Quest for quality life through traveling around the world.

Interview

31

誰しも島が好きになる!
離島の新しい未来を描く
鹿児島県甑島の伊達男

東シナ海の小さな島ブランド株式会社 island company代表
山下賢太さん

鹿児島県には28もの有人の離島があります。
その中で最も高齢化が進む島として知られる甑島(コシキシマ)。
鹿児島県の西側に位置し、本土から高速船で50分。
ferry
そんなコンビニもファミレスもない離島に、この(2016年)4月、コシキテラスなるオシャレなカフェがオープンしました。
koshki5
仕掛けているのは、island companyこと東シナ海の小さな島ブランド株式会社。甑島で、農業、飲食、小売、宿泊施設の運営…などなど多岐に渡るユニークな事業展開で、地元だけでなく全国から注目を集め、多くの意欲的な若者を惹きつけています。
今回は、island company代表の山下賢太さんに、経済的価値判断だけでは推し量れない、島を盛り上げる取り組みの真相の深層を伺ってまいりました。

懐かしい風景を取り戻す
甑島の未来を照らす
コシキテラス

取材日はコシキテラスがオープンして初めて迎えたゴールデンウィークの最終日。

大盛況によるご多忙とオープン直後の慣れない業務でかなりお疲れのはずの山下さん。そんな様子を微塵も見せない満面の笑みで、出迎えてくださいました。

IMG_8566


IMG_8561


IMG_8511


IMG_8570地元の特産品や土産物が購入できるショップも併設されたフロアには観光客だけでなく、地元の方らしき、おじいちゃん、おばあちゃんの姿も見られ、既に街の和みコミュニティスペースとして大活躍といったところ。

kosikiterasu

私も早速、ランチをいただくことにしました。

メニューを拝見すると、

“スペシャル断崖バーガー”!?

kosiki3


「甑島の西海岸には、約8千万年前の地層で構成された断崖があって、国定公園に指定されているんですね。その断崖をモチーフにして、バーガーを作りました。本当はもうちょっと高さを出したかったんですけど。」

 

 

と賢太さん。

kosiki 4

思わずSNSで拡散したくなるようなビジュアル作り、ネーミング。

山下さんの発想は、ユーモアと島への愛であふれています。


ランチタイムもひとしきり落ち着き、さっそく賢太さんへのインタビューを始めようと思ったところ…。

 

 

「せっかくなんで、僕よりスタッフの子たちにも甑島の魅力を聞いてあげてください。」

 

 

と、コシキテラスのスタッフへの取材を薦められました。

リーダーでありながら、自分だけでなく仲間にもスポットを当てて欲しいという賢太さんの心遣いなのでしょう。

こういうところに、みんな惹かれるわけですね。

ということで、スタッフの若者二人に、甑島へ来たきっかけと島の魅力を聞いてみました。


一人目はコシキテラスのマネージャー中谷志帆さん


中谷さん中谷志帆さん Profile:街中に共有の本棚を設置することで地域の活性化を目指す大阪の一般社団法人『まちライブラリー』での仕事を経て、2016年春より甑島へ。全く飲食業の経験のないところから、コシキテラスのマネージャーに任命される。


中谷さん:「元々、旅行者として来たのがきっかけなんですが。自然、特に海が綺麗な所が好きなので、甑島の環境にはすごい魅力を感じて。


最初にお話をいただいた時は、ここが地域活性化の施設になるって聞いて。こういった島に、地元の人や観光客が集う場所ができることに興味を持って。


あとは、やっぱり賢太さんですかね。今まで会ったどんな人より“自分が生まれ育った場所を真っ直ぐに思っているんだ”っていう思いがすごい伝わってきたというか。


これがしたいという空想というか妄想をちゃんと形にできるのがすごいと思います。


今も島全体のことで夢みたいな大きな話を時々するけど、きっとそれも何らかの形にするんだろうなって思います。」

 

 

そして、island companyのサイト記事にもちょくちょく登場するナイスキャラな江藤弘明さん。オープンに伴いコシキテラスの厨房担当に配属されました。

江藤さん江藤弘明さん Profile:福岡県北九州市出身。大学時代にオーストラリアでワーキングホリデーを経験後、世界を放浪。帰国後、地域おこし協力隊として甑島に移住。任期終了後、山下さんの下、island companyで働き始める。


江藤さん:「最初はサーフィンしながらのんびり農業できればいいかなくらいの感じで種子島に絞って就職活動をしてたんですけど、なかなか決まらなくて。


当分、島で暮らすことしか考えられなくて、人づてに賢太さんを紹介されて。


甑島の魅力は…、賢太さん?


今、まったく想定外のカフェの厨房を任されることになったんですが、最近、パン作りが楽しくなっています。


ここに関わってから、俺でもやれるんじゃないかって、思うようになったというか。


関わってなかったら多分、次はどこ行こうかとか、かなり勘違いしてたと思うんですけど。


やってみたいなと意欲がわいてくるのは、ここにいることの影響が結構大きいかなと。」

 

 

賢太さん、めっちゃ、信頼され慕われています。

この限界集落と言われる高齢化の激しい島に、ヤル気のある若者を惹きつけ、彼らのモチベーションを高める秘訣って一体、何なのでしょうか?

 

 

「よくわからないのですが、スタッフ自身が想像していた以上のワクワクを未来に用意していくことですかね。


中谷さんは一年前、甑島に旅行で訪れたとき、まさかこの島で働くとは思っていなかったでしょうし。


江藤くんも、このカフェで働きながら農業をするとは思ってもみなかったはずです。


でも、それがきっかけでパン作りに興味を持って新しい楽しさを発見した。もしも、未来が想像していた通りになっていたら、きっとつまらなかったと思うんです。


叶えたい未来だけに執着すると、そこから苦悩も始まります。


良くも悪くも想像していた未来とは違う未来や、未知の楽しさを用意するというか、きっと彼らがはまってくれるであろうことを期待して。


自分が叶えたいことやチャレンジしたいことは、すぐに実現はできないかもしれないけれど、仕事の中でうまく消化できるようにコーディネートしていく。


だから、“楽しい”って言ってもらえるのはうれしいですね。


彼らのように、見ず知らずの土地に引っ越す不安は、並大抵のことではないですよね。


今、地域おこし協力隊のような制度で、地域に入ってくる若者が少しずつ増えてきていますが、その一方で、受け皿となる地域側は、そうした特別なことが当たり前のように変わってきているような気がして少しもったいない気もします。


島に来てもらうために間口を広げて、移住のハードルを低くしていくことはいいんですけど、それ以上に移住したあとがもっと大切で。


いかにこの島での暮らしを魅力的に感じてもらい、この先もいたい、ここで結婚したい、子育てしたいっていうところまで、本人の実感として感じてもらえるかってのが大切で、それもある意味僕の仕事なのかなと思ったりすることもありますね。


無理に引き止めるんじゃなくて。次から次へとスタッフがわくわくするような新しい事業を引っ張ってきて、一生ここに引き止め続けるっていう秘策もあります(笑)。」

 

 

なぜ甑テラスの事業を始めようと思ったんですか?

 

 

「島に関心を持ってくれてる人たちの受け皿、そして、これから島に興味を持ってもらうための場を作ると同時に、島の人たちのための場を作り直していくということを考えていました。


ここ(コシキテラス)は定期フェリーが止まる港だったのですが、過疎化が進み、今は別の港に集約されてしまって。


元々、人や物が行き交い賑わっていた場所。ということは、そこに、いろんな思い出があるわけじゃないですか。


島には高校がないので、中学を卒業した若者が島を離れる時、見送り、見送られた記憶とか。


昔は普通だった風景が今は機能しなくなって、思い出の場所が閉じられてしまった。


そこから新しいものが、なかなか生まれにくい。高齢化率52%以上の街ということもあり、もう一度、港を開きましょうっていうのもなかなか現実的でない。


そういう意味でも、甑島の町全体の公共の在り方が問われていて、街の風景や産業を“場”づくりを通じて見直す時期が今来てるのかなと。


これまでの公共事業、いわゆる土建社会からの脱却を少しづつ図りながら、バランスを保ちつつ、この街らしい小さな経済のあり方や、地域コミュニティの可能性を探っていけたらと思って。


これまでの時代の流れを尊重しながら今の時代に適した形で次の世代につながるように場をよみがえらせることができたらいいなと思います。


もう無理だと思い込んでることとか、やむなく閉じてしまったことに、今の時代に合わせた形でもう一回光を当てて。


今回のコシキテラスには、“甑島を照らす”、“甑の未来を照らす”という意味も込められているんです。


昔からこの港の灯台が、船港の位置や進路を指し示す役割を果たしてきたように、この場所を通じて島の未来をちょっとでも明るくすることができたらいいなと。


だから建物ができて、ここが儲かればそれでいいということではなくて、その儲け方が問われているのだと思っています。


コシキテラスの誕生で、街を180度変えることはできなくても、一人ひとりが1度や2度の小さな角度でもいいので、変化を生み出すことを長く続けていくようなことができたらいいですね。


僕らは大きな経済を動かしたり、地域を変えるみたいな大それたことはできないけれど、じんわりと。


まず自分たちが楽しんで。それが仲間に伝わって。周りのみんなが楽しくなっていくのが地域の人たちにも伝わって、どんどん連鎖する。


結局、それは、街が変わるってことにつながっているんじゃないかって思います。


簡単なことではないですけどね。まずは自分が変わることです。笑顔でいられるようにすることです。」

夢や希望を語り
未来を思い描ける
島の空気を作っていきたい

山下さんが地元に戻ってくるきっかけは何だったんですか?

 

 

「京都で働いてた頃から、最終的には地元に戻って何かしたいと考えてました。


でも後継する家業がなかったので。甑島に帰ってくる若者のほとんどが後継者で、自分みたいに仕事のない人間が帰ってくると、周りが心配するじゃないですか。


幸いにも家族も健康で、要は帰る理由はなかったんですけれど。


だからこそ、帰りたいけど帰れない島の出身者や、島を好きになった人たちの気持ちがよくわかって。


そんな人たちの受け皿になれたらとずっとモヤモヤしていたんです。


京都で働いてた時、お盆休みで島に帰省したら、近所のおばあちゃんに、“向こうで頑張ってるあなたも好きだけど、私は、ここにいるあなたが好き”って言われたんですよ。


それまで、京都で一旗上げるじゃないですけど、何か技術や経済的な力を身につけて島に帰ろうと思っていたんですけど、若い人が少ないこの島では、まだ何もできない、何かしたいという思いしかない自分のような存在でも、ありがたがってくれる人がいるんだってことに心を打たれて。


その言葉に背中を押されて。帰る前に悩むより、帰ってからから悩めばいいと、地元に戻りました。」

↑賢太さんに連れて行っていただいた甑島の景勝地のひとつ、長目の浜と湖沼郡。(取材当日は豪雨で翌朝、再度撮影しました。)

「帰って来てしばらくして、気づいたんです。


地元を出た人がなかなか帰って来ない理由のひとつ。


決して仕事がないからじゃない。島の空気感。夢や希望を言葉にするのがはばかられるような。


ふるさとの理想像を語り合えない、諦めにも似た閉塞感。


抑え込む気持ちもよく分かるんです。島に住んでる側の人間として。みんなが離れて行った高度経済成長期も島に残り、ずっとこの島を守ってきたのですから。


僕もよく言われましたよ。綺麗事ばかり言うなと、大人の論理で。


でも、大人こそが子どもたちのためにキレイゴトに挑戦する必要があると僕は思いました。


僕は、今の時代のニーズに島の可能性を賭ける前向きな人生を送りたいなと思っています。変わらないために、変わり続けようと思うんです。


だから島に帰って新しいチャレンジをしてもいいんだっていう空気を作る大人の一人になれたらと思ったんです。


特別な存在になるとかじゃなくて。」

多岐にわたる事業の
背景に秘められた
島への思い

それで農業をはじめたんですか?

 

 

「幼少時、祖父母に畑に連れて行かれて、土に触れ、季節の農作物に触れ、自然の中で食べ物を作り生きていく生活を感じていました。


田植えや稲刈りなどの繁忙期は、地域のみんなで助け合い、収獲した作物をおすそ分けしあう。


家族や地域のコミュニティに欠かせないものとして農に接してきて。農業は、生計を立てるというよりも、生活の一部で。


過疎化が進む今、地域の中に“農がある風景”をどうすれば守り続けられるだろうという思いから始めたのが、『島米Shimagome project』です。


島で育てた米をインターネットで島外に販売する事業なのですが。


単に生産された農産物に対価を払ってもらうのではなく、これまで島の美しい風景を支えてきた“米作り”というプロセスそのものを視覚化して支援してもらおうという感覚で。


自社サイトで、米作りの様子と故郷の日常を発信しました。直接島に住んでなくても、『島米』を食べることで故郷の普通の風景を支えてもらいたい。


そんな思いから、最初に始めたのがこのプロジェクトですね。」

 

 

豆腐屋さんの事業はなぜ始めたんですか?

 

 

「自分の実家の2軒両隣りが豆腐屋だったんです。


幼少期の頃、毎週末、豆腐を買いに行くのが僕の役目で。


その豆腐屋さんが両方とも自分が島から離れてる間になくなってしまって。


自分の原体験に刻まれている場所が、なくなってしまったことに衝撃を受け、すごい寂しさを感じて。


なくなってしまった実家近くの港の風景もそうですけど、その場所がなくなることで、働く大人の背中、漁船に乗り込む漁師さんだったり、魚を干す女性たちの働く背中も失われていってしまう。


その風景や空気って、お金に換算できるものではないですが、今思えば、とても大切なものだったんじゃないのかなと。


確かに想いだけでは街は守れない、何かしら経済に結びつけることが必要だと島外で肌身に感じてきたことで。」

kosiki9


 


koshiki toufu2↑豆腐作りの様子。island companyサイトより。

 

「僕の生活の身近にずっとあった豆腐屋さん。


早朝、眠たい目をこすって買いに行くと、もう既に誰かが朝ごはんの準備のために働いてくれている。


そういう人がいてくれたことによる何にも代え難い安心感。


失われていってしまった大切な街の風景を取り戻すじゃないですけれど。そういった思いで事業化することにしました。」


 

宿屋も始めたんですよね?

 

 

「いつか宿泊施設をしたいというのはずっとあったんですけど、思った以上に早いタイミングで『藤』という民宿を承継することになり、新しく『藤や』にリニューアルしました。」kosiki 1↑民宿『藤や』のサイト画面。

IMG_8806


IMG_8823


IMG_8790↑民宿『藤や』の部屋の様子。

「なぜ始めようと思ったのか。それは、島の日常を、外から来る人たちに知ってもらう場を作るためです。


豆腐屋にしろ、農業にしろ、あり溢れた島の日常じゃないですか。


島の日常を知ってる僕らが観光という非日常に取り組むことに、この島の観光業の未来があるんじゃないかと思って。


一般的に、観光促進となると、観光客のために店を作り、日常とは別のものを提供しようとしてしまいがち。


日本はリゾートというと、どうしても、大規模に土地を買収し、ホテルやプールや色んなコンテンツを詰め込み、その施設の中でお金を使ってもらうイメージが強い気がします。


僕らは、観光で訪れたお客様の為にわざわざ何かを演出して過剰に作りだすことはせず、あくまで島の人たちが暮らしている日常の甑島を観光客に楽しんでもらうというスタンスでいます。


観光をひとつのきっかけにして、外からの視点を取り入れて自分たちの日常をさらに良くしていくことにつなげていけたらと思っています。」

 

 

と、民宿『藤や』のお話が出たところで、

担当されているスタッフの和田和津紗さんにも、甑島の魅力を伺いました。

和田さん和田和津紗さんProfile:大学時代に一年間、奄美大島でインターンを体験。2015年に甑島で地域おこし支援のイベントでisland companyに関わったのをきっかけに、スタッフとして参加。


和田さん:「私は、甑島に来る前に奄美大島で鹿児島市の制度を活用してインターンをしていたんですね。


奄美の人口は、ここより多いし、若い人も多く、郷土愛的なのも結構色濃い。


文化も特色もあって観光資源に恵まれているんですね。


発展のしがいも可能性もある。そこと比べてみて、甑島は言葉を選ばずに言えば何もない島。


若い人も少ない島。一般的に考えれば、明るい未来を描きづらい。そんな中で賢太さんは、未来を信じて、ひとつひとつカタチにしている。


山下商店や、コシキテラスや、この藤やとか。できた今なら何とでも言えるけど、何にもなかった時に、鹿児島県内の離島で高齢化率がダントツ1位のこの島で、その信じきる力たるやすごいなと思って。


離島だけではなく、もっと苦しい立場や悪条件の地域に住んでる人たちにとってどれだけの希望になるだろうと思って。


なので甑島の魅力は、賢太さんの信じきる力かなと思いますね。」


 


 

感動したことを
自分の言葉で
島の魅力を伝えるWebサイト

こういったisland companyさんの取り組みの真意を、おもしろおかしく可視化し伝えているのがisland comapanyのWebサイトですよね。

kohiski web↑island companyのWebサイト、トップ画面。


甑島ファンや離島好きな人はもちろん、興味のない人も思わず引き込まれてしまうWebマガジンのような形式になってますが、どういった意図で、このような形式にされたのでしょうか?

 

 

「あくまでisland companyの会社のホームページなので。


メディアである前に会社のスタンスをどう表すかに重点を置いています。


作って発信してるだけでは、単なる自分たちの自己満足になってしまうので、会社として、この場からどんな価値が提供できるかと考えて。


普通、会社のホームページって一度見て終わりじゃないですか。


また見たいとはなかなかならない中で、再度見てもらえるように、内容がアップデートされていく形態にしました。」

 

 

内容的に意識されていることはあるんでしょうか?

 

 

「僕が島の中で感動したことや、大事にしたいなって思うことを知ってもらうように自分の言葉で記事を書いています。


この先も守り続けて、ずっとあって欲しい島の風景とか、お土産物だったり、人だったり、暮らしを、ちゃんと島の外の人に伝わるように意識しています。


かといって変に綺麗なものだけではなくて。狙って撮影した美しい風景写真だけではなく、日常感が伝わるような内容にしています。


島を訪れる方が実際に見る景色とのギャップがないように。


それから、僕自身が8年程、島の外で暮らしていたので、戻ってきた当初、島について表面的な情報しか分からなかった。


知りたい日常の中に入り込んだ情報には、なかなかつながれなくて、島の一人一人の方と接する中でようやく見えてきた。


その経験から、島の住人だからこそ知れる情報も(もちろん、公開できることだけですが)島外にむけて向けて発信することを意識しています。


どうしても、テレビや新聞、雑誌だと、島側の目線じゃない視点で切り取られていくじゃないですか。


そうすると意図してなかった取り上げ方をされたり。島に期待すぎて来島されるお客様とのミスマッチを起こしかねない。


日常を発信していて、面白いWebサイトだと言ってもらえるってことは、甑島は面白いという意味でもあるんじゃないですかね。」

もはや甑島をPRするメディアとして機能してる感じですね?

 

 

「まだまだこれから。商売をしてる人であれば誰しも、お客さんに来てもらいたいと思いますよね。


自分たちの商品を買ってもらいたい、食べてもらいたいって思うのは当然のことです。


でも、この世の中、一人だけ幸せになるっていうのは無理じゃないですか。


自分が幸せでいられるのは、自分の周りにいる人が笑ってくれてるからで。特にこんなに小さい島だったらなおさら。


島の人が幸せだなとか、ここに生まれて良かったなとか、引っ越してきてよかったなとか言ってもらえることが、結局、我々の喜びだと思うんですよね。


自社サイトを通じて、甑島の新たな見方や、本質的な価値を知ってもらうことは、うちの会社のメリットにつながると思っています。」

次の世代にむけ
理想の島の暮らしを
実現するために

山下さんは、甑島自体をプロデュースしているという印象を受けるのですが、その上で意識していることはありますか?

 

 

「プロデュースって言ったらすごくおこがましいので、自分がやってることや表現することは、この島の本質を探るようなものにしたいと思って取り組んでいます。


結構、サイトや商品のパッケージや店舗など、デザインが素敵ですねって言われることが多くなりました。


大学時代にゼミでお世話になった環境デザイン学科の前田博教授に言われた“デザイナーは職業のことではなく、生き方のことだ”って言葉に感銘を受けて。


それからデザインって何だろうって考えるようになって、表層的におしゃれに横文字を使うとか、斬新なカラーパターンを使うとか、そういうことだけではなく、その先に滲み出る本質をつかむことなのではと思うようになりました。


デザインというと、付加価値みたいな捉えられ方をされがちなんですけど、付加するものではなくて、いかに本質的な価値に訴求していくかってことを考えるようになって。


でも本質って何だろう。言葉では言い表せないからこそやり続けるしか知る由がない。


モノやコトだけでなく、人もそうです。ここに来た彼らのバックグラウンドから、その人が見ている未来や持ってる本質って何だろうっていつも考え続けてます。


僕らは、出来るからチャレンジするんじゃなくて、分からないからこそ取り組むんじゃないかな。


たまたま運よくそこに共感してくれる人が1人、2人いるだけのことであって、みんなも分かんないからこそ分かりたいんですよ。だからこの島にみんな集まってくれるのでしょうし。


プロデュースというか、やっぱりこの島の本質が何なのかを知りたくてやってるって感じですかね。」

「それから、新規事業の立ち上げや運営に係るソフトの部分をどうしていくかということに関して、必ず島の外の人や社外の方にも入ってもらうようにしています。


そのメンバーは主に東京や鹿児島在住なんですが、プロジェクト単位でチーム編成をしています。


island companyという箱を利用して、色んな事業を引っ張ってきたり、新しい企画を作ったり。


例えば、コシキテラスの立ち上げに関しては、企画の中身やコンセプトメイキングは僕ですけど、条例や指定管理者に必要なことなど、行政の業務に長けたプロジェクトスタッフと一緒に市役所に足を運んで行政とのセッションなどをやってきました。


社内にある資源や人材だけで経営企画を考えていこうとすると、どうしても会社の都合のいいようにしか企画が回っていかないんですよね。


ついつい出来ることにチャレンジしてしまうんですよ。それでは、会社は伸びないし、ひとも育たない。


island companyの外部の人が、この島を、この街を、僕らの活動を、山下賢太を客観視して意見してくれるのは、すごくありがたい。


僕らは常々、次の世代のための準備をしなければいけないと思っていて。


島の先輩たちが培ってくれた“今”に敬意を払いながらも、先細りのする少子高齢時代に、行政再編、医療、福祉、教育、産業、これまでのやり方では通用しない局面を乗り越えていかなければいけない。


それらのことを島の中だけで考えると困難なこともあるかもしれないけれど、島の外の人たちが見せてくれる理想図も受け入れて、双方の落ち着く場所を今よりも少しでも高い位置に持っていけたら、これからの気持ちいい理想の故郷の形が作っていけるんじゃないかなと。


なので、やっぱり何をするにも島の中だけ、社内の人間だけに固執して考えないことが大事だと思っています。」

 

 

今後の目標は?

 

 

「こういう地域でやってると、どうしてもビジネス的な視点を疎かにしてしまいがちなのですが、数字を掲げるのも悪くないんじゃないかと最近思い始めて。


僕らは、2030年までに年商4億、従業員数30名(パート含む)ってのを目標にしています。


数字と現実だけ見たら、本当かな?って誰にも信じてもらえないかもしませんね(笑)。


この数字は、ただただお金を儲けることへの数値目標ではないです。


どんな島の未来を想像して、何の上に商売をしているか。


つまり、“この島らしい儲け方”というプロセスを問いながら作っていく数字です。


想像しただけで、そんなに簡単ではないですね。今その1合目くらい。あははは。


僕が46歳の時までには、ですね。」

kosiki11↑賢太さんの愛娘の小稲ちゃん。

 

 

豪快な笑顔に、思わずこっちもつられて笑ってしまう。

口だけのビッグマウスではなく、地道に一歩一歩、島の夢を実現し続けている賢太さん。

大きな夢の実現に向かって、がむしゃらにつっ走る姿は、生き生きと、とても楽しそう。その結果、頼もしい仲間に愛され慕われ助けられている。

鹿児島の一離島から放たれる希望の光。

まだささやかかもしれないけれど、まっすぐに着実に力強く日本の未来を照らしていくに違いありません。

Profile

東シナ海の小さな島ブランド株式会社 island company代表

山下賢太さん

東シナ海の小さな島ブランド株式会社 island company代表

山下賢太さん

1985年、鹿児島県上甑島生まれ。JRA日本中央競馬会競馬学校を中退したのち、キビナゴ漁船の乗組員を経て、京都造形芸術大学環境デザイン学科地域デザインコース専攻。故郷をもっと好きになりたくて島に帰る。東シナ海の小さな島ブランド株式会社の代表取締役兼百姓を務める。

Kenta Yamashita's
FAVORITE TIPS

PEOPLE

『NPO法人ディ!』 理事長
麓 憲吾さん

カサリンチュ、中 孝介さん、元ちとせさんなど奄美在住でメジャーデビューしてる面々を奄美でサポートした方。

島には、夢がある。キング牧師の“I have a dream”になぞらえて“island have a dream. 島には夢がある。”って話を僕の結婚式でしてくれました。

みんな夢を叶えるために東京に行くっていうけど、これからは夢を叶えるために奄美に帰る。そんな選択肢があってもいい、って。困難そうな課題をいつもユーモアで仲間を導いて、未来への島サバクリ(準備や段取り)をしてる。

そんな未来を信じてる憲吾ア二ョ(兄)の生き方に触れて、あ、すげーなと。島に対する愛情を感じるし、島で生まれた後輩たちへの愛情も感じるし。

ああ、こんな人になりたいなって初めて思った大人の背中ですね。