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Interview

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“農業の可能性の探求が楽しすぎる!” メイド バイ ジャパンを海外へ 新時代の侍ファーマー現る!

株式会社ジャパン・アグリ・チャレンジ 代表
野口 豪さん

2015年1月に『株式会社ジャパン・アグリ・チャレンジ』、5月にタイに現地法人の『株式会社ジャパン・アグリ・チャレンジ タイランド』を設立。
日本の農業を海外で展開する事業をスタートした野口豪さん。
元々、東京生まれ、東京育ち、学生時代までは農業には全く縁の無い生活で、大学では水の研究に従事していたとか。
NPO法人『日本水フォーラム』のユースサポーター代表を務め、2008年には、世界22カ国の学生が各国の水問題とその解決策について話し合う『世界ユース水サミット』を主催。
その活動が評価され公益社団法人 日本青年会議所(JCI)主催の『人間力大賞2009』で“青年版国民栄誉賞”にあたる環境大臣奨励賞を受賞されるという輝かしい経歴をお持ちでもあります。
そんな野口さんが、どうして農業の道を進むことを決意したのか?
そして、野口さんの考えるこれからの農業とは?
長野県飯山市にあるご自宅の農園にお伺いして、お話を伺ってまいりました。

農業というフィールドで
どこまで出来るのか
それを全部試してみたい!

突然の天気雨に端から端までつながる大きな虹がかかり、思わず見とれてしまい約束の時間に遅れること数分。

niji

山を上がっていくと一面に畑が広がり、野口さんのお住い兼、民宿の『城山荘』が現われました。山の上は横殴りの激しい雨。

そんな悪天候を吹き飛ばすような満面の笑顔で「どうぞおあがりください!」と出迎えてくれた野口さん。


野口さん雨

身のこなしは豪快、だけど思わずほっとする柔らかな物腰。

凛とした表情からは揺ぎ無い農業へのただならぬ意気込みを感じられます。

正にいでたちは次世代“侍ファーマー”!

最近は、ほぼタイに行きっきりで久々のご帰国とのことで、

生まれて間もない愛娘の穂香ちゃんを大事にひざの上に抱きかかえながらのトーク。

奥さんの樹里さんが剥いてくれた地元長野で収獲された蜜のつまった美味しいリンゴをつまみながら、コタツを囲んでのインタビューと相成りました。


野口さんと樹里さんと穂香ちゃん

↑愛娘、穂香ちゃんと奥様、樹里さんと一緒に。


学生時代は水の研究をされていたんですよね?


「高校生の時に中南米のパナマに1ヶ月間留学をしたことがあって。


その時に道端でおじいちゃんに“水くれ!”って、水乞いをされて。


金くれならわかるけど、水くれってなんだと。すごい衝撃を受けて。


帰国して調べたら水が飲めなくって亡くなる人が赤ん坊も含めていっぱいいることを知って。


なんとかしたいな。というか、どうしたらいいんだろうというのを勉強するために大学に入ったんですよ。


総合政策という学科で、自分の突き詰めたいことを何でも出来るような所だったんですが、とにかく水を研究して。」


水の研究からどうして農業へ?


「4年間勉強して、何が出来るんだろうと考えた時に、日本の江戸時代の暮らしについて興味を持って。


水も使い捨てじゃなくて、循環することが大事だなと思った時に、江戸の生活は、限られた資源を最大限に活かして経済を維持し、文化を発展させた循環型社会だったことを知って。


循環が出来ていた江戸時代にあって、現代社会では途絶えてしまったものってなんだろうと考えたら、堆肥だったんですよ。


江戸時代は人間の排泄物が貴重な資源として扱われていて、有機物がもう1度土に戻る循環が綺麗に回っていた。


その時代、西洋も下水施設は整備されてなくて不衛生だったらしいんですが、江戸の町を初めて見た西洋人が“こんなにきれいな都市はない”って驚いたらしいんですね。


昔ながらのやり方で堆肥を人間の排泄物から作り、それを使って農作物が作られるようになればいいんじゃないかと思い、これは農家さんに行って聞いてみようと。


実際、お伺いしたら、今は昔のように人間の排泄物から堆肥を作ってはいなかったんですけど。


でも、とりあえず堆肥作りを勉強したいと3ヶ月の研修をお願いして、それが始まりなんです。」


それは学生の時に?


「大学4年生の時ですね。知人の紹介で、神奈川県三浦市の有機農家の石渡さんという方に師事して、農業を学びました。


考え方というか、話す言葉1つ1つに含蓄がある方で。


初めてお伺いした日は、丁度、大根の収獲シーズンで。


畑を見せてもらいながら、2人で歩いていたら、“野口くん、あそこの大根痒がってるから見てあげて”って言われて…。


大根が痒がってるってなんだ!?って思って(笑)


その葉っぱの裏側を見たらアブラムシがいっぱいいたんですよ。


このことを言ってたんだ!と、すごいなと思って。


普段の生活では、“大根が痒がってる”なんて言葉を耳にすることなんてなかったですし。


それから、春キャベツの定植を9月にするんですけど。


植えて、翌日、翌々日くらいに、太陽に照らされて、苗がぐったりしおれちゃうんですよ。


それを見て、石渡さんに、キャベツ大丈夫ですか?枯れちゃいますよ!って言ったら、“いや、野口くん大丈夫なんだよ。


苗はね、しおれればしおれるほど生きなきゃって思うから根っこを張れるんだ”って。


人間も一緒だなって、ものすごいジーンときて。


そういうことを普通に何気ない会話の中で言ってくれる方で。


ものすごく勉強になりました。」


哲学科的ですね。


「そうなんです、農家の人って哲学者じゃないかと思います。


自然と向き合ってるからじゃないですかね。


深いなと。


それで農家ってすごく面白いなって興味を持って、農業の道を志すことにしたんですよね。


大学卒業をして、最初3ヶ月だった予定を、とにかく面白いのでやらせてくださいって言って、結局一年間通わせていただいて。」


一寸たりとも都会への就職とかは考えなかったんですか?


「就職活動はしまして。外資系の銀行に一応内定はもらって。興味はあったんですけれど、やっぱり農業の方が面白くて。」


給料的なことを考えると、外資系の銀行勤めのほうが全然いいですよね?


「多分、そこは考えなかったんでしょうね。


自分の同級生で稼ぐ人はめちゃくちゃ稼いでる。僕の年代でも、年1千5百万とかざらに。


それこそ資本主義的に考えたらありえない選択ですけど(笑)。


うちの学部の卒業生は結構面白いことをしてる人が多いんですが、農業に就いた人は歴代3人ぐらい。


その1人が僕で。」


大学を出られて、どこかの農家に入られたんですか?


「千葉県の流山市にある農業法人で2年半勤めて。


精神疾患の人を社会復帰させるのがメイン事業だったのですが、研修の一部として農業をやっていて。


作られた農作物の販売もしていて。百種類以上の作物を育てましたね。」


農業の技術を極めていったんですね?


「でも農家の生まれじゃないんで。


農業の匠って、農家に生まれないとなれないと僕は思っていて。


“究極の〇〇を作りたい!”みたいな願望もなかったですし。


僕は“農的暮らし”に憧れるとかは全然なくて。


かといって農業ビジネスで一稼ぎしてやる!というわけでもなく。


ただ農業というビジネスの可能性にはずっと興味があって。


農業って、命の源を作り出す仕事じゃないですか。


言うまでもなく、責任重大で、でもとてもやりがいのある仕事。


農業というフィールドでどこまで出来るのか。それを全部試してみたいという思いがあった。


まずは、農業をやりながら、民宿もやりたいというのがあって。


石渡さんの所にお世話になっていた時、年間2千人ぐらい農業体験を受け入れていたんですが、石渡さんと来ている家族とかのやり取りを見ていて、これは最高だなと思って。


お客さんがたくさん来て収穫祭をやるんですよ。自分も畑を持って農家民宿を運営してきたいと。


そんな将来の展望をどうしようと苦慮していた矢先、たまたま祖父に、農業をやっていきたいという話をしたら、実家が農家で継ぎ手がいないということを聞いて。正に渡りに船で。


それまで、祖父の実家が何をやっているか全く知らなくて。


祖父はこの家で生まれてて、ここは一応野口家の本家なんですよ。」


飯山 畑


おじい様からの、まさかのお告げ(?)で願ってもない新天地が見つかったわけですね。


「2012年5月に、ここ長野県飯山市に移住して。


株式会社mamaという農業法人を立ち上げて米と野菜の栽培を始めました。」

「同時に『城山荘』としての民宿業もスタートさせて。」


都心住まいから、こういう土地に移住することに抵抗はなかったんですか?


「全くないですね。


“農業が面白い”としか考えてないので。


農業が出来る所へ、出来る所へって(笑)。


東京から、神奈川の三浦に行って。三浦から、千葉の流山に行って、流山から長野みたいな。


ここを初めて見に来た時に、素晴らしさに魅了されて。


山を上がってきて、いきなり開けるじゃないですか。


ここより上には民家も何もないんですよ。


山頂から下ってきて1番最初の人が住んでる所なんです。


水源から湧き出た水を一番最初に、この田んぼで使えるんですよ。


僕は水の研究から農業の世界に入るご縁をもらっているので、水を守る農業をやりたいなと。


水を守る農業の定義って僕の中ではこういう場所で農業を続けることだなと思っていて。


水源があって、水源からの水路を確保して、水を適正に使って守っている。


後から、ここは豪雪地帯で半端じゃないというのを聞いて。毎年、4mとか、5mとか平気で積もる。」


豪雪

 「でも、そんなの全くかまわない、ここはいい!って移住してきました。」

日本の農業を海外へ
タイへの進出

そして2015年は、さらに、海外への展開を始めましたね。


「2015年1月に『JAPAN AGRI CHALLENGE CORPORATION』(株式会社ジャパン・アグリ・チャレンジ)を東京の恵比寿を拠点に設立しました。


続いて、5月にタイの現地法人『JAPAN AGRI CHALLENGE (THAILAND) CO., LTD.』(株式会社ジャパン・アグリ・チャレンジ タイランド)を設立。


ここ飯山の事業は妻に引き継いで、日本の農業を海外で展開する事業を本格的に始動しました。


農業を始めた時、それこそ石渡さんのところで研修をしてる時から、海外での展開は絶対に面白いって思っていたんですよね。


飯山に来て、やりたかった民宿は始めることが出来て、そこからのご縁で、念願だった海外への農業展開のチャンスを得た。


まずは、アジアで農業。アジアは、比較的、人の気質も近いし、気候的にもやりやすそう、というのが最初のイメージでした。


特にタイと決めてたわけではなくて。2013年からリサーチを兼ねてミャンマーに行き始めて。ラオスに行って。


いい所もあったんですけど。


ミャンマーの場合、治安の問題があったり。


ラオスは、道が舗装されてなくて、いいもの作っても、いい状態で運べない。そういうネックがあって。


ここでも再びいろいろな方のご縁とご協力で、現在のタイの土地に出会うことができ、“bio bijin”というブランドを立ち上げ本格的にトマトの販売を始めました。」

「タイでは、調理して食べるトマトはいっぱいあるんですけど、日本みたいに生でフレッシュに食べられる美味いトマトは全然ないんですよ。


タイには10万人ぐらい日本人が住んでいて、トマトに関して、みんな満足していないということもあって。


美味しいものを食べて、眉間にしわが寄るってことはないですよね。


美味しいトマトを通して、少しでも多くの人に幸せになってもらいたいと本気で思っています。


農場は、タイの中北部のペチャブン県という場所にあって、バンコクから飛行機で1時間ぐらいのコンケンっていう所から車で2時間くらい。


飯山で修行を積んだ大学の後輩だった昌くん(↓写真 迫田さん)とタイ人スタッフと一緒にトマトの栽培に奮闘しています。」

biobijin top

ここがタイヘンだよ!
タイでの農業

実際タイで農業に取り組んでみてどうですか?


「最初の半年ぐらいは、ものすごく大変で。


日本のような整った設備があるわけではなく。


ハウスも、パイプハウスじゃなくて、現地のコンクリートで作られたローカルハウスだったり。


気候も全然違う。暑すぎて、虫が異常発生するし。キングコブラも出るんですよ!


それだけ環境が全然違うんです。


一度、病気が大量発生して、作ってたトマトが全滅してしまったんです。


どうしようと途方に暮れていた時に、これも僕の綱渡りなご縁なんですけど強力な助っ人農家さんに出会うことが出来て。


今は、その方達に日々相談をしながら、とにかく安定的に、美味しいトマトを1年中出荷し続けることが目標です。」

↑タイの農園の収獲の様子。

圧倒的なクオリティ
メイド バイ ジャパンで
世界に打って出る!

これからは、どのように広げていこうと思っていますか?


「メイド イン ジャパンというのと、メイド バイ ジャパンがあると思ってて。


僕らはメイド バイ ジャパンをやろうとしている。


日本の農業スタイルを海外の環境でやるやり方。


メイド イン ジャパンは、僕が1番最初に農業に出会った時に超えられない壁があって。


例えば石渡さんとか、もう絶対に超えられないんですよ。あのレベルは。


農家生まれじゃないし、海外に出たら、日本と気候も違うから。


なのでメイド イン ジャパンは特別。プレミアムです。


僕らはメイド バイ ジャパンで、現地で出来るものを最高品質で出す。


この2重構造で日本の農業が出来たらなと。


日本の農業の技術を海外に流出させたら困ると言われることがあるんですけど、例え流出したとしても日本の農業は海外では出来ない。


僕ら日本人でも日本のプロフェッショナルな農家さんがやっているクオリティは簡単に真似出来ないと思ってるので。


日本の農業は究極路線に行くべきだと思ってて。


量は勝てないじゃないですか。世界には大規模農業がたくさんある。


日本の圧倒的なクオリティを持ってすれば、それは他が超えられない壁なので。


それであれば全然、世界で生き残る道は、いくらでもある。」

風の民の農業
侍ファーマーが拓く
これからの農業の可能性

野口さんにとって、これからの豊かな暮らしとは?


「最初に農業やりだした時は結構考えてたんですけど、今はあんまり考えてないというか、今の仕事に精一杯といえば精一杯なんですけど。


自分にとっての豊かな暮らしは、自分の命のある限りこの農業の可能性を開拓してくことが最高に豊かなこと。


それを実現できる環境にいられることが何よりも最高の豊かさですね。」

「究極のプロ農家さんになってくると自分の土地での農業にものすごい意義を感じてるので、土地に根ざしてやるのが当たり前なんですけど。


僕らはどっちかというと、風の民で。


自分のスタイルで、ここ飯山の農園も海外の展開もやれる所ならどこでも農業をやっていきたいです。」


農業が楽しくてしょうがない?


「楽しいです。


農業を通じてたくさんの人を幸せにできる、ここに最大の魅力があると感じています。


そういう“農業という仕事の可能性”の探求が、とてつもなく楽しいですね。」

豪さん樹里さん穂香ちゃん


農的生活への憧れというわけではなく、ビジネスなんだけどビジネスだけが目的でもなく、探究心旺盛だけど研究者的な感じでもなく、独自の揺ぎ無い農業モチベーションをもって邁進する、野口さん。

とにかく“農業”に関わる全てが楽しくしょうがないという思いがひしひしと伝わってきました。

農への熱い志を胸に、また自身の“農仕事”に従事すべく、タイへ向かったのでした。

野口さん、そして野口さんのフォロワーが、面白くしていくに違いない、これからの日本の農業シーンが楽しみです!

Profile

株式会社ジャパン・アグリ・チャレンジ 代表

野口 豪さん

株式会社ジャパン・アグリ・チャレンジ 代表

野口 豪さん

東京都生まれ。

2005年4月、慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス総合政策学部に入学。

学内外でのボランティア活動に注力し、NPO法人日本水フォーラムのユースサポーター代表、学生団体『ステッカーで地雷除去 POM2』代表を歴任。

2008年6月大分県別府市にて、世界22カ国の学生が各国の水問題とその解決策について話し合う『世界ユース水サミット』を主催。その報告書としてマンガで学べる22カ国の水情報冊子『SHIZUKU』を刊行。

この活動が評価され公益社団法人 日本青年会議所主催の『人間力大賞2009』にて"青年版国民栄誉賞"にあたる環境大臣奨励賞を受賞。

在学中に神奈川県三浦市の有機農家 石渡さんに師事し、農業を学ぶ。

2009年、千葉県流山市の農業法人にて年間100種類以上の野菜を無農薬・無化学肥料で栽培。

2012年5月長野県飯山市に移住、米と野菜の栽培を開始。

2015年1月に『株式会社ジャパン・アグリ・チャレンジ』設立。

Go Noguchi's
FAVORITE TIPS

BOOK

三国志
吉川英治 著

農業って1人じゃできないんですよ。石渡さんからも言われてたのは、農家は作るので精一杯なんだと。野口君みたいな新しい世代の人が売ることに特化することも大事だって言われて。自分は作る専門じゃなくて、売るってことも含めた仕組みを作ることをしようって思ったんですね。

三国志も仲間がいて成立する。志を貫いていると、それに集まってくる仲間が反応し合う。

農家の生まれじゃないし、技術がとてもあるわけじゃないので、いろんな人の力を借りて今こういうことが出来てる自分に重ねるわけではないんですが。