Quest for quality life through traveling around the world.

Interview

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大干ばつの荒廃の地から
豊かな街を創り出した
日本人夫婦の真摯な思い


ACEFケニア事務所所長塩尻安夫さん エイズ孤児施設Jump&Smile院長塩尻美智子さん

今回、ケニアのエンブを拠点にACEF(AFRICA CHILDREN EDUCATION FUND=アフリカ児童教育基金の会)の活動に従事されている塩尻安夫さん・美智子さんご夫妻を取材させていただきました。
塩尻夫妻は立ち上げから27年間、ACEFの活動に従事されています。
ACEFの活動の起源は、1982年に遡ります。ケニア北西部が大干ばつに襲われ、多くの子どもたちやお年寄りが亡くなり、病に倒れるという事態が発生しました。その状況をなんとかしようと『アフリカの飢えた子どもにミルクを』というキャンペーンが日本で始まり、1989年まで続きました。その後も有志がそれぞれの拠点に分かれ救援事業が続けられ、そのひとつとしてメルー(ケニアの首都ナイロビから北約240kmの場所にある地域)のカンバキア村という場所で立ち上げられたのがACEFなのです。
現在、教育、医療支援、植林や環境問題、エイズ孤児の支援活動など多岐にわたる活動に従事されています。
ケニア生活も27年の大ベテランである塩尻夫妻。
アフリカ、ケニアへの移住の経緯、活動についてケニアの魅力をお聞きしました。

 

何も無いからこそ
当たりまえのことの
ありがたさがわかる場所

ケニアに来ることになったきっかけを教えてください。




塩尻安夫さん(以下、Y):「『アフリカの飢えた子どもにミルクを』キャンペーンを先頭に立って引っぱって来た私の上司(代表の村上忠雄さん。2014年にお亡くなりになられました。)から声をかけていただいて、『アフリカに手伝いに来い』と。

ちょうど私も41歳。一段落した時期で。じゃあ、一度、海外に、アフリカにでも行ってみようかと。

1989年ですね。初めは私1人、様子見で。スラムやいろんなケニアの現状を視察して回って、これは大変だなと。

3カ月間のお手伝いの期間を終え、帰国するつもりだったんですが、家内から電話があって、『私も行くから』って。

当時、長男が11歳、一番下の子が2歳。5人の子ども達を連れて何にも知らないケニアに行くなんて無謀だって止めたんですけどね。『いや私決めたから』って。

この人は決めたらやる人ですからね(笑)。」




美智子さんは、なぜ敢えてケニア行きを望まれたんですか?




塩尻美智子さん(以下、M):「なんだかね、私は不思議な声を聞いたんです。

主人がケニアの3カ月の視察から帰る1週間前です。

ケニア行きを示唆さする不思議なメッセージを私の心の中で受け取ったというか、『ああ、私も行かなくては』と。

電気も水もない所になんて、あの声がなかったら私は来てませんでしたね。

色んな人に『なぜケニアに?』って聞かれるんですけど、いつもそう答えてるんです。

日本では、なかなか誰も信じてくれないんですけど。でもケニアの人に言うと分かってくれるんです。『それは素晴らしい』って手を叩いて喜んでくれるんですけど。」

正に天の声ですね!!




M:「もともと私は23歳の時に股関節の脱臼の手術で、医者に松葉杖がなければ歩けないと宣告されまして。重い物も持ってはいけないと。すごいショックで…。

それで心を決めまして。嘆き哀しむよりも今まで普通に歩けていたことに感謝しなければいけない。どうせ悪くなる足であれば人のために使う足にならせてもらおうって。

そう決めたら、もう松葉杖はつかずに、荷物も自然に普通の人のように持つし、ありのままに生きようって。その覚悟を決めた時から、もう全て新しいモノは身につけない。

求める生き方から与えていただく生活に切り替えて。

それまで私は、デパート勤務でしたから、もう派手に好きなことさせてもらってて。

だからそれまでとの生き方と180度変って、全く違う世界に入ったので。


ボランティアの生活に身を投じて、そうしてるうちに主人との出会いがあったんですね。

主人の精神的な考え、それが素晴らしいなあと。私と同じものを持ってるなと。これも不思議な出会いですよね。」


Y:「病気の方とか、難儀な人とか、そういう所を訪ね歩いて。社会生活を辞めて、彼女も私と一緒に路上生活をする覚悟で。」

M:「全く収入のない、ボランティアですよね。ボランティアに徹しようって。

Y:「私も全くの無一文だし、寝袋一つに一緒に寝たりしてましたね(笑)。」

M:「若かったからね(笑)。でも今でも、やろうと思えば、できますけどね。もともと何も無い生活からスタートしたから。

これがなければ、あれがなければというのは、自分は嫌だなって。」


Y:「だからここにもゼロからで来ましたけど、今も自分個人のものは何一つないです。土地もこの建物もACEFという団体のもので。

所有したいとか、そんなことは全然思ってもいないし、寝る場所があって、食べることができて、自分達の活動が地元の人達の役に立てば何も言うことはないですよね。

何も個人の所有にしなくたってね、どうせ(天に召されたら)置いていくんだから。

あとは引き継いでね、やってくれる人が育ってくれれば良いんでね。」




ACEFのご活動はお二人の天命なんですね。




M:「だんだん時が経って、あの声は私の錯覚だったのかなって思うようになったんですけど、偶然、マザーテレサのDVDを見て、彼女が神の声を聞いたっていう件があって、私もあれはひょっとすると本当だったな。絶対にあの声はメッセージだったんだって思うようになりました。」




ケニアに運命を感じますね。




M:「そうですね。」

マラリアによる長女の死
悲しみを繰り返さないように
子どものための診療所を設立

最初はどんな事業から始まったんですか?




Y:「もともとはケニアのメルーという現在我々が居るエンブの町から100kmぐらい北上した場所で貧しい家庭の子ども達のための教育施設に取り組んだのが始まりです。

その当時は、みんな少しの金が払えなくて、途中で学校を辞めていく。

何とか義務教育だけでも受けさせたいとずっと家庭を回って学費を支援してたんですよね。

それから村にいましたから、水道の水を引いてあげたり(現在、1000人以上の村人の生活水を供給)、道路工事をしたり、橋を渡したり。日本人からすると、こんなの階段を作れば楽なのにとか、遠くても水を引けばいいのにとか、当たり前に思うことを改善してやって。

そんなことに取り組んでいた矢先に、長女が亡くなりまして。」

M:「9歳の長女がマラリアを患って亡くなったんです。

みんなは帰国を考えたんですけど、私は、『この子をケニアに残して帰れません!』って。

当時は国立病院には注射もなければ薬もない。

外国から国際支援で送られてくる医療薬は医者の横流しで患者まで回ってこない。1つのベッドに2、3人川の字になって入院しているのが当たり前。

ケニアの平均寿命が低いのは、こうして幼い子どもがマラリアで亡くなる例が多いから。

もっと早く治療を施していたら助かったかもしれないのに…。」


Y:「同じように子どもを亡くしている人がいっぱいいて。娘の死を生かすためにも、子ども達のために診療所を作ろうということになって。それが91年ですね。

その病院には検査が出来て、もちろん予防接種も出来て、薬局の施設もある、とにかくちゃんとした対応が出来る施設を作っていったんです。」




それがメルーの診療所なんですね。




Y:「日本人の病院だってことで、すごい人がたくさん来ましたね。

1日に200人、300人。遠くからもかなりたくさんの患者さんがやって来ました。2008年まで私達が関わって約15年間、30万人の患者さんに医療援助をしてきました。」




↑メルーから1995年に移動してきてからACEF事務所に併設されたエンブの病院。毎日、患者さんがひっきりなしに訪れます。



ACEF HOSPITAL




↑2002年に開業したエナにある、診療所&エイズケアセンター。

節から新しい芽が出る
難儀からこそ
いいことが生まれてくる

最初の頃は、治安が悪くて盗難などの被害に遭われたこともあったとか?




Y:「そんなのは日常茶飯事でしたよ(笑)。

一番大きいのは、強盗にあって、持ち金を全て盗られたんです。

その時のまあ250万円ぐらいですけどね。プロジェクトのための全財産だったんですね。

もういよいよ引き上げかなと思ったんですが。私たちの活動を評価してくれていた州知事が『地元のために活動してくれている日本人の方々になんたることか』と嘆いて、今、我々がいるエンブ市のこの土地、約10エーカーを提供してくれることになって。

それが1995年くらい。それでここエンブに移ったんですよ。」


 

それは大変でしたね…。




Y
:「でも、そういう難儀なことからいいことが生まれるんですよね。


節から芽が出るって言うんですけど、竹でも節からしか芽が出ないんですよね。

真ん中は出ない。節の所から新芽が出るように、難儀が節とすれば、人生の節ですよね。

人生の節から新しい新芽が出る。

だから娘のことも、死という親にとってはとても悲しい出来事です。

大きな節ですよね。でも今、そこから4つの病院が生まれてます。

だからそういう節を生かすというか、難儀からまた新しい芽が出てそれ以上のことに発展させ、つないでいく。

そういう繰り返しですよね。」

美智子さんのミシン教室から
全12コースもの
職業訓練校へと発展

職業訓練校も展開されていますよね?




Y:「もともとメルーで洋裁学校をやっていたのが始まりなんですよ。最初は、たった一クラスだったんですけどね。」

M:「『大妻高校で習った和裁とミシンの技術を教えたら?』っていう主人のアイディアがきっかけで始めたんです。

こっちの娘さん達は小学校を卒業したら嫁にいくしなかいんですよ。半数近くが母子家庭。若い娘さん達に明るい未来の夢を与えたい。彼女達に洋裁の技術を教えて、自立につなげることができたら、ご家族の助けになればと、近所の娘さんに教え始めたのがきっかけなんですよ。

エンブに移動してからは、その子たちの住む寮とミシン教室の2部屋だったんですけれど。

男の子のコースを作って欲しいという要望を受けて、大使館の方にお願いに行ったんです。

そうしたら、校舎建てるだけの資金を集めて頂いて。」

Y:「それが発展して今、12コースにまで増えて。

自動車整備、溶接、木工、電気科、水道科、建築、塗装、コンピューター。女の子は洋裁と、ヘアサロン、食品栄養料理業、それが今、有機農業の農場にも発展してますけどね。まあ農業科ですね。それに自動車の教習所もあります。

各コース、毎年約200名の卒業生を出しています。」


M:「最初は本当にね、ミシン教室だけやってたのが、国立国家試験の指定所にまでなったんですよ。」




教育って一番大事じゃないですか。そのもともとは美智子さんの洋裁学校がきっかけなんですね。

↑現在、美智子さんが週のほとんどを過ごすナイロビから170km離れたマキマという場所にあるエイズ孤児施設の学校の様子。子どもたちの勉強を見守る美智子さん。

子どものための教育、医療の
次は 環境、ゴミ問題への取り組み

子どもたちの医療、教育といった支援活動の中から、次のステップとして環境やゴミ問題へと展開されていったのでしょうか?




Y:「そうですね。“元気な子どもには教育を。病気の子どもには薬を。枯れた大地には緑を。”この3本柱がACEFのモットーです。

ここにいるとよく分かりますけど、本当に雨降らない。

森林率っていうのは非常に低いわけですよ。3%ですからね。」




ケニアの森林率が3%?




:「そう。森林率3%。日本は70%。だからここはいつも乾燥しています。

でも現実にはみんな木を切ってしまう。

ケニアはガスも電気も普及率がだいたい10%ですからね。

あとの9割は木を伐採して、それを薪や炭にして熱源にしないといけない。

毎日使いますからね。それがなければお茶もご飯も作れないから。

ナイロビのスラムではみんな炭を使っていて、すごい量が消費されている。

それだけ木を切ってるってことですからね。だからどんどん森が少なくなっていく。

砂漠化してますし。

イシオロ(エンブのさらに北150キロの場所)って場所から100キロ先ぐらいまで1mの木がないですからね。

もう育たないというか、雨が降らないと植えても枯れちゃうし。


だからせめて我々が植林を普及しようと2003年から始めました。

エンブ県内の小学校の校庭に苗木の植林を施していきました。

スクールフォレスト(学校の森)プロジェクトというのを立ち上げて、かれこれ十数年で、50校以上、だいたい10万本くらいは植えてきたかな。

私が嬉しいのは、それぞれ森が出来あがってるんですよね。

そういうの見ると、ひとつの事業の成果というか、役に立ってるかなと。

今も継続して、今後も植林は続けていきます。」




ゴミ問題にも取り組まれていますよね?




Y:「これはもう5年になるんですかね。

2004年にケニア人で始めてノーベル賞(ノーベル平和賞)を受賞した女性環境保護活動家であり政治家でもあるワンガリ・マータイさんの提唱した“MOTTAINAI”運動を私達も受け継いでいこうと。

ご存知かと思いますが、日本語の“もったいない”という言葉の意味を知り感銘を受け“MOTTAINAI”の精神を世界に提唱されたことでも有名な方です。


Reduse Reuse Recycle

まずは、ゴミ問題。

貧しいって言いながら資源を捨てている。

私は有機農業を推奨してるんだけど、その堆肥の元にゴミを再利用できないかと思って。

堆肥の材料に相応しい家庭の残飯や市場のゴミってのがあって。

これを有効に使わない手はないなと。

あとスラムの排泄物。

日本も昔は街の人達の排泄物をお百姓さんが買いに行ってるんだから。

それも有効利用。初めはそんなものを畑に使うなんてとんでもないという感じでしたが、だいぶ意識が変わってきました。


それからまだ使えるものもあるからセパレーションして、ナイロンとか、いわゆるリサイクリングに回す。

それから本当に捨てるものっていうのはリデュースされるから。

要は資源を有効に使う、物を大切に使うってことを提唱するのが今やってるプロジェクト。

所謂、リデュース、リユース、リサイクリングってやつですね。」

↑エナにある有機農法環境トレーニングセンターでスタッフとお話中の塩尻所長。

古き良き日本をアフリカで再現してるような感じがしますね。




Y:「そうですね。


それから、ケニアの人は時間を守れないんですよ。みんな2時間、3時間平気で遅れるし。

集会や何やら9時に集まってくださいって言っても11時ごろ。それが普通なんで。

だから時間を無駄にしないっていう。時は金なり。これを一つは教える。


“資源を有効に使う”、“物を大切に使う”、“時間を守る”。

この3つを柱に、JICA(国際協力機構)さんも関わりながら、“MOTTAINAI”運動の啓蒙事業を行っています。

この辺では、私たちが行くと、『おお!もったいない!』って合言葉みたいになっていますよ(笑)。

『ああ、君も講習会に行ったね』って(笑)。そんな感じでぼちぼち広がっています。

これから、もっと全国に広げたいですよね。」




ここまで様々な事業が拡大し成功した秘訣は何なんでしょうか?




Y:「それは先程言ったように、私たちが儲け主義でなくてやってるからですかね。

経営とか色んな面で全く素人で、勉強したわけでも、知識があるわけでもないし。

でも要は、この地元の人のため、ケニアの人のために役に立てればいいという思いだけは一貫してずっと変わらない。

だから、そういう精神を理解して、ついてきてくれるスタッフに恵まれているということもあります。もちろん地元の人たちにも支えられているし。もし、これが儲け主義だけに走っていたらどうなっていたか分からないですけどね。私たちは何も個人の所有物はないし、金を貯めてどうこうとかは一切考えてないですから。

上手く施設を活用してもらえたり、本当に地域のために役に立つことに注力しているから、まあ分かってもらえてるんじゃないですかね。」

ケニアは
必要とされる
“生き場所”にあふれている

お二人が思うケニアの魅力って何ですか?




Y:「魅力は、ひとつは私たちのような何の能力も、専門的な知識もない者でも、喜ばれるというか、感謝されるというか。

あなたたちがやってくれたおかげでとか。

そういう喜んでもらえる場所があると。

日本だったら我々は、何にも手の出しようがない。出来上がった国というかね。

もちろん引きこもりだ、自殺だ、あるいは虐待だ…、いろんな問題はあるにしても、日本の場合は行政でも何でも駆け込み寺的なものがいっぱいある。でも、ケニアは本当に駆け込んでも、いくら行政に懇願したところで、何の解決にもならない。

家が貧しかろうが、仕事が全くなかろうが、そんな事は知らんってのがこっちの常識。

『それは自分の問題だ』って、行政の支援体制が全くできていない。

だから我々素人でもこういう学校とか、病院とか必要とされる。むしろ成績の悪い子とかを優先的に受け入れる学校にしてるんですけどね。

だからハードルを低くして、できるだけ手に職をつけさせる事だったりね。

病院はもちろんそうですし、我々のような何の専門的な資格も知識もない者でもアフリカだからこそ、まだやれることがいっぱいある。

それで感謝される。

そこにやっぱり一つは居心地が良いんですかね。

だから自分の何て言うんですか、生き場所としてみんなが喜んでくれるから、こんなことで喜んでもらえるなら、もっとしようかと。

みんなの要望を聞いてるうちに大きくなってきてるんですけどね。そこは色んな人に支えられてね。」

↑マキマの施設の周辺の様子。広大なケニアの台地が見渡せます。

M:「私は、ここには日本のようなこだわりがないなと思ってね。常識的なこだわりがね。」




“こうじゃなきゃいけない”みたいな?




M:「そうそう。それがないから、心地良いですね。

日本に帰るとちょっと疲れるような(笑)。

もうね、26年も離れてますから。その中で日本のそういった常識を意識して生活するっていうのはもうちょっと無理だなって。

ある日本人のこらちに住まわれているご年配の方に『塩尻さんのお宅は将来どうされるんですか?』って聞かれて。

将来というか、もう年ですからね、遠い将来じゃなく近い将来よね。

『いや、私たちはここに骨を埋めますよ。日本には帰りませんよって。』

私は全然帰る気はないですね。

もうここで良い、ここが良い。」




お二人の真摯な気持ちを受け止めてくれる純粋さがアフリカにあるというか…。




M:「そうね、たくさん問題はありますけど、問題があるからこそ役に立てるというのもある。

やっぱり人間って生きてても役に立たないって思うとつらいじゃない。

役に立つって事が一番の、なんか生きている事の意義があるというか、それがないって事がやっぱり孤独で。

それが一番の貧しさっていうか。

マザーテレサもおっしゃってる。パンがない、それが貧しいんじゃない。本当の心の貧しさは孤独の貧しさなんだって。

だからいくらお金があっても、自分の存在意義を見出せないっていうのは、本当に豊かではない。

それを思ったら、このケニアはこんな私でも役に立ってるなあって。

それが楽しいですね。」




いえいえ!お二人がここにいらっしゃったからこそ、ここがこんなに素晴らしい場所に発展したんだと思います。

お二人がいなかったら、ここは全然違う感じになってたんだろうなって心底思います。




M:「そうですよね。そう思ったら人間って不思議。私も、もしこの足が病気になってなかったら、普通に結婚して、普通の好き勝手わがままな奥様になってただろうなって思いますよ(笑)。

そう思ったら私は病気になってくれた足にありがとうって本当に思います。

病気が悪いんじゃなく、病気によって塞ぎ込んでしまう心。

そうじゃなくて、上向きになって『よしっ!』て、『これでいいんだ!』って。

それを自分で受け止めて前に進むように考える方が人生を素晴らしい方向へと変えていくんだなって思いますね。

やっぱり患ってる人は患ってる人の気持ちがわかるから、それは本当は宝なんだってね。でも宝を腐らせちゃ、病気してさらに惨めになっちゃう。

そんな惨めな自分になっちゃいけないよって。

今年(2016年)の夏に日本に帰国した時にパラリンピックを見てもう心から感動して。

車椅子でもスポーツにかけてる選手の目の輝き。片方の足の代わりに器具を付けて、ポンッて飛んで。彼らの競技を見てたら、ああすごいなって。体が不自由でも、心が健康であれば本当に素晴らしい。

五体満足でも心が病気してたら病気なんだって。

だからどれだけ病気になっても、心を病気にしないでって気持ちですね。」


心の健康は大切ですよね。心が疲れてる人は、アフリカに来れば元気になりますかね?




M:「私ね、本当にね、喜びのない毎日を送っていて人生って何だろうって思ってる人たちにぜひ来て欲しいと思っていてね。

初めてここに来て、最初は硬い顔をしてる人もいるんです。

でも数日居て、働くメンバーや子どもたちとワイワイ過ごしていると、すごい元気な顔になって。

本当に『あれ?同じ人』って思うくらい明るくなって。

帰国したら周りの人に、『すごい変わった』と言われたって。

それを聞いてね、やっぱりここはね不思議な所だなって。

ここに滞在した方からよくメールとか頂くんだけど、パワーがだんだんと切れてきたので、またケニアに行きますからよろしくお願いしますって(笑)。」

Y:「不登校の子や、引きこもりの子がここに来て、アフリカの明るさ、大自然を見て、元気をもらって、そっから随分人生を変えた人がいるんですよ。

折角生まれた人生をね、部屋に閉じこもってたらもったいない。

多くのケニア人の日常って、貧困だったり、様々な問題を抱えていて、とても笑ってる場合じゃないよって状態だったりするんだけれど、いつも笑顔で非常に明るい。すぐに踊り出しちゃったりね(笑)。そういうのって今の日本にはないんですよね。

最近の数字を見たら、引きこもりだけで約54万人。そこに入ってない人も結構いるだろうしね。100万人とも言われてるそうだけどね。

30歳、40歳にもなってね、部屋に閉じこもってるなんて本当にもったいない人生ですよね。

ここには他の国からもたくさんのボランティアに来てくれるんだけど、例えばアメリカ人の子に『アメリカに引きこもりっているの?』って聞いたら、とんでもない!

自立心が強いから、しかも早く大人って認めて欲しいから、同居しててもきちっと家賃を払うって言うんだよね。

親に甘えて食べさせてもらう、その事自体が自分の自尊心が許さないって。

日本人は逆なんだよね。親に甘えて、いつまででも家賃払わなくてもいいし、ご飯を食べさせてもらって。

親が子どもを壊してるわけですよね。

これは本当に国益的にもすごく損をしてるよね。

働いてくれてたらもっとGDPが上がるし、経済的に上向いていくと思うのにね。

しかも、日本は自殺者が2万5千人とか、でも未遂は10倍って言われてますよね。

そんな悲しい状況になる前に、一度、この大自然に触れて、それで人生観が変わればね。

折角生まれたんだから、そういう人の気持ちを蘇えさせられるかなって。

ここで元気を得てもらって、次の新しい人生を生み出す。

これをなんとか上手に訴えていきたいんだけどね。

そのきっかけになってくれればねって本当に思うんだよね。

だから、もっとどんどんここに来て欲しいんだけどね。」

ACEFケニア所長 塩尻安夫さん


M:「それから、ここのボランティアを通して今15組ものカップルが生まれてますよ。」

Y:「ケニア人同士は、うちのプロジェクトを通してもう数えられないぐらい。

知らない間に、いつの間にか職場結婚だよね。」

M:「振袖を何着か持ってますのでね、好きなの選んでもらって。

それで振袖を着せてケニアで結婚式。

うちの娘も息子たちもそうですけど、ここで結婚式を挙げて。」

Y:「婚活にも一つのきっかけになりますよ。(笑)。

50歳になって求めながらも一度も結婚できない男が日本は20%だそうじゃないですか?」

M:「そしたらケニアの女性と結婚しなさいって言うわ(笑)。」




なによりもそうやって新しい家族がどんどん繋がっていくのって素晴らしいですね。




Y:「ここには縁結びの神様がいるんで。ちょっと来てみたらって勧めたい(笑)。人生の転換にね。

日本は小っちゃい小っちゃい島国でね、その小っちゃい考えに閉じこもってたらもったいない。

そんな島国根性から、もっと外に出て。

うわっ~!本当に大自然ってすごいなって感じてもらって。

何か変わるきっかけになればと思いますね。」

塩尻夫妻


優しい笑顔でケニアの魅力を語る安雄さんと美智子さん。

日本人ボランティアスタッフ、ケニア人スタッフ、地元の生徒たち、そして街の人々に愛され、必要とされているお二人。その姿は、正にケニアのお父さん、お母さん。

塩尻さんと一緒に町を歩いてると、すぐに、どこからともなく『ダイレクター!』と声がかかります。塩尻さんの役職名を地元の人が愛称としてそう呼んでいるのです。

警備員から、レストランの店員から、農場で働く人からと職種は様々ですが、みんな親しげにまるで家族のよう。中には、若い頃はやんちゃしてたであろう輩たちも多数(笑)。

そのやりとりを拝見させていただくだけで、塩尻さんご夫妻がここで培ってきた歴史を感じることができました。

実は、2014年に、三男の吉太郎さんが不慮の交通事故でお亡くなりになるという悲しい出来事がありました。

長女、直美さんと三男の吉太郎さん、二人のお子さんを、この地で亡くされ、計り知れない深い哀惜をしのいでこられたに違いありません。

だからこそ、ケニアの人たちやプロジェクトに関わるスタッフをみんな自分の家族のようにかわいがり惜しみない愛情を注ぐ優しさに溢れていらっしゃるのかもしれません。

5人兄弟の長男、一道さんは大手商社に勤め日本とケニアを行ったり来たりの毎日。妹の死をきっかけに医師の道に進んだ次男の大輔さん。日本の料理学校を卒業した次女の喜子さんは寿司職人の旦那さんとケニアに日本料理店を出すことが夢だそう。形は違えど、皆さんがお二人のDNAを受け継いで日本とケニアの橋渡し的なお仕事に従事されています。

塩尻さんご夫妻がここに来たことで、この場所の未来が拓けたと言って過言でありません。

そして、お二人の取り組みによって良い方向へ発展していったエンブ地区のように、海を越えた遥か遠くに日本人の誠実さ、真面目さ、繊細さを必要としている場所が世界には、まだまだあるはずです。

塩尻さんご夫妻の凛としたたくましい笑顔に、これからの日本人のさらなる可能性を感じずにはいられませんでした。


現在、ACEFではエイズ孤児施設『JUMP&SMILE』に井戸と電気を設置する資金を募るクラウドファンディングを行っています(2017年3月15日締め切り)。是非、ご協力いただけましたら幸いです。

Profile

ACEFケニア事務所所長塩尻安夫さん エイズ孤児施設Jump&Smile院長塩尻美智子さん

ACEFケニア事務所所長塩尻安夫さん エイズ孤児施設Jump&Smile院長塩尻美智子さん

塩尻安夫さん(左)/1949年生まれ。京都府綾部市出身。京都府立工業高校で機械工学を学ぶ。

20歳で2年間務めた会社を辞め、「世の中のためになる」ことを決意。28歳で美智子さんと結婚。40歳まで日本で人助けに励む。

1989年、41歳の時に『アフリカの飢えた子どもにミルクを』のキャンペーンがきっかけでケニアへ渡る。その後27年間、ケニアで教育・医療・環境教育など、多岐にわたり支援事業に従事している。



塩尻美智子さん(右)/1952年生まれ。北海道函館市出身。大妻高等学校にて和裁を学ぶ。

棒二森屋呉服部勤務後、股関節の手術を機にボランティアの道に進むことを決意。

ケニアでの飢餓報道を見て救援募金を始める。

1990年、夫、安夫さんと5人の子どもたちと共にケニアに渡る。同年、長女のマラリアによる死をきっかけに子ども診療所を開院。

12コースの職業訓練校、幼稚園、小学校、孤児や遠方の生徒のための寮付き施設を作る。他、人材育成事業も行っている。