桐生市出身。1998年、文化服装学院アパレルマーチャンダイジング科卒業。1998年、㈱レオパールで営業を担当。1999年、㈱コムデギャルソンのブランドJYUNYA WATANABEでパタンナーアシスタントを経てパタンナーへ。2005年にJYUNYA WATANABEチーフパタンナーに就任。
2008年、イオントップバリュ㈱で衣料商品企画開発部のチーフクリエイティブデザイナーに就任。
2011年に個人事業主として起業。2014年、株式会社Huggyhuggy(ハギーハギー)設立。今年、2015年、株式会社フクルを設立。