
Interview
キャリアアップのための
海外ボランティア
自分の未来を創る働き方
若林さんが最初にケニアに来ることになったきっかけは?
「大学4年の時に、開発経済学というゼミに入ってまして。発展途上国の経済を持続的開発の観点で研究する学問なんですけれど。
そのゼミの研修で2週間ケニアに来るプログラムがありまして。
最初は海外で活動することに漠然と興味があって参加しました。
そこでACEFのケニア事務所の塩尻所長の三男の吉(吉太郎君)に出会って。」
↑2011年10月、_ナイロビKenya International Conference Centerのクリーンエネルギーに関するイベントでの一枚。左が吉太郎さん。
「彼は僕と同い年なんですが、英語もスワヒリ語もペラペラで。
僕たちのプログラムの同行を全部調整してくれたんですね。
学生ながら、同い年でこんなにしっかりとした人がいるんだって感心して。
その時に、彼のように海外で活躍している人になりたいと強く思いまして。
それがきっかけで大学卒業後すぐここのACEFでボランティアスタッフに所属して、色々な活動をさせていただくことになりました。
だいたい2010年の3月から2012年の3月の丸2年間くらいですね。
その後、帰国してIT系の会社に入社して4年間勤めました。
初めはエンジニアで、その後、営業に転向して、2015年の10月末まで所属していました。」
4年間も勤務した会社を辞めてまで、日本じゃなくてケニアで働こうと思ったのはどうしてですか?
「やっぱり、吉が亡くなったのが大きなきっかけになっているのかもしれません。
2014年に彼が、こっちでバイク事故で亡くなってしまったんです。
まだ26歳で…。
彼が亡くなる一週間位前に電話で話してたんですよ。
『仕事どう?』って聞かれた時に、『もちろんバリバリやってるよ』って答えて。
その後すぐに亡くなってしまって・・・。それが彼との最期の会話になってしまった。
日本での仕事は英語とか、海外とか関係なかったんですけど、スワヒリ語や英語の勉強は続けていたんですね。
海外に関わる仕事に就きたい就きたいと思いながら、日々の忙しさに追われて、なかなか、具体的なアクションが起こせないでいたんですが。
自分の中でずっともやもや感があって。
だから、吉との最後の会話がすごく胸に引っかかって、もう一度、何か挑戦してみてもいいんじゃないかって思うようになりました。」
「自分にとって、とても憧れというか目標の存在だった人が突然いなくなってしまって。
吉にバリバリ仕事してるって宣言したからには、自分に納得いくようなことに取り組んでいこうと決意して。
吉が培ってきた27年間に、自分の人生かければまあギリギリ追いつけるんじゃないかって思って。
彼のお別れ会が東京で開かれてたんですけど、そこで集まったみんなに、20年後30年後に、“吉との出会いが無ければ・・・今こうしていない”と言えるような、彼を誇れるような人生を歩みたい。」
その宣言通りケニアに来て、バリバリ活躍されて。有言実行タイプですね!
今の仕事の内容について教えてください。
「環境保全、森林保全のプロジェクトに関わっています。
プロジェクトの立案から、現場のマネージメントまで担当しています。」
特に大変なことは?
「やっぱりケニア人のスタッフとの文化的な違いや考え方の違いですね。
目標やこういう風にしたいという思いは同じにもかかわらず過程の中で色々と衝突するところがあるんですね。大変なんですけど、そういうところを話し合いながら、お互いに譲れるところ、譲れないところを理解し合って、うまく折り合いを見つけながら事業を進めていっています。」
具体的にどんなところが大変なんですか?
「僕が感じるのは、ケニアの人はすごくプライドが高くて、相手には良いところを見せたがる。日本人よりもそこに固執してる気がします。
ある遅刻したスタッフに、会議の場で次回から改善していこうという話をしようと思ったら、みんなの前で注意され侮辱されたと思われてしまい、機嫌を損ねてしまったことがあって。しばらく口もきいてくれない。
最終的には時間が経って仲良くなりましたけど。切り替えは早いみたいんですけど。
自分に対する非を認める事への抵抗感が強いと思うんですね。
自分のミスに対して反省と改善が大切だと思うんですけど、あまり反省してくれない感じがあって。」
↑2016年11月04日にカニョンガ小学校で行われた植林のプログラム。
お仕事でやりがいを感じることは?
「一つはプロジェクト案が通った時っていうのは達成感がありますね。
ひとつの企画が通ったとしたら、それだけの提案書作成スキルの証明になるので。
あとは子どもたちの成長を実感できることですね。
環境保全についての講習を小学校で行っているんですけど、僕たちの教えたことを子どもたちが理解してくれて、実践してくれているのを見るとうれしくなります。
子どもたちに実際、環境保全に対する考えをプレゼンしてもらったのですが、最初はすごく下手なんですよ。
紙をずっと見ながらだったり、もじもじしたり、全然声が聞こえなかったり。
その後、僕らがこういう風にしたらもっと良くなるよと改善提案をして、再度、トライしてもらうと、すごく良くなってるんですよね。
ちょっとしたことなんですけど、成長が垣間見えた時など、プロジェクトを続けるためのモチベーションになります。」
↑2017年1月27日にイシオロの小学校で行われた環境教育セミナーでの一コマ。
日本と比較して、ケニアでの仕事は、何か違いがありますか?
「業務は違えど、意識の違いはあまりないと思います。
期限を決め、段取りをして、責任持って仕事を回していくっていう上で、ケニアと日本での違いはないと思います。
外国語を駆使して、海外の人と分け隔てなく一緒に仕事をするという自分の理想を実現する上で、前職4年間で鍛えたビジネスマインドはかなり役立っていると思います。」
英語やスワヒリ語を駆使して自分のビジネスプランを動かしていくっていう状況にやりがいを感じている?
「やりがいは感じますね。
それから、もともと営業を担当していたこともあり、机に向かって作業するっていうよりも、現場に出てケニアの人と交渉したり、調整して事業を動かしていく事にやりがいを感じます。」
収入に関してお聞きしてもいいですか?
「収入は今ACEFのスタッフとしてはゼロです。
ただ実際にプロジェクトを回していく側になると、プロジェクトを通して給料が発生したりするので、そこの部分で給料を得られることもあります。」
現在、そういった中から若林さんの収入はどれくらいなんですか?
「月6万ケニアシリング(約6万円)くらいです。」
↑エンブのACEF事務所がある施設内にあるスタッフ宿舎。若林さんのお部屋。自作のシューズケースがポイント。お湯の出るシャワールームとトイレ付き。
仕事の内容って1日に何時間くらい?
「ケニアの事務所の勤務時間は基本、朝8時から夕方5時までです。
ただ、会社に住んでるみたいな感じなので、メリハリがあるかと言ったら…。
仕事終わっても所長とご飯食べますし(笑)。
基本的には週1のミーティングで1週間の予定を立て、スタッフのみんなで共有し、それを動かしていきます。
プロジェクト以外にも、ACEFとしてやることを依頼されたり。
例えば、僕が運転免許証を持っているので車を必要とする仕事であったり。
あとは、小学校に行って子どもたちに映画を見せたり、日本語の授業でたまに教えたり。
ACEFのボランティア活動のお手伝いもしながらプロジェクトを進めています。」
月の支出はどれくらいなんですか?
「食事と住まいはACEFに支給いただいているので、支出はほぼ0ですね。
やることは限られてるので。週に一回飲みに行くくらいですが、それも千円いかないですね。
なので一月、5千ケニアシリング(約5千円)もあれば足りると思います。」
休日は主に何してますか?
「休日は何か突発的に仕事が入ったり、セミナーでどこかに出かけたりすることがなければ寝てるか勉強してるか。施設内の子どもたちに映画を見せてるかどれかですね。」
遊びに行く時はどちらに行かれるんですか?
「ナイロビですね。例えばナイロビで何か飲み会があった時ですね。」
飲み会のメンバーは?
「日本の企業の駐在員の方や、商社の方、NGOで働いている方など。
すごく勉強になりますし今後に繋がる人たちに会える貴重な機会が持てる会だなって思います。」
そういった飲みでのつながりが今に活きていたりするんですか?
「ここにきた理由の一つにケニアにはツテが多いっていうのがあって。
僕も、もうすぐ30歳で、色んなアクションを起こしていく上でたくさん時間が残されているわけではない中で、最短で海外と繋がる仕事につける可能性が高いのはどこかと考えたら、やっぱりケニアだったんですね。それは、これまでにケニアで出会ってきた人たちのつながりの恩恵ですね。」
ケニアの生活の魅力は?
「以前来た時は、初めてのアフリカだったので雄大な自然に驚き感動することばかりだったのですが、今回は、真剣に仕事のスキルアップという目的に集中してるので、正直、あまりその魅力を満喫する機会はないですかね。
今、一番の魅力はあまり娯楽がないので、自分に時間を費やせることですかね。
日本では飲みに行っちゃったり、オールしちゃったりするじゃないすか。
まあケニアでもありますけど(笑)。
すごく自分に時間を使えるというのはあります。」
ケニアの生活で大変な事は?
「たまにシャワーのお湯がでない。時には水さえ出ないでトイレも使えなかったり。
あとは、衛生環境は日本に比べて水準が高くないので、どこでもかしこもトイレに行けるわけでなく。きれいなトイレも少ない。笑
以前2年間いたこともあって慣れてはいますし、ある程度順応できる体なんだろうなって思ってます。
なので大変さも楽しめるって思ってます。」
若林さんがトライして“これで上達した”的な語学習得法ってあります?
「普段の生活の中で、頭の中で日本語変換しないのを心がけてます。
そうすると瞬発力が強くなる。
スムーズにコミュニケーションが取れるようになってきます。
あと、教材を使う方法だと、定番ですが『フルハウス』と『フレンズ』のDVDです。
ただ僕の中では『フレンズ』よりも『フルハウス』の方がいいなと思っていて。
崩れた英語ではなく、ごく普通の生活の中での英会話が話されているので。
特に、自分の中でこれをやって伸びたなと思うのは、このDVDを使ったディクテーション。
ドラマを字幕無しで聞くんですね。
それでセリフを全部一文字残らず書き出すんです。
ディクテーションはリスニング力をアップする練習としてはとてもいいと思います。
それから英語字幕を見ながら登場人物が話すのと同じタイミングで同じ発音になるようにしゃべる。声を出す練習なんで秘密基地でやってます(笑)。」
↑ディクテーションのノート。シリーズごとに、現在8冊まで書き溜めています。
海外でのボランティア活動に従事することに関してどう思いますか?
「基本的にはボランティアも仕事もあまり変わらないと思うんですけど、自分の意識次第で得られるものだったり、成果だったりが変わってくると思うんですね。マインド次第で環境を変えていくとができるので。
与えられた仕事をただこなすだけで満足せず、自分が最終的にこうしたい、こうなりたいっていう軸をはっきり持っていれば、その中で自分が取り組むべきことが見えてきて、とても有意義に活動できると思うんですね。」
それはケニアでの活動を通して培ってきたものなのでしょうか?
「そうですね。
単なる体験じゃなくて、自分にとって有益なものにするには、どうすればいいか。
大きな責任を負うことにはなりますが、やる気になれば、いくらでもやれる環境はあるので。そういう意味では恵まれた環境だと思います。」
↑事務所のデスクで同僚と談笑する若林さん。
↑事務所会議室で同僚達と。
将来の夢は?
「海外でビジネスを展開していく環境に身を置きたいと思っています。
そのための土台作りが現在のACEFですべき事だと思っています。その上で専門性のある職に就き、そこで専門性を伸ばしていけたらとと考えています。
今、2つこれからの自分の仕事についてのプランを考えています。
ひとつは、ケニアに進出している企業に現地採用として就職すること。
それが叶わなければ、日本に帰りケニアなどでビジネスを展開している企業に就職することです。
2017年の6月には今担当しているプロジェクトが終了するので、それまでに、色々な方向にアプローチし、次のステップへ進んでいけたらと思っています。」
↑地元の小学校の子どもたちへの環境問題の講習会へ向かう若林さん。
責任ある大きな仕事をこなしながら、とても謙虚な若林さん。
このインタビューの数ヵ月後に、某日本企業の内定を獲得したそうです。
将来を見据え、現実的に着実に自身の理想に向かって歩みを進めているようです。
受身なままであれば、単なる一体験として終わってしまうかもしれないボランティア活動を人生のステージアップへと活かすのは、心の持ちよう次第。
自身で企画を提案し、海外のスタッフをマネージメントしながらプロジェクトを動かしていく…なんて経験が出来る可能性も充分にあるわけです。
“海外ボランティア、ちょっと気になるな…”という方、ケニアのエンブを拠点に活動しているACEFさんでも随時スタッフを募集していますので是非チェックしてみてください。
ACEFプロジェクト部門所属
若林 寛さん
ACEFプロジェクト部門所属
若林 寛さん
1988年3月19日生まれ。福島県出身。
2010年、拓殖大学 政経学部 法律政治学科 卒業
2010年03月~2012年3月、NGO Africa Children Education Fund(ACEF)にスタッフとして所属。SANYOソーラーライト普及プロジェクト現地調整員、来訪者の現地コーディネーターなどを担当。
2012年に帰国後、IT系企業にて営業及びコンサルティング部門に所属しシステムエンジニアリングサービス営業やITシステムコンサルタントを担当。
2015年11月より、ACEFのプロジェクト部門所属。プロジェクト企画立案、現行プロジェクトマネージメントを行う。