
Interview
美味しい!楽しい!美しい! 広島県、ひなた農園さんの野菜の人気の秘密
広島県 東広島市志和町。空港から西へ、広島市内へ向かう中間地点、四方を山に囲まれた盆地に広がる農村に日向さんのお宅はありました。
待っていたのは旅の疲れを一気に吹っ飛ばす勢いのお二人(&お子さん)の笑顔でした。
到着早々、ひなた農園の野菜の美味しさの理由がわかった気がします。
直接お会いするのは初めてなのに、まるで旧知の親友のような、さおりさんと実香さん。
まずは、今回の訪問のメインイベント。麹の仕込みを見学させていただきました。
手造り味噌の講師のさおりさんが絶賛する日向実香さんのお手製麹。
納屋の前に用意されたかまどに手馴れた感じで薪をくべる実香さん。
羽釜からは、お米を蒸す香ばしい香りが漂います。
「初めての麹造りで、羽釜で、せいろで、焚き火で、なんて贅沢な!」と、興奮冷めやらぬ様子のさおりさん。
丁寧に蒸した玄米に、“種切り”と呼ばれる麹菌をふりかける作業に取り掛かります。しゃもじで米と麹菌をまぶす度に、ほのかな優しい香りが広がります。
そして、保温機へ。麹菌は38度前後が繁殖の適温と言われ、それ以上になると空気中に漂う乳酸菌や納豆菌 など他の菌の影響が出てしまうので、温度調整が肝心なのだとか。
また明日、明後日と “手入れ”といわれる、混ぜる作業があるのですがとりあえず仕込み準備は一段落。
母屋にお招きいただき、夕飯をご馳走いただきました。日向さんの畑でとれた野菜達を使った料理。美香さんの調理の腕もさることながら、食材の野菜達の美味しいことといったら!栄養が凝縮されているのが分かる深い濃い味。全部、生のままでいただけてしまうくらい。
美味しい食事の余韻に浸りながら食後の団欒もひとしきりした頃、隣の部屋ではしゃぎまわる子ども達を傍目に、和やかな雰囲気でインタビューは始まりました。
麹作りはいつ頃から始めたんですか?
実香さん(以下、M)「2012年からですね。こっちに来て、農業の研修をしてくれた農家の奥さんが、できる物は何でも自給したいという方でして。
同世代なのですが、農業に従事しながら、子育てもされていて。
味噌はもちろん、お醤油も作るし、お酢も柿から作る。
お風呂も薪で炊き、ご飯もかまどで炊いていて。
そんな方に研修を受けたこともあり、私も自給できるものは自給しようと思い麹も作ってみました。」
俊介さん(以下、S)「農業に関して言うと、自分たちは本当に土いじりなんてしたことないってところから始めまして。
研修先の農家さんが結構、泥臭いこと好きな方で。
ビジネスとして農業を考えてるというよりも、生活の中の一部として農業を考えていて、“ああ、農業ってそういうものなのか”って、自分達のやりたいスタイルに気づかせてもらいました。
別の考えに染まる前に、色々教えていただいて本当に良かったと思っています。」
M「それが根っこにあって、そこから“自分達はこうしたいな“とか、自分達だったらこういうスタイルがいいなっていうのを、発見していけるとても恵まれた環境にありました。」
日向さんのこだわりのスタイルというのは?
M「私達がお届けしているお野菜セットは“美味しい・楽しい・美しい・手に取って思わず料理したくなる”をコンセプトにしています。
東京に住んでいた頃、スーパーに行くといつも決まった作りやすい食材ばかりを買っていました。
そうなると料理もワンパターンになりがちで、せっかくの食卓が楽しくない!そんな実体験から、私達は10種類ぐらいのバリエーション豊かな季節の野菜をお届けしたいなと思いました。
野菜のレシピや農園の様子を書いたお便りも添えています。
そのレシピで、野菜嫌いだった子が食べるようになって、食育につながったなんて喜んでくださる方もいて、とても嬉しいです。
スタンダードな野菜はもちろん、ちょっと変わった野菜も作っています。
野菜セットの箱を開けた時にどこかに“胸がキュン”とするような気持ちになってもらえるといいなと思うからです。
送られてきた箱を開けるときって期待でドキドキしますよね。
そういうワクワク感が豊かな食生活に繋がっていくのではないかと思っています。
うちの野菜が届いた瞬間に、子ども達が『箱開ける~』って駆け寄って来るなんて話をお客さんからお聞きするとうれしくなりますね。」
S「安心安全は当たり前としてあって、お母さんが手に取って、この野菜なんだろう?って思いながらレシピを調べたりして思わず料理したくなるような、そういうワクワクしていただけるデザイン性を持った野菜セットを作ろうと日々努力しています。
例えば、パッキングするときに、箱を開けた時の見た目・野菜の日持ちを考えて、あまり新聞紙を使わないなど気をつけています。
白菜とかキャベツとか新聞紙を使った方が保存が効く野菜もありますが、ニンジンとか大根とかビニール袋に入って中身が見えた方が綺麗だし、日持ちもすると考えています。
それと、ちょっとした事ですが、スーパーなどで販売している野菜のパッキングに使われているはがしにくいテープを使用するのではなく、マスキングテープを使用しています。
マスキングテープなら使って、袋に戻してもう一回貼っとけばいい。ジップロックみたいなことです。
根菜類も綺麗に洗ってから出荷しています。もちろん土がついてた方が鮮度は保てるのですが、今、マンション住まいの方が多いので、共同の排水設備だと、土って流せなかったりするんです。」
都会の暮らしを経験している日向さんご夫妻だからこそのアイディアですね。
M「リクエストがあれば野菜と草花ブーケのギフトや結婚式用のブーケに野菜を入れて作ったり、元花屋だからこそできる提案も少しづつしています。」
いただいたお食事で実感させていただきましたが、日向さんのお野菜はどうしてあんなに美味しいのでしょうか?
S「うちは、無農薬・無化学肥料で作っています。
根本に家庭にお届けするには何か特徴があったほうが良いし、安全で安心なもののほうが良いという思いがあったので。」
M「あと私がWWOOF(World Wide Opportunities on Organic Farms“世界に広がる有機農場での機会”の頭文字。有機農場を核とするホストと、そこで手伝いたい・学びたいと思っている人とを繋ぐ仕組み。農作業をサポートする代わりに、農業技術、食事、宿泊場所が得られる。)という制度で農業体験に行った先も無農薬で育てている農家さんでした。
結果、自分のアンテナに引っかかってきたのは無農薬の農家さんでしたし。自然の流れで無農薬でやろうかなと。」
無農薬無化学肥料だとなぜ美味しいんでしょう?
S「間違えてはいけないのは、必ずしも無農薬・無化学肥料で作られた野菜だけが美味しいというわけではありません。まず、旬の野菜を旬に食べるということ。
それと、私たちの場合は、最低限育つのに必要なものは補ってあげるけど、それを過剰にあげる必要はないと思っています。
与えられた栄養を与えられた分だけ摂取して育つのでなく、エネルギーを自分で取りに行って生命力みたいなものが凝縮され勝手に美味しくなるのかなと考えています。」
農業を始めようと思ったきっかけは、なんだったんですか?
M「東日本大震災の影響が大きいですね。」
S「それまでは、2人で田舎でお花屋さんを開こうと話していて、私は30歳で会社を辞めようと思っていたんです。
昔は東京で生活することが素敵というか、ある意味ステータスと感じてました。
でも、ずっと都心部に住み続けていたくはなかったんです。」
M「花の業界に入って10年間、自分のお店を立ち上げたくて、しんどいこともひたすら耐えるじゃないですけれど、突っ走ってきました。
でも震災以降、このままで良いのかなと思うようになって。
花は、心に潤いを与えてくれますが、生きていく上で根本的に必要なのは“食べること”と感じ、“自分達で野菜を作ったらいいのでは”と考えるようになりました。」
生きる本質的なところに強く意識がいったという感じでしょうかね?
M「それまで朝晩コンビニでご飯を買うことも多かったのですが、震災の翌日、コンビニに行ったら食べる物が無かったんですよ。
この空腹をどうしたらいいのだろう、家の冷蔵庫には何もないし…と。」
S「スーパーにもすぐに食べられるものは何も売ってない。」
M「交通機関が麻痺したらどこにも動けない。
都会に住んでる自分達って、結局、無力じゃないけれども、生きていくための術を身につけられていないと強く感じて、こんな環境に身を置いていて良いのかなと疑問に思い始めました。
そういった経験から色々考えて地に足ついた農業が良いんじゃないのかと思うようになっていったんです。」
S「今まで普通だったものが急に普通じゃなくなったから、びっくりしちゃったんですよね我々も。」
M「農業したいなって思い始めたのが震災から数ヶ月経った春過ぎの頃。
私はバイトをしながら、WWOOFの研修で山梨と長野に2週間行きました。
自分でも本当に出来るのか半信半疑のなか、農業体験をしました。」
俊介さんもどこかで農業修行をされたんですか?
S「やってないです。広島に移住してくるまでは、普通にお花屋さんで働いていました。」
M「そう思うと、震災ってすごく大変なことでした。
私達は、あの震災でいろんなことに気づかせてもらったんです。
生きていく上で本当に必要なこと、食べることや生き抜く力、持続可能なことなど。
震災がなかったら多分、今の暮らしをしてなかったと思います。」
S「今も花屋を開こうとまだ必死でやっていたんじゃないですかね。」
M「そんな思いもあって、自分の中で花屋を卒業する区切りがつけられ、農業を始めようと思いました。」
東京の生活とは大きく違いますよね?
M「180度違いますね。昔、私の実家はぶどう・キウイ農家で、私自身、小さい頃、山に行って崖を登ったり、畑の中を走り回ったり、そういう環境で育ってきたので、自分が育ってきた環境に戻りたいって気持ちが心のどこかにあったんだと思うんですよね。
田舎への移住は、自分の子どもも自然の中でのびのび育てたいという思いもありました。」
薪を使ってお風呂を沸かしたり、手間ではないですか?
S「今、いかに手間を省くかをすごく考えるじゃないですか。
だけど、私達のライフスタイルは、何をやるのにも手間をかけます。
風呂を沸かすために、薪を割り、火を起こし、お風呂が沸くのを待つ。
そんな時間を楽しみながら、自分たちの手で育てた美味しいものをいただく。
その方がトータルでは豊かなんじゃないかなと思っています。」
こっちで暮らすようになってから思うようになったんですか?
M・S「そうです!」
都内で暮らしていた時は?
S「もう常にコンビニで便利、便利みたいな!(笑)
都会に住んでいた頃は、時間がないから、なんでも時間をお金で買う感覚でした。
でも、今思うとそれって結局豊かだったのかなぁ?って。
機械化が進むにつれて人間がやらなくても良いことが増えてきて逆にどんどん衰えていくような気がして。
例えば、火を点けられない子どもだけでなく大人もいたり。鉛筆だって、ナイフで削れない人がいたり。」
M「社会に適合できない若者が増えているっていうのも、小さい頃からいろんなことを経験してないから、できないんじゃないかなと思います。
だから本当はめんどくさいこと、時間がかかることの中に、すごい大切なことっていっぱいあるんじゃないかなって思うんですよね。
うちの子は、ごく普通に当たり前のことは自分でできる子に育って欲しいです。」
これから取り組んでいきたいことは、何ですか?
S「まだ作ったことがない作物があるので、作ったことがないものは、作りたいです。
畑の面積が徐々に広くなっていく予定なので。
麦作って、うどんとか、パンとかその辺まで自給できるようにしたいですね。」
今の食料の自給率はどのくらいなんですか?
M「70%はまかなえてるかな」
S「野菜と米があって、味噌も作ってるから味噌汁もできるし。」
収入は東京で働いていたころよりは減っている?
S「収入は減っていますが、その数字だけが全てではないと考えています。
もともと農業を志すスタートもお金儲けだけが目的ではなく、生きる術を身につけるのが目的でしたから。」
ご自身が思う、“これからの豊かな暮らし”とは?という質問に。
『子ども達は、元気に畑で遊びまわり、家族みんなで太陽の下で美味しいご飯を食べ、自分で作れる物は自給するような、ごく当たり前の生活が自分たちにとっての豊かな暮らしだと思います』
と答えたお二人。
なるほど、確かに豊かな暮らしとは、次の世代を担う子ども達が健やかに成長できる環境を作ることなのかもしれません。
優しくも真摯に向き合い、常に子ども達に大人気の俊介さん。
些細なやり取りや会話の端々にポジティブさとハッピー感があふれる実香さん。
そんな二人のまわりにはいつも笑顔が絶えず、子どもたちも楽しそう。
インタビュー後、子どもたちをつれて日向さんの畑へ向かいました。
ここなら何の心配もなく自由に遊ばせることができるし、近所のおじいちゃん、おばあちゃんも目にかけてくれるからとても安心なんだとか。
夢中で遊びまわる子どもたちを見ていると、何だか懐かしい心安らぐ気持ちになってきます。
都心のフラワーショップで培った美しいものを創り出すマインドのエッセンスを、農家という暮らし方のなかに自然に取り入れているお二人。
ひなた農園の大地は、日本中の家庭を元気で幸せにする野菜だけでなく、これからの時代を作る子どもたちを育む場所でもあるようです。
こんな場所こそが、これから豊かさを創り出すパワースポットなのかもしれません。
ひなた農園
日向俊介さん・実香さん
ひなた農園
日向俊介さん・実香さん
俊介さん(左)/埼玉県出身。専門学校卒業後、東京で10年間生花店に勤務。生花に関わる様々なことに携わる。東日本大震災を東京で経験し都会の弱さ・脆さを痛感。妻と共に移住を決意。2013年ひなた農園を開園。
実香さん(右)/広島県出身。大学卒業後、神戸・東京で10年間生花店勤務。本人曰く、“人との関わりを大切にし、何かを創り出す事に喜びを感じています”。
BOOK
『精霊の守り人』
上橋菜穂子 著
上橋菜穂子先生が人生教えてくれます。ファンタジーって大人が入り込むにはちょっと難しかったりしますが、これは物語の世界の中に引き込まれます。情景も思い浮かぶ。主人公たちの心情まで心に染み渡るような。エンターテイメント性もあるし、気づかなかったことを気づかせてくれます。(俊介さん)
GOODS
ルーシー・リー
の器
私は器が好きなんですよね。母が器が好きで、小さい頃からの影響もあるのだと思うのですが。花屋にいた時も、器の管理や仕入れを担当しました。ルーシー・リーの器は貴重品すぎてもちろん実物は持っていないのですが、できれば1度手に持ってみたいです。農業に従事していますが、やはり綺麗なものは好きですね。(実香さん)