
Interview
広島から世界へ 日本の水産業の明日を担う極上クレールオイスター!
丁度、お伺いしたときは、近々オープン予定(2016年4月現在、オープン中)の養殖場に隣接するオイスターバーが開店間近の状態。
真っ白に塗られた外壁に紺のFARM SUZUKIの碇のロゴマークをペイントしている真っ最中。
SNSでキラキラ女子達がシェアしたくなるようなおしゃれな外観です。
大きな窓から、日差しが差し込む、明るく気持ちの良い店内に入ると、テーブルには獲れたての極上クレールオイスター。これが噂の!!!
「欧米の牡蠣養殖場は、だいたいどこでも店舗を構えていて、牡蠣を買ったり、食べたりできるわけです。
どうやって養殖してるのか聞いたら色々説明して教えてくれるんですよね。
日本の牡蠣屋さんに行ったら、忙しくてむしろ来るなぐらいの感じじゃないですか。
僕は誰でも出入りできる養殖場にしたいなと思っていて。
美味しい食べ物は、誰でも興味あるじゃないですか。
みんなに興味を持ってもらえたら産業として伸びていくと思うんですよね。」
とてもオープンな雰囲気で出迎えてくれた鈴木さん。
漁師さんのワイルドな海の男のイメージとは相反する優しく繊細なイメージ。
水産業に関心を持つようになったきっかけをお伺いすると。
「本当単純ですよね。
小学校の低学年の時に、男の子は生き物飼うの好きじゃないですか。
釣ってきた魚とかザリガニとか。その延長線上ですね。
小学生の時の水槽が今少し大きくなったぐらいの話で(笑)。
僕の中ではそれぐらいの話なんですよね。」
なるほど、海洋生物への純粋な興味からこの世界に入ることになったわけですね。
では、なぜこの場所を選ばれたのでしょうか?
「僕は、山口県下関にある水産大学に通って、4年間、海のそばに住んでいて。
東京の豊島区に生まれて、幼稚園から高校まで埼玉の浦和で育ち、海に対して憧れが強くて。
大学からの行き帰り毎日、海を見るわけです。
何をするわけでもないんですけど、日常の中に海があるって、いいなと思って。
就職して東京に戻ったんですが、最初の1、2ヶ月は落ち着かなくて。
2008年から今の会社を始めて、生産拠点は広島なのでちょくちょくこっちに来て海を見てると、やっぱり海のそばで生活したいなと自然に思いましてね。」
根っからの魚好き、海好きが高じて、この場所での牡蠣養殖を始めることに?
「ただ経営となるとやっぱり一筋縄ではいかないですよね。
好きなだけじゃできないので。
養殖って仕事は、育てて市場に出荷していれば成り立つ時代があったのですが、今は残念ながらそうはいかない。
作るまではいいんですけれど、市場に出した瞬間にもう赤字なんですよ。
生産コストを割るんですよ。
そういう構造が出来上がっちゃっていて。辞めていく人も多いし。
若い人がやりたがらない現実を身をもって知りました。」
ビジネスとして利益を出すために海外の市場を目指したということですか?
「ここで養殖を始めようと思った最初から海外に牡蠣を販売しようと思っていたので。
僕は2001年に大学を卒業して、東京の築地にある中央魚類という水産物の卸売会社に就職して。
エビを専門に扱う仕事に就いて。
毎月、インドネシアやタイやベトナムに行って、ブラックタイガーとかバナメイエビの冷凍物を輸入して国内の外食チェーン店やスーパーに卸す仕事をしていたんですね。
海外のグローバルに展開している会社と仕事をしていると、やっぱり海外のマーケットって大きいんですよね。
国内で売るよりも、海外で売る方が面白そうだなという思いがあって。
ただ何でも海外で売れるかというと、そうではないので。
将来的に海外で販売できる水産物を自分で作って売っていきたいという思いが、その時からありました。
2005年頃、サラリーマンとして働きながら、自分自身で日本の海産物を海外に輸出したいと思うようになって。
当時、日本から輸出されている物って言ったら、代表的なものとして、北海道のホタテと、四国や九州のブリでしたね。
それ以外は大きなマーケットがなかったんですけど、瀬戸内海のナマコが乾燥されて香港で売られているのを知って。
これを将来、自分で輸出しようと、自宅で本格的に乾燥ナマコを作ってたんですよ。
そうするうちに、知人から、同じようなことに興味を持っている人がいると紹介されて。
それが今の会社、KS商会のビジネスパートナーである、広島尾道の牡蠣加工メーカー、クニヒロ株式会社の社長、川﨑育造さんで。
ちなみにKS商会の“K”は川崎の“K”、“S”は鈴木の“S”なんですけどね。
その当時、うちでナマコの事業をやってもらえないかと誘ってもらったんですけど。
その時は丁重にお断りをしたんです。
というのも、その時は、海外を行き来するサラリーマンの仕事が楽しかったのもあるのですが、踏み切れなかった大きな理由は、ホタテやブリは養殖ですが、ナマコは天然なんで将来的に円滑に捕獲できるか不安があって。
当時は、ナマコが売れるのが知られてなかったので、ふんだんにあったんですけど。
案の定、5年後には乱獲でほぼゼロになっていて。やらなくて良かったなと。」
今の会社設立のきっかけはナマコだったんですね!?(笑)
「そうですね。今、思い返せば、ナマコってことになりますね。
その後、卸売業の仕事でアジア以外にもアメリカやヨーロッパに行くようになり、世界での牡蠣の市場に注目するようになりまして。
牡蠣って世界中どこでも食べられてるんですよね。
日本では、牡蠣は冬の食材のイメージですが、海外では1年中食されているんです。
でも、世界中のどこに行っても日本の牡蠣は、ないんですね。
それで日本の牡蠣を海外で販売してみたいと思うようになりまして。
今度は、私のほうから川崎社長にお願いに伺って、クニヒロ株式会社の牡蠣の加工品を海外に販売する会社をやらせて欲しいと。
それでKS商会株式会社を設立して、スタートしたのが2008年ですね。
最初は、香港向けに輸出を始めて、そこからアジアを中心に、オーストラリアやアメリカにも少しづつ出荷するようになり、順調に冷凍品が売れるようになってきて、ある程度のマーケットができてきたのですが。」
「毎月、現地に赴いているうちに、アジアのマーケットは経済成長が著しく、高級ホテルやレストランが次々と建設されるわけです。
そういったハイクラスなマーケットができ上がってきているんですが、そこでは、生鮮品が一番であって、冷凍の牡蠣は相手にされないんです。
生鮮品と冷凍品の差をそんなに感じない日本と違い、海外の場合は、アジアも含め、特に冷凍品に対しての扱いが低くいんですね。
冷凍品の牡蠣フライや牡蠣のむき身などは外食レストランチェーンやスーパーマーケットといった所では扱ってもらえるんですけど。
牡蠣はものすごい人気商品なので、取り扱いはしてるんですよ。
じゃあ、そういったハイクラスな場所では、どんなものが使われているかというと全て欧米から空輸された活きた牡蠣なんです。
活きた牡蠣は生で食べようが、火を通してフライにしようが、開いてそっから調理が始まるわけですよね。
活きた牡蠣という、また別のマーケットがあることを知って、そこに挑戦してみたいなと思って。
それでうちも、冷凍品だけでなく生牡蠣も使ってもらおうと、広島の生産者さんから買って香港に空輸したことがあるんですよ。
そうしたら、こんなひどい牡蠣は初めて見たって大クレームを受けてしまって。
1つは殻の形がめちゃくちゃだということと、もう1つは中の実の大きさにばらつきがあって安定性に欠けてるって言うんですね。
何と比較してかというと欧米の牡蠣なんですね。
欧米の牡蠣は、殻が綺麗で、実の均一性がある。なぜ日本はそうでないか調べてみると、面白いことがわかって。
日本の牡蠣のマーケットは、90%以上がむき身で流通しているんですよね。
スーパーとかで海水パックに入っている。
むき身の牡蠣を一番効率よく養殖する方法として考えられたのが今の日本のいかだを使った養殖方法なんですよね。
いかだで養殖すると、繁殖の密度がものすごく高いので、牡蠣同士がくっついて殻の形は悪くなります。
でも、むき身にするから殻の形は関係ないんですよね。
それに、身の成長にばらつきがあっても、殻を剥いでむき身にした後に選別すれば良いので関係ないんですよね。
むき身が最終的な商品なので、それを最大限効率的に作るのには、いかだの養殖方法はすごい優れてる。
一方、欧米はどうかというと、95%以上生きた殻のついた状態で流通させてるわけです。
しかも、それがほぼ100%生で食べられている。だから生食用の牡蠣を作る目的で養殖をしている。
その方法が今うちでやってる、バッグに入れて育てる養殖方法なんですよね。
最終的な用途が違うので、当然養殖方法も違うんですよね。
その辺の違いがわかって、海外に打って出ていこうと思ったら自分で養殖しないとダメなんだということがその時わかったんですね。
それで牡蠣の養殖を志して、場所を探し回っていた時に、この塩田跡の地に出会って心惹かれて。
透明度の高い海に囲まれ、県内屈指の美しい海水が流れ入るこの場所。
塩田の後の池で牡蠣が養殖できるっていうのは、20代の頃、フランスのマレンヌ-オレロンという所で実際目にしていて。
海外マーケットを狙っていたので、空港が近くにあるという条件も気に入ったのもありましたが、広島の福山の方から廿日市の方まで海岸を一通り見たんですけど、やっぱりここが良くて。」
欧米型の養殖の技術を取り入れた鈴木さんのやり方は、従来の養殖方とどう違うんですか?
もう少し詳しく聞かせてください。
「これまでの日本式のいかだで養殖する場合は、いかだに吊るした牡蠣が6月くらいに産卵し、水温28度から30度で2週間くらい経つと、受精した卵からおたまじゃくしみたいに足が生えてくるんですよ。
で何か物にくっつこうとするんです。
その時を見計らってホタテの殻を浸けると、そこに全部くっつく。天然採苗といわれる形ですね。
うちの場合はですね、親貝を成熟させて、それを同じように開いてですね、精巣と卵巣を切り取るんですよね。
そこから精子と卵子をとって、それを混ぜ合わせて受精卵を作る。
その受精卵を水槽で育てるところからスタートします。」
「それはこのビニールハウスの中にあるんですけど、だいたい4月から7月にかけて。
一度、プラスチックの板にくっつけて池に入れて1ヶ月くらいすると、親指の爪くらいの大きさに育つのですが、それを剥がすわけです。
一粒一粒剥がしたものをバックに入れて池に入れて育てていくというやり方ですね。」
売り先はどこが1番多いんですか?
「生産量の50%くらいが海外なんですが、今、ロシアが多いですね。
ロシアのサンクトペテルブルクとモスクワ。次に多いのが香港。あとは上海。
2009年頃、中国では、牡蠣はほとんど知られてなかったのですが、ここ数年、ものすごく生牡蠣を食べるようになりましたね。
FHCチャイナという上海での水産食品の展示会に、冷凍カキフライの試食コーナーを出したのですが、牡蠣を見たことがない方ばかりなんですよ。
これ何ですか?野菜ですか?って聞いてくるわけですよ。
それが、今や上海にもオイスターバーがあって。
扱われてるのは、ほとんどフランスを中心とした欧米の牡蠣なんですね。
牡蠣はフランスがブランド力を持っているので。
中国ではフランスが一番じゃないですかね。
最近はアメリカとかカナダもだいぶ増えてきましたけどね。
日本からというのは結構難しくて。
2012年から毎年、展示会に参加していて、生牡蠣を出展したかったのですが、最初は、日本と中国の間に生牡蠣の輸出に関するガイドラインがなかったんですよ。
農水省に頼み込んだんですが、なかなか動いてもらえず。
中国側の方に日本の農水省に頼んで欲しいというお願いをしたら、積極的に要請してくれたみたいで。」
鈴木さんが動いたことで中国への生牡蠣の輸出が可能になったんですか?
「うちはね、第1号ですよ。
中国向けの生牡蠣の輸出で言ったら。」
すごい!!!
「すごくないですよ。微々たる量なので。
中国向けに出せると言っても結局、価格の競争でいうと、フランスやアメリカの大量生産型の仕組みがあるので。
それに対抗できるようにならないとダメですね。
生きた牡蠣の場合、ビジネスモデルがすごく分かりやすくて。
自社で種から作って輸出までできないと、ビジネスモデルにのらないんですよね。」
「毎年ボストンとブリュッセルで世界の2大と言われるシーフードショーが開かれているんですけど。
そこに、日本からは、ニッスイ、キョクヨー、マルハって、3大水産会社が出展しているのですが、どこも閑古鳥が鳴いてるんですよ。
なぜか?
昭和30年、40年代頃、日本は潤沢に魚が獲れた時代があったのですが、その後、ずっと右肩下がりに魚獲量が減って、船を持って魚を獲ることをメインにしていた大手の水産会社が加工業に移行したんですよね。
海外から魚のすり身だとか原料を輸入して国内の工場で加工品にする商売をして伸びてきた背景があって。
確かに、国内のマーケットで成功を収めたわけなんですが。ただ、海外では、そういう加工品は求められてないんですよね。
じゃあ、どういう水産会社が世界で注目されているかというと、例えばチリやノルウェーでサーモンを年間何十トン養殖して工場も持って輸出もしているとか、アラスカでカニの捕獲船を5隻持ってて、年間何千トンのタラバガニを獲っているとか。
要は、原料を持っているところじゃないと世界では相手にしてもらえないんですよね。
日本は、残念ながらそこで勝負してこなかった。
加工度を上げることで商売をしてきてしまったので。今、難しいですよね。」
「日本の水産業、例えば牡蠣屋さんって言ったら、やっているのは、おじいさん、おばあさんばかりで、どんどん辞めていく一方じゃないですか。
一方、欧米では牡蠣の養殖なんていったらどこでも人気の仕事なんですよ。
若い人がいっぱい働いてるんですよ。
広島で牡蠣の養殖をされている方はたくさんいるんですけど、欧米と比べると社員一人当たりの生産量っていうのはものすごい小さいんですよね。
5分の1くらい。欧米の場合たった3人で年間300万個くらい出荷してるんですよね。
でも日本だと1人で10万個とか20万個くらいの規模で。
しかも労働時間は多分欧米の3倍くらい働いてるんじゃないですかね。
欧米のバッグを使った養殖方法は人間がやる部分と、機械がやる部分とはっきり分かれてるんで。
人間がやらないといけない部分はピンポイントで、そこだけ毎日ルーチンワークでやる感じですよね。
うちで作ってる量も個数で言ったら20万個から30万個くらいですね。
そんな大規模じゃないです。
残念ながら、人海戦術なんで手間はかかりますよね。
とにかく労働時間が長い割に収穫量が少ないんで当然賃金も低いんですね。
ヨーロッパでは、特にオランダとか養殖場の作業員でも普通に年収500万円くらいはとってるんですよ。
日本では牡蠣養殖は、給料安くて、若い人から敬遠される産業になっちゃってるんで。
その辺の構造から変えていかないと。今、うちの目標は少しでも給料を上げていきたいなと思ってて。
そうでないと次の世代の若者が入ってこないですよね。
どうしても生き物が相手なんで、労働時間や休日が不規則であったりとかはあるんですよね。
だったらその分、収入がある程度、他の産業より良くないと、働く人は来ないですよね。
養殖業って日本では衰退産業になっちゃってるけど、海外では成長産業なんで。
やっぱりこの辺で、変えていきたいと思いますね。
じゃあ何をしないといけないのかって言ったら、普通の養殖業者の人達がやらないような事をやらないとダメですよね。」
養殖場にオイスターバーを併設されるのも画期的な取り組みですよね。
「今、広島県の観光課と話をしてるのは、牡蠣とかエビの収獲体験をして、ここで牡蠣を食べながらワイン飲んでもらって、夕方ホテルに戻れるっていうパッケージの1つを作れたら良いなと思っていて。
広島にインバウンドで来てる外国の方は、1週間くらい滞在して、最初は平和公園とか宮島とかで満足されるんですけれど、ちょっとこなれた人達は1時間とか2時間かけて郊外に行って、地元の漁業や農業とかの体験をしたがるんで。
広島市内から朝、高速バスを使って竹原港からフェリーを乗り継いでここにお越しいただいて、そういうことをやりたいと思ってますね。」
「多分ビジネスって二通りあると思って。
一つは、例えば、ウォールマート的な手法。全部真似してあれだけ大きくなった。
社長の本に書いてあることなんですけど。自分の店にいる時間よりも競合他社の店にいる方が長かったと。
他の店を見ながら売れる売れないを自分の店に反映させて伸びてきたと。
そういうビジネスの仕方もありだとは思うんですよ。
でも僕は、誰もしてこなかった未知なる新しいものをどんどん作り出していくっていうアップルコンピュータのビジネス、スティーブ・ジョブスみたいな方が好きなんですよね。
そういう面で言ったら、僕がKS商会を作って、牡蠣を海外に販売したのも日本では前人未到の試みでしたので。
販路を作るとか苦労はありましたが、それよりも売れ始めたらやっぱり一番手なんで特権があるんですよね。
すぐ、競合他社が海外の同じようなマーケットに牡蠣を出してきたのですが、一番最初を行ってるんで、良い会社とパートナーを組んでいるし、マーケットを先取りしているので有利なわけですよね。
この牡蠣養殖に関しても、塩田で人工採苗から取り組んでいるのは日本には僕ら以外いないと思います。
それなりに注目していただいて、メディアに取り上げていただいて、そういうのって宣伝広告費そのものだと思うんですよ。
ありがたい事に、こんな離島まではるばる来ていただけるわけじゃないですか。
これは、どんな仕事でもそうだけど、最初にやった人の特権だと思うんですよね。
そういう意味で言ったら誰もやってない事を、これからもどんどんチャレンジしていきたいと思いますね。」
これからの、日本の水産業のイノベーターですね。
「そうなりたいですよね。
アメリカにテイラーという牡蠣の会社があるんですよ。
世界的に絶大な支持を得ていて、年商350億くらいあるんですけれど。
海外で水産業や飲食業に携わる人だったら誰しもが知る、牡蠣と言えばテイラーってくらい名のある会社で。
フランスにもジラルドって会社があって。
そういうとこと張り合うわけじゃないですけど、同じくらいの規模の養殖会社に育てていきたいって野望はありますね。
日本に、まだそういう会社がないですからね。
色んな国に有名なブランド牡蠣を作る会社があるので、将来、そういう会社になれたら良いなとは思います。
でも、あんまり無理して会社大きくしようというのはね(笑)。
まずは楽しく暮らすのが一番じゃないですかね。」
インタビュー後、FARM SUZUKIさんの牡蠣を早速いただきました。
「牡蠣って水分が70%なんで育ったところの海の味なんですよね。
ここは周りが山で湧き水が入るから塩分濃度が低いんですよね。
海がだいたい3.5%くらいなんですけど、ここは2%から2.5%くらい。
塩分濃度が低いところで育った牡蠣は甘みが凄い増すんですよね。」
鈴木さんのおっしゃる通り、いただいた牡蠣は甘みが強く、芳醇でマイルドな味わい。
この味に惹かれて、日本、ひいては世界中のお客さんからのオファーが絶えない。
メディアの取材依頼も多いそうで、某国民的人気グループのテレビ番組からの取材を受けたばかりとか。
地域の特性を活かした強力なコンテンツさえあれば、例え辺鄙な離島の地だって、注目は集まり、人が集い、ビジネスは生まれる。
地方を、日本を元気にする取り組みの好事例であることは、その生牡蠣の極上な美味しさが実証しているのでした。
株式会社FARM SUZUKI
鈴木 隆さん
株式会社FARM SUZUKI
鈴木 隆さん
1976年、 東京都生まれ。
2001年3月水産大学校 水産学部卒業、4月中央魚類株式会社入社。
2008年に中央魚類株式会社を退社後、ケーエス商会株式会社設立。冷凍牡蠣加工品の輸出事業開始。
2011年、大崎上島町の塩田跡で養殖事業を開始。
2015年9月に株式会社 ファームスズキ設立。