Quest for quality life through traveling around the world.

Interview

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“これからの時代の豊かさ”を
体感できる空間を
宮崎から提案【前編】

TAGIRI HOTEL代表
菅間貴也さん

2016年6月、宮崎県の南端にある串間市に、スタイリッシュなホテルがオープンしました。その名も、TAGIRI HOTEL
空港から車で1時間半、周りには畑と田んぼばかりでコンビニもスーパーも何もなく、日本の田舎の御多分に洩れず過疎化と住民の高齢化が進み、ビジネス的な観点からすると“なんでこんな所に?”という場所。
Miyazaki Kushima Japan

Miyazaki Kushima Japan
なので、よくある単に古くからある宿をリノベーションしておしゃれなホテルにしたという代物では決してございません。
古くから地元の人達に愛されてきた温泉宿たぎり荘の下地を活かし、ほぼDIYで作られた館内。クラウドファンディングにより多くの方のサポートを得て実現された細部に至るこだわり。アナログ感満載で関わった人たちの温もりを感じさせるホテルなのです。

TAGIRI HOTEL

TAGIRI HOTEL

さらに、各界の第一線で活躍してきたスタッフがいつの間に集い、ハード面だけでなくソフトの部分もハイクオリティな空間になっています。

TAGIRI HOTEL

TAGIRI HOTEL

TAGIRI HOTEL

TAGIRI HOTEL

TAGIRI HOTEL

既に雑誌など多数のメディアで取り上げられ、九州近郊はもとより、東京のファッショナブルな人たちの間でも話題になっています。
そんなTAGIRI HOTELの中心人物として奔走されているのが代表の菅間貴也さん。

TAGIRI HOTEL代表 菅間貴 也氏

菅間さん曰く、「この地へは自然に導かれ、自然な流れから、関わることになった。」とのこと。
2013年より、CAFE10というカフェの営業を始め、地元の方とのつながりを育む中で自然発生的に興ったプロジェクトなのだとか。
プロを目指していたほどのサーファーであり、世界を放浪した旅人であり、『Love&Rice』という農的暮らしの実践者であり、これまでの経歴は大変ユニーク。
これまでのストーリーをお聞きしてみると、そこには何だか“これからの豊かな暮らし”のヒントがつまっているようです。
それでは、詳しくお話を伺っていきましょう。

自然への畏敬と憧れから
サーフィンの世界へ

宮崎の南端の辺鄙なこの土地にTAGIRI HOTELをオープンされたわけですが、この場所にたどり着くまでの話をお聞きしてもいいですか?




「まず、幼少の頃の話にさかのぼるんですが、僕は横浜の妙蓮寺という所で生まれ育ちました。

京浜工業地帯の丘の上にあって、横浜の港が見えて。

そこには僕らの遊び場の森があって。

ちょっと行くと田んぼや畑があったり。基地を作ったりして、友達とよく過ごしてました。

そこにシンボル的な大きな木があったんですが、中学に入った頃、突然、切り倒されちゃったんですよ。

ブルドーザーが入ってきて、森は平地にされて、住宅が建設され始めて。

子どもながらに、ものすごいショックで、奪われた感というんですかね。

僕らは、これからどこに行けばいいんだろうって。

そんな出来事を経つつ、どんどん大人になっていって。

だんだん意識は都会に向いて、渋谷とかに行くようになったんですが。

大切な木を切られた時の、申し訳なさだったり、寂しさがずっと残っていて。

自分がやったわけじゃないけど、何か自然に対しての罪悪感だったりが、ずっと胸に刻まれていて。

そういった自然への畏敬の念とか、もっと自然に触れていたいという思いから波乗りに興味を持ち始めて。

海に抱かれるというか。寄せては返す波の感じとか、降り注ぐ陽の光とか、砂浜の感触とか、すごく好きで。」

サーフィンはどこら辺で入ってたんですか?




「湘南です。

友達のおばあちゃん家が鵠沼にあって、そこの倉庫に板を置かせてもらって、そこから着替えて海に行ってまして。


高校卒業後の進路をどうするかって時に、親が薦めるのは大学か専門学校に行くか、就職かって、だいたいこの3つじゃないですか。

でもよく考えると、この中にやりたい事が何もなかったんですよ。

やりたいのはサーフィンだけ。

親には、何を馬鹿げているんだって言われたんですが、その時の担任の先生が、この子はもっと外に出て行ったら可能性が広がるし、それはサーフィンを通じてでもいいんじゃないかって言ってくれて。

結局、プロサーファーへの道を選ぶことになったのですが、当時、日本のサーフィン文化は、どうしても競争だったんですよ。

スポンサーをつけて、のし上がっていくみたいな。

それから大会に出まくったんですけど。

スポンサーにたくさいんついてもらって、冬にはハワイのノースショアに行って、肝試しみたいな大きな波に乗って…そんな生活になっていったんですね。

プロライダーになって自分のブランドを立ち上げるとかにまでなれば、また違ったんでしょうけど、お金を稼ぐところまではいかないアマチュアライダーだったんですね。

大会に勝って、スポンサーのウェット着てみたいなのを、当時モリモリやっていて。

毎日、3ラウンド海に入るみたいな日々を送ってたんですけど…。」

怪我で閉ざされた
プロへの道
旅へ導いてくれた1冊の本

「24歳の時に、高校生の時のバイク事故の後遺症で下半身が突然動かなくなって。

痺れちゃって全く動かないんですよ。

友達に助けられ病院へ運ばれて命に別条はなかったんですが、サーフィンはもう出来ないと医者から宣告されて。

プロになりたかったし、そのことしか考えてなかったので…、そこで人生のシャッターが降りて。

まずいと。一人暮らしだったんですけど、やる事なくなっちゃって。

このままだと俺はネガティブな考えの渦に飲み込まれてしまうと思った時に、たまたま家の隅にあった本を手にしたんですね。ペラっとめくったら、それがちょっとした精神世界の本だった。


それは前につきあっていた彼女が置いていったかなんかの本で、その時は精神世界なんて言葉も知らなくて。


それを読んだ時に、普段、僕が言葉には出さないけれど感じていることがいっぱい書いてあって。

この本の作者は、目に見えない事を書いてる、すごいなと思って。

勉強も嫌いだったし、それまで本なんか読んだ事なかったんだけど、その本との出会いには驚きで。

感動して。

ちょっと兆しが見えたんですよ。

もしかしたら自分がずっと感じていた事をもっと表現してもいいんじゃないかと思って。

それで、本を置いていった元彼女に連絡したら、あんたやっとそこに気づいたのって言われて。

私はあなたの豊かな感性をずっと尊敬していた。だけどあなたは一度もそういった事を見ようとも、考えようともしないで、ずっとサーフィンの世界にどっぷりだった。何度も言ったし、何度も伝えてたのよって言われた時に涙がどーっと流れて。

自分のそういうところを見守ってくれている人がいたんだと思って。

それで彼女に僕はどうしたらいいかなって相談したんだよね。

そしたら旅じゃない?って言われて。

そうだ!旅だ!って。」




その本は、なんて本だったんですか?


 


「世界大会で優勝したこともある元体操競技選手のダン・ミルマンという人が書いた、徳間書店の『聖なる旅』と『癒しの旅』って対になってる本で。その後、ハマッたのが『アルケミスト』って本で。」




『アルケミスト』は多くの旅人に愛読されている本ですよね。




「そう!『アルケミスト』なんて、読んだらすごく面白くて。

やることないからパウロ・コエーリョの著書を全部読み漁って。

同時に少しずつバイトをしながらお金を貯めて、海外へ旅立つことにしたんです。」

ジョエル・チューダーの
サーフボード“グッドカルマ”と共に
新天地オーストラリアへ

どちらに向かったんですか?




「オーストラリア。

一度、19歳の時ににオーストラリア行きたくて、ワーキングホリデーのビザを申請してたんですね。でもビザが下りたと同時にサーフィンのスポンサーもついたんですよ。

天秤にかけられて、どっちをやるんだって。

スポンサーをとるなら日本で戦わないといけない。

オーストラリアに行くならスポンサーは切らなければいけない。

その時はサーフィンの世界で生きて行く心意気だったので、ずっと欲しかったスポンサーを取ってビザを蹴って。それ以来、修行でハワイやカリフォルニアとかばかりで。


それもあって、今回はオーストラリアに行こうと決意して。」

どんな旅だったんですか?




「行ったことのない場所だし、純粋に旅なのでバックパックで行こうと。

そうしたら、スポンサーだった方から、ジョエル・チューダーの“グッドカルマ”というシングルフィンのボードをいただたいて。

ジョエル・チューダーは、新たなサーフシーンを創った有名な方なのですが、

当時は、機敏な動きのパフォーマンスを重視するトライフィン(三つのフィンがついている)のボードばっかりだったんですけど、それはフィンが一つだけのボードで。

それ1本持って旅して。

オーストラリアで乗ったんですけど、もう今までと世界が変わっちゃって。」


そのサーフボードはどんな特徴があるんですか?




「波に合わせていく。波に一体化するって事を重視した板で。

“カルマ”を持ってるからか、波乗りと同様に、ヨガとか、ベジタリアンとか、いろんな世界の人と出会い、出会う人たちと波長が合うようになって。」




サーフィンスタイルが変わって、ご自身のライフスタイルも変っていったんですね。




「そうですね。

その時に、オーストラリアの文化や暮らしに豊かさを強く感じて。

日本とオーストラリアを行き来したり、アジアを旅したりしてしてるうちに、日本の生活に戻るのは無理かなって思ってたんですよ。

でも、旅を続けているうちに心境の変化もあって。

僕の事をずっとサポートしてくれてたフランス人から、“波は前から来る。人生も前から来るんだ”って、いつも言われてたんですけど。その言葉が妙に胸にひっかかって。

そうか。確かに、これまでまでずっと何かを自分から狙って追い求めていたなと。

女の子に対しても口説きにいったり、物事に対しても欲しいから手に入れようとしたり。

でも、波は取りに行けば行くほど逃げていくし、女の子も追えば追うほど逃げていく(笑)。

旅の中で無駄なものがそぎ落とされ、自然体になっていく中で、意識もシンプルになっていったのかもしれないです。そうしたら、物事は“カミング”、前から来るものを受け入れればいいんだよなってことに気づいて。

特に何か大きなきっかけがあったわけではないのですが、日本に戻ろうと決意して。それが27歳の時。」

全て“カミング”!
前からやってくるモノゴトを
受け入れる人生へ

帰国後の日本での生活はどうでした?




「成田空港に着いた瞬間から、前から来るものを受け入れる事で人生をやってみたらどうかなと思って。

よーし、待とうと。そしたら前から物事がくるんですよ。

人に呼ばれるとか。そういった事を受け入れていくと、実際に前から来る事だらけで。

その波に乗っているだけで、また前から波が来て。その連鎖に気づいて。

なんて人生楽なんだと思って。

日本に帰って来て、友達から仕事の電話がたまたまきて。

なんだかわからないまま受けたのがカフェの仕事で。

いろんな出会いの中から、ケーキを作れる女の子にお店に入ってもらって。

その子が今のカミさんなんですよ。

その時、彼女が前からやって来ただけで、その波に乗って。今も乗り続けてます(笑)。」


 


ロングライディングですね(笑)。




「そう。それから、もうかなり色んなことをカミングしながら。

このTAGIRI HOTELも同じで、全部前からやって来たものに乗ってやっている。

でも、前から来るものを全て受け入れるだけじゃダメらしくって。

自分のビジョン、しっかりした自分の軸が出来ているからこそ、前からやってくるものをキャッチできるっていう。」




何をしていくか自分がわかってないと…。




「そうそう。前からやって来た女の子全員を受け入れる…って、そうじゃなくて(笑)。

自分が何を求めていて、何を理想としているか知ることが必要で。

例えば文章に書くとか、まとめるとか。

僕は結構スケッチとかするのが好きで。

どうしていきたいかという自分のビジョンは、イメージの中にあるから、それを紙に書くようにしています。」

↑TAGIRI HOTELのクラウドファンディングサイト(『Makuake』)の写真より。



旅を経て、新たな気づきを得た菅間さん。


前から来る“カミング”を受け入れることが人生の好転につながる…、なんだか気持ちがとっても前向きになるお話ですよね。


次回は、TAGIRI HOTELの前身ともなる千葉県の鴨川でリアルナチュラルライフをスタートさせたお話からスタートです。


【後編】へと続きます。

Profile

TAGIRI HOTEL代表

菅間貴也さん

TAGIRI HOTEL代表

菅間貴也さん

1976年生まれ、横浜に生まれ横浜で育つ。

幼少期から水泳を得意とし常に水の中にいた。

16歳の時サーフィンに出逢う。

19歳でスポンサーを受け、大会を中心に国内、海外を転戦する。

しかし、23歳の時に事故の後遺症により下半身が麻痺し、コンペディターとしての人生を終える。

(日本サーフィン連盟 NSA公認1級)

その後、オーストラリアを旅した際にYoga、Singlefin、Organic、パーマカルチャー等のライフスタイルに出逢い、人生が一変され幼少期に感じた感覚の世界を手にする。

青山心理臨床専門学校に入学、心理を学びはじめ、自分はおかしくないと納得する。

世界を旅した後、「モノ、コト、ヒトは、全て前から来る」事を知る。

2008年、千葉鴨川の棚田でテント3張りから生活をスタートさせ、廃バスを住居とし自給自足空間 Love&Rice Fieldを創る。

多くの仲間が集まり新たな暮らし方を模索し、実行する。

2011年 311の影響で宮崎県串間市に移住。

2013年 CAFE10をOPEN

2015年 TAGIRI HOTEL DINING &SPAを手がけはじめ12月にOPEN。

現在に至る。


現在、妻、5歳、3歳、0歳三姉妹の娘たち、1匹の犬と暮らす。