Quest for quality life through traveling around the world.

Interview

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“これからの時代の豊かさ”を
体感できる空間を
宮崎から提案【後編】

TAGIRI HOTEL代表
菅間貴也さん

運命に手繰り寄せられるようにたどり着いた場所、そして仲間との出会い。
正に“カミング”で、前からやって来る偶然という名の必然に身を任せて、自然体でいればAll is well(万事うまくいく)!
TAGIRI HOTEL代表、菅間さんのインタビュー【後編】です。

 

 

鴨川でスタートした
農的暮らしの実践

それから、千葉の鴨川に拠点を移されたんですよね?




「鴨川に行き着いたのも、カミさんと全国旅をしてグッとくるところに住もうよって。

その時、たまたまフォルクスワーゲンのタイプ2を手に入れて、それを修理して、家財道具全部積んで旅に出て。

それで見つけたところが千葉の鴨川という所。」


鴨川に惹かれたのはなんでですか?




「今思えば、なぜかわからない。目に見えない引力というか。

ずっと海沿いの場所を探してたんだけど、カミさんが山の方行ってみない?って、たまたま行った山の中で、たまたま僕が尿意を覚え、そこで用を足したんです。

ばーって開けてる所で。ああ、なんて気持ちいいんだって。

たまたま、そこの近所に友達夫婦が住んでて、移住の相談をしたら、不動産屋を紹介してくれて。

訪ねてみたら、僕達にぴったりな所があると言って連れってってもらった所が僕が用を足した所。

え?ここ?って。

ただ、家を建てられる許可は出てるけど、ライフラインが何も無い。」


水道もない?




「ない。電気もガスもない。だからワクワクしちゃって。

ここに決めようって。決めたはいいけど、水がないからどうしようって。

山に探しに行ったりして。湧き水とかちょろちょろタンクに積んで。

小さい頃からキャンプには連れてってもらってたので、テントを張るくらいはできたし、飯盒でご飯は炊けたし。

キャンプですよね。でもキャンプ生活も1週間やってたら飽きてくるし。

でも生活だからやり続ける必要がある。で快適にって思ったら、やっぱり家が必要で。」




それまで家を建てる技術とか習得してたんですか?




「全く。ど素人ですよ。横浜のただの坊っちゃん。

サーフィンと女の子の事しか知らないみたいな。

インパクトドライバーってなんぞやねん、のこぎりってどうやってひくんだっけ?てな感じで何にもわかんなくて。

家は建てられないし、どうしようと。

そうしたら、オーストラリアで見たキャンピングカーやバスを住居にしている人を思い出して、日本でもそれやっていいんじゃないかと思いついて。

キャンピングカーは高いので、バスをもらおうと思って。

バス会社20軒くらい電話したら、みんな中古は海外に輸出してしまうそうで。

普通のバス会社じゃなくて、個人経営の観光バスの会社にあたろうってことになって、ようやく近所で見つけて。70年代のすごいかっこいいやつで。

動かないこんなバスを何にするんだって聞かれて、家にしたいんですって言ったらいい度胸してんなって。

それを10万円かけて牽引してきて。その土地の真ん中にバス置いて“家だー!”って。

そっから鴨川の自給自足の生活を始めたんです。」

それは奥様とお二人で?




「その頃は、あいつバカな事やってるよねみたいな感じで何人か友達が週末ごとに集まって来て。みんなで作り始めて。

バスをベースに。」


ある意味、それがTAGIRI HOTELの元祖みたいな?




「もう、元祖ですよ。

作る事ってこんな面白いんだって思って。風呂もないからドラム缶を切って下で火を炊いて。

最初は貯めた水を流すのを、ドラム缶をみんなで倒してワサーッてやってたんだけど、もうちょっと頭使ってコックとか作れんじゃないかって。

近所のおじさんに聞いたら、“やってやるよ!”ってバーナーを持って来てくれて、コック作ってもらって。ひねれば、水を出したり、止めたり出来るようになって。

3年間くらいドラム缶風呂入ってました。」

良い所を認め合い、
足りない分を補い合う
“ラブ&ライス”のスタイル

「それから当時、お米を作ることが自分たちの周りでテーマだったんです。米さえあれば生きていけるだろと。

昔は“Love&Peace”って言ってたけど、時代は21世紀なんだから“Love&Rice”じゃないって。」




自分たちで食べるために?




「そうです。自給自足をするために農場を始めて。

ひなびた場所を全部人力で開墾して。

その中で、かつての日本のルーツとか、農業のやり方とか、農村に住む人のアイデアとか、祭の意味とか学んで、すごく面白くて。」

↑千葉県鴨川で“Love&Rice”のプロジェクトに取り組んでいた頃の菅間さんと仲間たち。

具体的にどんなことを教えてもらったんですか?




「近所はみんな農家だったから、いろいろ教わりました。

僕らの畑は雨水を使ってたんですけど、近所のおじいちゃんに聞いたら昔は神様に雨乞いして雨を降らしてもらってたんだから、お前らだって出来るだろって言われて。

神様に雨を降らしてくださいってお願いしたり(笑)。

農薬を使わない昔の作り方を教えてもらったり。」


自然農法をつきつめるみたいな?




「取り組み始めた当初は、もっとオーガニックにすればいいのにと思ったりもしたんだけど。

例えば、草刈りだって、初めは鎌を使って手作業でやってたんだけど、何千坪みたいな広さだから、ガソリンで動く草刈機を使うようになって。

実際、やってみることで、そういった便利な道具を使うことの大切さも知ったし。

その様子をMac使ってブログを書いて発信していたから人が集まって来たわけだし。

必要な物っていうのは、必要だから産まれてるわけだし。

あるものを否定するよりも、ちゃんとチョイスする生き方をしたいなと思って。」


使い方ってことですよね?




「そうですね。

そんな暮らし方について集まってくる仲間たちと夜な夜な火を囲みながら、満天の星空の下、流れ星を眺めながら語りあったりして。

それは哲学的な話にも及び。

サーフィンの世界で競争してた時に気付いたことでもあったんだけど、戦って勝ろうとか、人より何か良いものを求めていたら、絶対その人を基準にしてのし上がろうとするわけ。でもそれってそもそも必要なのかな。

まずはお互いの良い所を認め合って、足りない分を補い合うみたいなことでよくないかと。お互いに成長できるし。

それが田舎での暮らしだったり、人との関係性からよりリアルに感じられてきて。」


Love&Rice


Love&Rice

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                           ↑千葉県鴨川Love&Rice Fieldでの菅間さんの結婚式の様子。奥様の繭子さんと。




実践の中から、これからの暮らしの理想像が見えてきた?




「そんな感じですかね。

それで仲間たちと、そういった場を作ろうとゲストハウスを建てることになって。

30坪の2階建てのゲストハウス。

そうしたら、日本全国歩いて回って神社仏閣を作ってきた大工の棟梁がいきなり現れて。」




またカミングですね!その方は旅をしてる人?




「その人はね、旅の終着地として僕らが住んでいた場所の山の上の方に家を構えていて。

鴨川やばいですよ。当時、そこにもコミュニティが出来ていて。

その人は“金はいらん!焼酎よこせ!”みたいな、酒を飲んで生きてる棟梁。

“お前らみたいな生き方が成功すれば世の中は変わるから俺が最後の仕事してやるよ”って。

今ではやらなくなってしまった大工の技、木材を組み合わせるための加工を施す“刻み”の技術とかを全部、教えてくれて。

朝4時半起床で棟梁ん家にみんな集合して、鉢巻きしてカンカンカンって。

40人くらいで棟上げして。全部手作業。

その時に、なるほど。みんなでやれば家は作れるんだって思って。

その棟梁が完全に教師でしたね。

出来上がる直前に、“後はお前らでやれ”って亡くなられた。

それが2011年の1月。東日本大震災の2ヶ月前。」


なんて運命的な…!

Happiness is a journey,
Not a destination

「311が来て、結局、家が出来る事、そこに住む事が目的じゃなかったって事に気付いて。

“Happiness is a journey, Not a destination. ”てのをずっと言ってきたんだけど、“目的じゃなくて、プロセスを大切にする生き方をしていこう”って、311の翌日にその地を離れて避難したんですよね。」


それで宮崎に行こうと。




「その時は全く別の場所に。友達夫婦と一緒に滋賀県に避難して。

事態が収束しないから車を買い替えようって。

大きなキャンピングカーに乗り換えて、長期の旅に出ようって。」




どうして、ここにたどり着くことに?




「ここは、またここで面白い導きがあって。


たまたま旅の途中で友達に会って。宮崎に面白いおばちゃんがいるから是非訪ねてって。

それで訪れたのが、この地だったんですけど。そのあばちゃんが確かに面白いおばちゃんで。

疲れただろうからゆっくりしていきなって家を解放してくれて。

炊事洗濯もさせてもらって。」


どんな方なんですか?




「普通の、一般人のおばちゃんなんです。でも色々理解あるというか。

結局、その方をきっかけに、この地に移住してくることになって。

CAFE10の場所も、彼女が間に入ってくれて。

宮崎に移住した当初はLove&Riceの米作りを続けていたから、仲間たちがよく遊びに来てくれてて。うちの狭い畳2畳みたいな部屋で寝泊りしてたんで、ゲストハウスでも作れば、みんな快適に泊まれるなと思って、1軒作ったんですよ。自分ちの敷地内に。

おばちゃんも様子を見にきてくれたりして。

そうやって来てくれた子たちがまたいろんな友達に伝えてくれて、知らない人が来るようになって。

僕も第二子を授かって。

そんな折に、CAFE10の場所を大家さんが使わないかって言ってくれてるけど、使う?って勧められて。

波乗りするし、海から上がった後にコーヒー飲める所があったらいいなと思って。

じゃあせっかくなんで使わせてもらいますってところから。

だから、僕がどうしてもここをやらしてくれって事ではなくって、呼ばれて、自然な流れとして、やらしていただくことになったわけで。

前から来ることを受け入れて今がある。

スタッフたちもみんな面白そうだってことで前からやって来てくれて。

今日のMeLikeの取材もそうだし(笑)。」

↑CAFE10の様子(CAFE10 facebookページより)。

そうですね(笑)。

マネージャーの黒田さんも前職を辞めて新天地を探してご夫婦で旅してる途中に車が故障して、この地に滞在したのが、TAGIRI HOTELに関わるきっかけだと伺いました。

TAGIRI HOTEL

↑マネージャーの黒田拓哉さん(中)とパティシエの妻 黒田沙紀さん(左)のご夫婦&Babyちゃんと。




「そうなんですよ。だからなんか僕が今すごく実感するのは、僕を起点にとかじゃなくて、多分何か本当に目に見えないものが起点となって、集められてるとか、そうとしか言いようがない。

僕だけじゃなくて、ここに携わっているいろんな人のここのエネルギー。」




この場所に昔から脈々とある土地のパワーみたいな?




「そう。このオーナーのお母様の三戸サツエさん(霊長類研究者。くわしくはTAGIRI HOTELのホームページをご覧ください)の写真は、昔のままこの場所から動かしてないんです。

ここの声が動かしたらダメって。温泉の浴槽も昔のまま手をいれてない。

やっぱり、“そのままにして”って声を感じるんですよ。

それは、ずっと引き継いがれてきた流れだったり、そのものの声なんですよ。

そういったものに耳を傾けて作るかどうか。」

TAGIRI HOTEL


TAGIRI HOEL


土地の声?




「そう。だから、どこだかわからない適当な設計士を入れて、ばーんと業者を入れて、ぱちぱちぱちと収益を勘定してやっていく作りじいゃない。

ひとつひとつ、ちいち全部対話をして作ってるから。

これまでここに存在してきた全て。この人も、この人も。この人も全員知ってるよ。全員見てるし。

だから、これからも、ここに来て、ここの時間を共にして、ここに落として頂いた時間はまた枯れ葉のように敷き詰められて、それは有機的な土の養分になっていく。

ありがとうございます、養分を。あははは。」


宿泊客の私たちもここから何かをいただきながら、この空間を創りだしていく一部になってるってことですかね?(笑)



“これからの豊かさ”を
垣間見せてくれる場所
TAGIRI HOTEL

菅間さんが、これから取り組んでいきたいと思ってることは?




「やっぱり、世界、海外へフィールドを広げたい。

地球は広いし。地球上を行ったり来たり出来るくらいのタフな状況を作っていければいいなと。」




物質的にも、ハートの部分的にも?




「そうですね、ハートに力がつければ、外にも行けるし、外のものを受け入れる事も出来るし。内面を耕していくというか。

誰しも人生において1つは使命的なものが多分あるんですよね。

例えば、僕はイメージを発想したり、作るところが得意だから担当します。あなただったら写真を撮ったり文章を書くのが得意ならその担当をお願いします、みたいな。

みんなと提携していく。

そうやって世界を作っていけたら。


僕は今、空間を作っているけど、空間という世界じゃないですか。

そこに、どういう人がやって来て、どういう思いで時を過ごして、何を感じて、その世界を後にして、どんな体験を持ち帰るか。

その過程をいかに豊かなものにしていくか。

つまりは、旅なんですよ。」



なるほど!?

TAGIRI HOTEL


TAGIRI HOTEL

TAGIRI HOTEL


TAGIRI HOTEL


 

「これは東日本大震災の後、あるおばあさんに聞いた話。

人は1から10まで生きて人になるというんですよ。

“ひ、ふ、み、よ、い、う、な、や、こ、と”…って日本の数字の読み方ありますよね。1から10で“ひ・と”。

本来、1から10までで人は完成される。

でも今、人は8のことろまできてる。

この世界に生命が生まれ出でて、ここまでたどり着いたけど、まだ多くの人がここから脱出できないでいる。

10は、天の世界で人の完成系。ここは多分完全愛の世界なんですよ。

で、8と10の間に何がある?

9(苦)がある。

みんながいる所、もしくは、かつていた所が8。

でも10に行くには、苦しみ、窮屈である苦難が絶対にあるんですよ。

それを乗り越えると10になる。

これは僕の作り話じゃなくて、僕らの前の世代の人たちがずっと言い伝えてきたことなんですよ。

高度な発展をとげた社会の生活を経て9まできた。

でも、その先が見えない。ライフスタイルが見えない。

ここは、その先の天、10(テン)を垣間見せる場所を目指しているんです。

いつでもここで、お待ちしています。」

↑館内のスパMassage NAGIスタッフの疋田良(ひきたりょう)さん(右)、TAGIRI HOTEL Souvenir shopスタッフの飯野マサトさん(右中)。遊びに来られていたヨガインストラクターの矢野さやかさん(左)。みなさん笑顔が素敵!

菅間さんを筆頭に運命的な土地に運命的に集った人たちによって醸成された運命的な空間、TAGIRI HOTEL。

高級リゾートのラグジュアリーとは異なる、正に“これからの時代の豊かさ”を感じさせてくれる特別な場所。

私も呼ばれて来たのかもしれません。

ここの空気に触れ、人に接し、土地を感じ、“カミング”を察知するセンサーが研ぎ澄まされたような気がします。

あなたも呼ばれていませんか?



TAGIRI HOTEL

TAGIRI HOTELで心をすっぴんにすれば、明るい未来への道しるべが見えてくるかもしれませんよ。

Profile

TAGIRI HOTEL代表

菅間貴也さん

TAGIRI HOTEL代表

菅間貴也さん

1976年生まれ、横浜に生まれ横浜で育つ。幼少期から水泳を得意とし常に水の中にいた。

16歳の時サーフィンに出逢う。

19歳でスポンサーを受け、大会を中心に国内、海外を転戦する。

しかし、23歳の時に事故の後遺症により下半身が麻痺し、コンペディターとしての人生を終える。(日本サーフィン連盟 NSA公認1級)

その後、オーストラリアを旅した際にYoga、Singlefin、Organic、パーマカルチャー等のライフスタイルに出逢い、人生が一変され幼少期に感じた感覚の世界を手にする。

青山心理臨床専門学校に入学、心理を学びはじめ、自分はおかしくないと納得する。

世界を旅した後、「モノ、コト、ヒトは、全て前から来る」事を知る。

2008年、千葉鴨川の棚田でテント3張りから生活をスタートさせ、廃バスを住居とし自給自足空間 Love&Rice Fieldを創る。多くの仲間が集まり新たな暮らし方を模索し、実行する。

2011年 311の影響で宮崎県串間市に移住。

2013年 CAFE10をOPEN

2015年 TAGIRI HOTEL DINING &SPAを手がけはじめ12月にOPEN。

現在に至る。


現在、妻、5歳、3歳、0歳三姉妹の娘さんたち、1匹の犬と暮らす。

Takaya Kanma's
FAVORITE TIPS

BOOK

『聖なる旅』
ダン・ミルマン

本当の自分の世界の道を歩んだら絶対面白いし。合わせなくていいんですよ。なんだっていいんですよ。

愛してれば。人を非難しないで肯定してれば。絶対になんだっていい。


そこで排他したり、侮辱したり、ネガティブになるから物事がずれていってる。

正々堂々と、僕はこの道ですってそれぞれに行ってたら、人生天国ですよ。

この世の中は天国ですよ。