
Interview
地元に密着、こだわりの味 一杯のコーヒーから広がる豊かな暮らし
元々、児玉さんがコーヒーショップを始めようと思ったきっかけは?
「1990年後半から2000年あたりにカフェブームが興って。
表参道とか恵比寿とかオシャレな街に、新しいカフェが続々オープンして。
お店の内装とか、インテリアとか昔から興味があって。
当時、大人気だった『バワリーキッチン』、『オーバカナル』、『ヌフ・カフェ』は憧れでした。
最初に、飲食店をやりたいと思ったのは、東京の大学に入学した頃。
ちょうどスターバックスが日本に上陸したぐらいですかね。
『自休自足』という雑誌に載っていたカフェの記事を見て、すごく衝撃を受けて。
こういう店をやってみたいなと思い始めて。」
「でも、その頃は、体育会ラグビー部の現役でして。
高校時代から続けてきたラグビーをずっとやっていきたいという気持ちもあって。
心のどこかでお店をやってみたいと思いつつも、普通に秋田で就職して社会人になってからもクラブに入ってラグビーをやってきたんですね。
ただ、ラグビーを辞めた後に何が残るだろうと不安で。何か残るもの、自分で出来るものを探そうと考えていて。
結婚し、26歳の時に子どもが生まれて。
そろそろ体も限界を感じていて。お店を始めるなら今しかないと思って。
妻にも相談したら、“面白いんじゃない?”って言ってくれたので。仕事を辞めて。
ラグビーも引退して。家族で仙台に引っ越しして。飲食の仕事に就いたんですね。」
東京ではなく仙台で?
「東京に行きたかったのですが、子どもが生まれたばかりということもありまして。
私も妻も秋田の出身で。なので少しでも実家に近くて、秋田よりもカフェ文化が少し進んでいるところ。
飲食の文化に触れられるという意味で仙台を選んだのですけれど。
彼女もコーヒー関係の仕事に就いて。経験を積んでいこうと。
2008年から3年間、飲食店だったり、カフェだったり、コーヒー専門店だったり、色々働かせてもらいました。
元々、コーヒー専門で豆を焙煎してストイックにやっていこうという考えはなかったんですよ。
食事もあって、ケーキセットもあって、夜はお酒も飲めてみたいないわゆるカフェ形態をイメージしていたんですけど。
最初に働いたお店では調理を担当したんですが、何か違うなと思って。
流れ作業の中のひとつとして自分がちょっとだけ手を加えた料理が運ばれいくことに違和感を感じて、もう少しお客さんと近いお店で働きたいなと思って。
それでカフェの仕事に就いて。
そこで、自分が淹れるコーヒーが本当に美味しいのかどうかという疑問を覚えて。
自分の淹れている豆が、どこで、どうやって作られているのか当時は全然知らなかったんですよ。
お客さんは飲んでくれるけれど、これは本当に美味しいのかなって疑問を持ち始めて。
全国の美味しいと言われてるコーヒー屋さんから、いろいろ豆を取り寄せたり。
もちろん宮城県内のコーヒー屋さんを飲み歩くようになりまして。
そのうちに、いいコーヒーと悪いコーヒーがあるんだって飲んでるうちにわかってきたんですよね。
自分の働いていたお店はどうなんだろう?どうやったらもっと美味しいコーヒーを提供出来るだろう?とスタッフで話し合ったりして、品質を向上させるように努めました。
そうしてるうちに、どんどんコーヒーを淹れる方に興味を持ち始めてきて。
勉強し始めたら、すごく奥が深くて面白くて、料理を作ることよりも楽しくなってしまって。
最終的に、コーヒー専門店で働かせてもらい、コーヒーの知識であるとか、焙煎の技術であるとか、仕入れとかそういった結構コアな部分に触れさせていただきました。
それが仙台のカフェ・ドゥ・リュウバンというお店で。
そこのコーヒーはいわゆるスペシャリティコーヒーといって産地のトレサビリティ(食品の安全を確保するために栽培から加工、製造、流通などの過程を明確にすること)が分かる高品質の豆を使っていて。
エチオピアの豆だったんですけれど、衝撃的に美味しかったんですね。
何だこの香り、こんなの飲んだことない!という味を初めて経験して。
他の店と比べても明らかに違う。
その違いを探っていくと、豆の新鮮さだったり、適切な焙煎だったり、様々な要因があることがわかってきて。
この味の違いをちゃんと伝えなきゃいけないと実感して。
今のお店のような自分でコーヒー豆を焙煎して販売するスタイルに行き着いたのは、カフェ・ドゥ・リュウバンのコーヒーを飲んだのがきっかけですね。」
そこから独立して『08COFFEE』を出されたんですね?
「2011年にオープンすることを決めていたのですが、
震災があって、予定より少し早まって。」
お店をやるのであれば地元でと決めていたんですか?
「初めから地元、秋田でと決めていて。
独立して商売をするのは、どの場所でも大変なことだと思い。
自分の身を削って仕事をするのであれば、地元の人達に還元できることをしたいなと。
例えば、東京で知らない人、一見さんを相手にして、そこで自分の身をすり減らしていくのは、自分に何も返ってこないと思っていたので。
地元に根付いて、秋田に貢献するって言ったら大げさですけど、地元の人のためにお店を営むほうが腑に落ちるというか、自分に返ってくるものがある気がしまして。」
秋田でカフェカルチャーというか、コーヒー文化が受け入れられるかという心配はありませんでしたか?
「秋田にカフェと呼ばれる店は何軒か、僕らが始める前からあって、理解してくれる層はあったんですよね。
ナガハマコーヒーという、地元では有名なお店があるんですけど。
そこは食事もあり、カフェもある複合的な店なんですけど。
そのおかげで、地元にも、ある程度、カフェ文化の土壌があったので、その上に僕らは立ってるのかなと正直ありがたく。
ただ、自分がやりたかったのは、自分で豆を焙煎して、豆を売って、おまけ的にカフェがついてるようなスタンスのお店だったので。
カフェや食事に寄ってしまって、コーヒーが後からついてくるような形態では続かないと思ったんですね。
ランチやデザートが売りではなくて、コーヒーが売りのコーヒー屋じゃないと、長くは続けられないと現場でやっていて実感していたので。
絶対そこはブレないようにしようっていうのがありました。
最初は、ちょっと食事をやっていた時期もあったんですけれど。
お客さんの割合としても、豆の販売が1に対して、喫茶の利用をする方が9、良くても2対8くらいだった。
この割合をどうにかして逆転させたいって思って。
そのためにはある程度、喫茶のボリュームを抑えなきゃいけないから。
まず食事を辞めて。コーヒーとケーキだけの喫茶にしようと。
一時、お客さんがガクンと減ってしまって。
すごい苦しい時期もあったんですけれど、うちはコーヒー屋だから、まずコーヒーを飲んでみてくださいってことをずっと言い続けて。
少しずつ豆も売れるようになってきて。
それを飲んでくれた人から、実は自分も店をやりたいから豆を使わせて欲しいという相談が来たりとか。
うちの豆をプレゼントされた人が美味しかったからと買いに来てくれたりとか。
そういうすごい地道な、遠回りだけど確実な人とのつながりが出来てきてきたことが、豆の売り上げにつながっていったんですね。
喫茶は喫茶で、食事がない代わりに静かにゆっくりとした空間でコーヒーが味わえると、1人でいらっしゃるお客さんが増えたり。
店の雰囲気をお客さんが守ってくれてるっていうか。
ごちゃごちゃとした騒がしい空間を作らなくても済んだんですよ。
逆に、それが良くて来てくれる人も増えて。
喫茶は喫茶で成り立っていけるようになって。
食事を辞めたことで1度落ちた売り上げも、今は、それ以上にお客さんも来てくれるし、店のクオリティも保つことが出来るので。
豆の販売も少しずつ増えていって。
割合も逆転したんですね。今は、8:2まで来ていて。
どれだけ、いい豆を紹介して、いいコーヒーを提供してあげられるかに集中出来るようになってきました。
僕達としても仕事がすごく充実して、はかどるし、お客さんにとってもそれが良くて。相互にすごくいい状態になったのかなと思ってますね。」
お店の雰囲気を作る上で、インテリアも重要だと思うのですが、インテリアのプロデュースも児玉さんが?
「内装に関しては、私と、元々建築家の方がいて。」
秋田の方なんですか?
「東京でお仕事されている建築家の佐竹勝郎さんという方で。
長野にもアトリエをお持ちで、行ったり来たりされているんですけれど。
その方と話し合って作ってきました。
コンセプトが純粋にコーヒーだけを楽しむための空間。
そのために余計なものはなるべく省こうと考えてて。」
「東京のカフェブームの時は、いろんなカフェを巡ってみたのですが、おしゃれだけど椅子がぐらつくとか、アンティークで可愛いんだけど座りづらいとか。
そういうことにすごい違和感を感じて。
おしゃれであっても機能的じゃなきゃいけないし、新しいものだけじゃなくて古いものも好きだから混ぜ込んでいこうとか。」
「例えば、イタリアをイメージしたとか、NYっぽいとか、なんとか風や、なんとかっぽいというのはやめて、フラットにどのようにでも受け取れる空間にしたくて。
この店内が出来上がりました。」
「今、メニューやロゴなどデザインに関しては、秋田の澁谷デザイン事務所の澁谷さんという僕と同い年の人にやっていただいているんですけど。」
「2015年の3月からブランディングというか、統一したデザインをお願いするようになりました。
紙物とか小さいところですけど、毎月紙質を変えたりとか。
フォントをこれにした方がいいとか、そういう細かいところを彼にお願いして。
今まで自分で作っていたんですけど、プロにお任せして、仕上がりのクオリティが全然違って。」
「澁谷さんは、一緒にお仕事をするにあたり、僕らの生い立ちから今に至るまで、どんな思いでこの店をやっていて、どういう人間なのかを掘り下げてくれて。
そこから来る自分達らしさみたいのを、ひとつひとつに表現してくれるんですよ。
だからすごく信頼出来るし、お互い顔を合わせて、小さなことでも何でも相談出来るんで、そこはいい関係で。
密なやり取りが出来て、ここにある思いをちゃんと汲み取ってもらえるのでとても良くて。
僕は仕事に集中できるし。お願いするところはお願いして正解だったなと思ってますね。」
こんなに素敵なお店だと、地元のコミュニティ空間として、この場で何かしたいとかお話がくるんじゃないですか?
「例えば読書会や、何かのライブだったり、お話をいただくことはあるんですけれど、お断りをしているんですよね。
この空間をあまり壊したくないという思いがあって。
地元のタウン誌の掲載の話もいただいたりするんですけど。
初めのうちは受けていたんですが、それによって、いつもと違うお客さんが入って来てしまって、結果、雰囲気が壊れてしまうことになってしまう。
お客さんが来てくださるのは嬉しいんですけど、それよりも『08COFFEE』の空間をきちんと作ることが大事で。
本当に好きな方に来ていただけたらありがたいなと思っていまして。
そのために制限しないといけない部分もあって、お断りし始めたんです。」
“コーヒーラボ”というワークショップは開催されていますよね?
「そこはコーヒーの楽しさを伝える場所として、使っていかなきゃなと思っていまして。
何をするにもコーヒーに関わってないといけないなと思っていて。」
開店以来、お客さんは変わってきましたか?
「お客さんが、いろんなコーヒーを飲み比べてくれるようになりました。
ご自身の好みが何となくわかってきているんだなと。
特に、コーヒー豆を売ってることもあるのですけど、それぞれのお客さんの味のこだわりがわかってきて。
お客さんのコーヒーを味わう舌が肥えてきてるなと。
他にもいろんなコーヒー屋さんがあるので、みなさん飲み歩いたりすると思うんですけれど、それはそれでいいと思っていて。
いろんなコーヒーを飲み比べてもらって、自分の好みを見つけてもらえたら。
今まではそういうことすらなくて、コーヒーと言ったらコーヒーという1つの味だったものが、実は、店によっても違うし、豆の原産国によっても違うということがわかる環境が出来ただけでも、今は、すごく恵まれていると思います。
ついこの間も、東北で僕らと同じようなスタイルでコーヒー豆を焙煎してやっている店舗が集まって、それぞれのお店がコーヒー豆を持ち寄ってテイスティングする会を秋田市の『KAMENOCHO STORE』という新しく出来たコーヒー屋さんで、開催したんですよ。
それは東北では初めて、秋田でも多分、初めてだと思うんですけど、そういうセッションをして。
平日だけどお客さんが30人ぐらい来てくれて。」
具体的に今後、どんなことをやっていきたいですか?
「僕は街に根付いていきたい。
何か変わったことをして、どんどん伸びていくんじゃなくて、同じことをし続けて下に下に根を張っていきたい。
始めた時からずっとその考えは変わらなくて。
足元にずっと根を張っていくことによって、気づいたら上にすごい大きな木が育っていたというのが理想だと僕は思っているので。
やることはこれからも一緒だと思うんですよね。
お客さんに対して、ちゃんと正しいものを伝えて、美味しいと思えるものを薦めて、お客さんに満足してもらって、それを繰り返していくうちに気づいたらちゃんと花が咲いていたっていうような。」
「だから、ずっと地道に、コーヒー屋の枠から外れたことはしたくないんですよね。
僕は1コーヒー屋でしかないので、コーヒーを通じてお客さんとつながっていけるのが1番だと思っていますね。
オシャレな店をやってみたいなとか、パンも作ってみたいなとか、お菓子を出してみたいなとか、色々ありますけど、それは僕の仕事ではないなと思うので。
同じことを地道に繰り返す方が実は近道だったりするのを感じてます。
澁谷さんもそうですけど、僕らの周りで頑張ってる30代はすごく多くて。
もっと若い人達が、僕らがやってること見てくれて、自分達も秋田でやっていきたいなって思ってくれたら、もっと街が面白くなっていくのかなと思いますけどね。
実際、僕らも始める前は、地元で先駆的に取り組んでいる方々を見て、こういうことが出来るんだって希望をもらっていたので。
まだまだ修行中の身ですが僕らも若い世代に地元で活躍できる可能性を示していかなきゃいけない立場にあるのかなと思っています。」
その上で大切なこととして意識されていることってありますか?
「物質的には満たされている時代なので。
思いとか、実体験とかが重要になってくると思うんですよ。
1つ物を売るにしても、誰が作ったものか分かるのと、そうじゃないものの違いってすごく意味があるので。
そういったことをより実感出来るのがこの秋田の良さだと思うんですよね。
お客さんとの距離とか、生産者との距離とか。
そういうのを肌で感じられるのが田舎のいいところだと思うので。
そこに良さを見つけてくれる人が確実に増えているのを感じるので。
毎年一回の生豆の仕入先のセミナーに来るのは、東京より地方都市のお店が多くて。ああいうのを見ていると、頑張ってるお店は地方に多いんだと感心します。
地方の方がお客さんとの密な関係を築けていて、きちんと豆の良し悪しがわかってくれるお客さんがいるからこそ、豆もどんどん売れる。
そういうことなのかなって僕は勝手に解釈してたんですけど。」
「だから、ネットからの注文も最近増えていて、とてもありがたいことなのですが、それも考えもので。
パソコン上でクリックすれば買えちゃうじゃないですか。
お客さんとのつながりがすごく希薄なような気がしてきて。
一見さんというか、一度、買ったらもう来ない。リピートしてくれる人は、100人いたら、多くても5人くらいです。
インターネットは、そういう世界なのかもしれないので、それはそれでいいんですけれど。
最近、そのやり方にすごく違和感を感じ始めてるところなんですよ。
実際、この秋田の地でやっていくにあたって、ネットでの販売は、とても重要なツールであることは間違いないのですが、つながりが希薄過ぎて。
僕達はインターネットで買い物してくださった方にいつも手紙を書くんですけど、リピートしてくださる方の多くは返事をくれる。
ネット販売がなくても、うちのコーヒーを買いたい人だったらメールを送ってくれるだろうし、きちんとした関係性を持ちたい方だけ残ればいいんじゃないかなと最近思い始めてるところもあるんですね。
やっぱりアナログなのかなって。
お客さんと対面して“今日これ焙煎したんです”、“これ美味しいですよ”って、顔を見ながら話をして、お客さんも納得して買ってくれる。その感じがすごく良くて。
インターネットの世界でも同じだと思うんですね。
ネット販売ではお客さんごとの店主にお任せってセットがあって。
毎回、それでしか頼まない人もいるんですよ。
何度もやりとりしているうちに、お客さんの反応を見て、“じゃあ今回は深煎りのを送ってあげようかな”とか、そういう風にお互いに通じ合えることが大事なのかなって思うようになりましたね。
なるべくお互いの思いがきちんと伝わる関係性をどうにかして築けないかなと考えているところです。
ネットで情報はいくらでもあるけど、実体験から感じる機会が減っているというか。
僕は洋服をネットではなく、わざわざ洋服屋に行って、実際に服を見て、お店の人と話をしながら買うんですけど、秋田の男鹿ってところでOwn GArment products (オウンガーメントプロダクツ)という洋服のブランドをやっているご夫婦がいて。
彼らは元々、東京の有名ブランドで働いていたんですが、地元から発信したいと戻ってきて、あえて卸し先を限定し、人と人とのつながりを重視した販売を試みています。
フランスのワークウェアを原型にした洋服を作るんですが・・。
素材やディティールにこだわって、すごいかっこよくて、かわいい、おしゃれな洋服を作るんですね。洋服に対しての情熱も知識も半端じゃなくて。
そんな彼らの背景を知って、彼らがデザインしてパターンを引いて縫い上げたものと実際に見ていると彼らが作った服だから着たいという感覚になってくる。」
↑『08COFFEE』のエプロンは、『Own GArment products』の方にリメイクしてもらったもの。背中のコーヒー豆のデザインに目を引かれます。
「たくさんある服の中で、気づいたら彼らのアイテムを手に取っている。
その感覚ってすごい重要だと思って。
この人が作ってるものだから、今日はこれを着ようとか。
この人が作った服を着ることによって気持ちが上がっていくとか。
そういうのって、すごい豊かなことだと思うんですよね。
ものの背景にある作り手の思いや、取り組みを垣間見ることで、納得して買うことって、コーヒー屋のような僕の商売としてはすごく重要なことだと思っていて。
そういったことこそが、これからの豊かさ、心の豊かさにつながっていくのかもしれないと思います。」
「震災の後からお客さんの消費心理って変わってきている感じがするんですよね。
多分それは秋田だけじゃないと思うんですけど、ものの良さっていうか、本質的にいいものを求めたいという考え方の人が増えている気がするし、だからこそ僕らみたいな仕事が成り立つというのも実際あると思うんですよね。
僕の兄は県外の大手企業で働くサラリーマンなんですね。
秋田にたまに帰ってくると、街がすごい寂れてると。どうしたら良くなると思うかって、そんな話をたまにするんですよ。正月とかに。
僕は、このままでいいと思うよって。
ぱっと見て大きいビルがないとか、建物が潰れてて空きテナントがいっぱいあるように見えるかもしれないけど、地元に根を張ってやっているお店もたくさんあるし、個人商店もたくさんあるから別に寂しさを感じる人はいないと思うよっていう話をするんですね。
でも兄は、いや、そうじゃないって。
大きいショッピングモールがあるとか、マンションを建てて、いわゆる今までの高度経済的な仕組みがあるから、お前らみたいな商売が成り立つんだぞって。
両方確かにあるとは思うんですけど、やっぱり秋田が東京とか仙台みたいな都市になるとは絶対思えないし、そこを目指しちゃいけないって、僕は地元にいてすごく思うんですよ。
だから、より本質に追求する人が多い方がきっといい街になっていくだろうなと思いますね。
『08COFFEE』は、秋田の人の口に合うような焙煎を心がけています。
今は海外のコーヒーの情報や知識がいくらでも入って来るので、どこでも流行の最先端を感じさせるようなことは出来ると思うんですが、ここ秋田のお客さんは、それを求めていないと感じているので。
そういった要素も取り入れつつ、何よりもまず美味しいと思ってもらえるコーヒー作りを心がけていこうと思っています。」
じっくり時間をかけ、地元に根を張り、人のつながりを大切にして、お客さんのための“珈琲空間”作りに真摯に取り組む。
そんな効率や採算を優先する20世紀的な価値感とは真逆のスタイルこそ、『08COFFFE』が、多くのコーヒー好きに愛される所以なのでしょう。
恥ずかしながら味の違いがわかるほどコーヒーに明るくない私ですが、インタビュー後いただいた一杯は、今までに飲んだことのない繊細で奥深い味わいでした。
08COFFEE オーナー
児玉和也さん
08COFFEE オーナー
児玉和也さん
1980年、秋田県生まれ。大学卒業後、帰郷をして秋田の企業に就職。同時に秋田市を本拠地とするラグビーチーム秋田ノーザンブレッツ R.F.Cに所属。
退職、チーム引退後、いくつかの飲食店勤務の後、2011年に『08COFFEE』をオー プン。
店名の“08”はラガーマン時代の背番号から 銘うたれもので、“ゼロからの スタート”の意味合いも込められているとか。
PEOPLE
カフェロマン
オーナー 千葉伸一さん
『カフェロマン』は松島にあるカフェで、僕が働いていた当時は『カフェロワン』という名前だったのですが。震災で倒壊し、2015年末に再開されて。
オーナーの千葉さんには、おしゃれとはどういうことなのか、何が美しくて、何が美しくないのかという、感覚的なところを教えていただきました。お店を作るにあたってディティールにこだわるのがどれだけ大事かを口すっぱく言われて。内装とか、何か一つ作るにも影響を受けています。経営面のことも厳しく教えていただき。
松島を観光地としてだけじゃなく、街として面白い魅力ある場所にする活動もされています。
PEOPLE
カフェ・ドゥ・リュウバン
オーナー 國井竜二さん
コーヒー屋とはどういうものか、店を自分でやることは、どういうことなのかを厳しく教わった方。
当時、30歳で人からこんなに怒られることがあるんだってくらい怒られました。それが今になってすごく生きていて、感謝しています。
千葉さんとは両極のような、質実剛健な方。お二人の下で働く体験を得られなかったら、『08COFFEE』のようなお店は作れなかったと思いますね。
BOOK
『自休自足』
2006年冬号
店を始める前はコーヒーと名のつく本は全部読んだってくらい読んだんですけど。
学生時代にこれを見たのがきっかけでカフェ、飲食に興味を持ち始めたんですよ。
『SUNNY SIDE WORKS』という福岡にあるパン屋さんの記事なんですけど、カフェや陶芸をされている方のお店で。
寮生活をしていた僕は、開放的な気持ちの良い写真を見て、こういう生き方もあるの?って衝撃的だったんですよね。スポーツの狭い世界で生きてきた自分に、可能性を与えてくれた本でしたね。